6:不吉な贈り物(1)
初めて見た時、思ったんだ。
ーー天使は実在するのだと
*
夜会の翌週のこと。ジーナの双子の娘のうちの一人、姉のエルザは朝の支度をするため、アウローラの部屋を訪れた。
「おはようございます、奥様」
「おはよう。えっと……」
「エルザです」
「ごめんなさい。まだ覚えられなくて」
「いえいえ、どうかお気になさらず。というか、そもそも、奥様が私たちを見分ける必要などございませんよ?」
「いいえ、エルザ。これから長くお世話をしてもらうのだから、二人の違いくらい覚えられないと失礼だわ」
「奥様……」
アウローラの言葉に、エルザは驚いたように目を瞬かせた。
なぜなら、ほとんどの貴族は使用人をただの『道具』や『背景』として扱うからだ。
しっかりと仕事をこなすのであれば、その者がどんな人物でどんな名前かなんて、雇い主は気にしない。それが貴族の普通であり、彼らに使われる側のエルザたちにとっても当たり前の常識だった。
「奥様は変わっていらっしゃいますね、使用人を見分けたいだなんて」
「そうかしら?普通だと思うけれど」
「普通はそんなこと思いませんよ。でも、すごく嬉しいです!ありがとうございます!」
エルザはそう言って、人懐こい笑顔を浮かべた。
こうして話してみると、エルザの方が明るく快活で、妹のマルタの方は彼女よりも落ち着いていて物静かな気がする。
「では、私たちの見分け方のポイントをお教えしますね」
「それはぜひ聞きたいわ!」
「実は……私の方が、母やマルタより少し色が明るいのです!」
「……な、なるほど」
エルザは長いツインテールを掴み、アウローラに見せた。アウローラはそれをジッと見つめる。
確かに、二人とも母親譲りのライトブラウンの髪だが、よくよく見てみるとエルザの髪は少しだけ明るい気がする。
けれど、二人とも瞳の色は濃い茶色だし、それ以外だとほくろの位置が少し違うくらいで、ぱっと見ただけでは見分けが付かない。
(あれ?でも……)
そういえば、ヴィンセントは二人を間違えたことがない気がする。それを思い出したアウローラは何気なく尋ねた。
「旦那様とは長いお付き合いなのかしら?」
「いいえ、旦那様が叙爵され、このお屋敷に移り住まれてからのお付き合いです」
「そうなの?」
「はい。ですから、まだ数ヶ月ほどですね」
「そっか。二人を見分けられているから、勝手に長い付き合いなのかと思っていたわ」
「確かに、よく考えたら、自己紹介をしてから一度もマルタと私を間違えたことがないかも……。もしかしたら、旦那様は人の顔と名前を覚えるのがお得意なのかもしれませんね」
「それにしたって、一度ご挨拶しただけで二人を完璧に見分けられるだなんて……やっぱり、あの方はすごいお方だわ!」
いつも素っ気ない態度ばかりだが、節々で自分を気遣ってくれるヴィンセントを見て、アウローラは「本当は優しい人なのでは?」と思っていた。きっと、言葉が少ないだけで、本当は誰よりも周りをよく見て、大切にしている人なのだろうと。
その見立てが間違っていなかったとわかり、アウローラはふふっと口元を緩める。
「さて、奥様。本日はどのようなお召し物になさいますか?」
「そうね。今日は実家から侍女のケイトが来てくれる日だから、少しきちんとした格好をしたいわ」
「ケイトさんとは長いお付き合いなのですか?」
「ええ。12の頃からお世話になってるわ。年の近い姉のような存在ね。とっても優しくて、笑顔が素敵なの」
「ふふっ。素敵な方なのですね。では、目一杯おめかししなくては!」
エルザが腕まくりをしたその時、ノックの音が聞こえた。
返事をすると、双子の妹のマルタが神妙な面持ちで入ってきた。
「奥様。今日も届いておりますが……。いかがいたしましょうか……?」
マルタの手にはアクセサリーが入っていそうな小さな箱。差出人の名にはベルモンド商会と記載がある。ヴァレンティア家がよく利用するの商会の一つだ。
だが残念ながら、この屋敷に届くベルモンド商会の荷物はどれも、アウローラが頼んだ品ではない。
アウローラは小さくため息をこぼした。
「…………ありがとう、その辺に置いておいてくれる?」
「お、奥様……。本当に旦那様にはご相談なさらないおつもりですか?」
「……」
「ご結婚なさってから、ずっとですよ……?」
マルタは棚の上に置いた箱を、気味が悪そうに見下ろした。
――フェルナンド・ブランコ
箱と一緒に添えられた手紙の署名には、ブランコ伯爵家の次男の名前が記されている。
「ブランコ伯爵家とは、あまり交流がないと仰っていましたよね……?」
「……ええ、ないわ。フェルナンド様のお顔も、ぼんやりとしか思い出せないくらいの関係よ」
「それなのに、こんなにも頻繁にプレゼントを贈ってくるなんておかしいですよ」
「そう……ね……」
アウローラはきゅっと唇を噛んだ。
不気味な贈り物が届き始めたのは、ヴィンセントとの結婚式のすぐ後だった。
最初に届いたのは、皇室御用達ブランドのティーカップセット。アウローラはそれを単なる祝品だと思い、他の人たちと同様、ヴァレンティア産のワインに丁寧なお礼状を添えて送った。
だがその一週間後、今度は銀細工のつがいの白鳥が届いた。一羽の瞳にはアウローラの瞳と同じ翡翠が、もう一羽にはヴィンセントの髪色を連想させるブラックサファイアが埋め込まれていた。手紙には『旅先で見かけて、あまりに貴女に似合いそうだったから』と書かれていた。
つがいの白鳥の置物なら、結婚祝いの延長かもしれないと思ったアウローラは、社交の定型に従い、再び礼状と返礼品を贈った。
これが良くなかったのかもしれない。
そこから、歯車が本格的に狂い始めた。
翌週には『あなたの美しさにふさわしい』と銀の髪飾りが届いた。
流石に不穏さを感じ取ったアウローラは借りを作らぬよう、これは個人間の贈答ではなく、事務的なギフト交換であるという意味を込め、同等の品を送り返した。
しかしそれではフェルナンドには伝わらなかった。翌週にはペリドットのネックレスが届いた。手紙に『今度、これに似合うドレスも仕立てさせます』と添えて。
これはもう明確な好意だ。そう確信したアウローラは、社交界の定型句を使い『これ以上は周囲の誤解を招き、フェルナンド様の体面を傷つけてしまいます』と強く遠回しに牽制した。
だが、それでもフェルナンドは止まらなかった。
次に届いたのは、白い薔薇の花束だった。求婚を意味するそれを前に、アウローラが頭を抱えていると、そのわずか三日後には約束通りのドレスが届いた。
恐ろしいことに、そのドレスは仕立て直しも不要なほどアウローラの体にピッタリで、彼女は背筋が凍るような感覚を覚えた。
そこからは、まさに悪夢だった。
二、三日に一度は届く贈り物。どれだけ言葉を尽くして断りの手紙を書いても、まるで通じない。たまらず使いの者に受け取りを拒否させても、翌日にはまた別の品が届く。試しに、今まで送られてきた代物を送り返しても、嘲笑うかのようにさらに高価な別の物が送られてくるのだった。
「……奥様。こうなってはもう、旦那様にお話しされる方が良いと思います。それが無理なら、せめてご実家に頼るべきではありませんか?」
心配そうに顔を覗き込んでくるマルタの言葉に、アウローラの胸は締め付けられた。
(情けない……)
実家にいた頃、この手の面倒な異性からの社交はすべて父や兄が立ち回り、アウローラの目に触れる前に処理してくれていた。そのため、アウローラはこういった場面での対応には不慣れだ。
現に教科書通りに受け流そうとした結果、事態を悪化させてしまった。
「実家には頼れないわ。お父様は外遊中だし、お兄様は……もうすぐ子どもが生まれるの。巻き込みたくない」
アウローラはふと、兄ロベルトの顔を思い出した。
いつだって妹を優先し、幼い頃からずっとそばで守ってくれた、優しい兄。
アウローラのせいで母を失ったときも、ロベルトは一度たりとも彼女を責めなかった。
それどころか、ロベルトの友人がアウローラに一目惚れしたことで、友人関係が壊れてしまったときでさえ、嫌な顔ひとつせずに彼女を抱きしめてくれた。
『お前は悪くない』と、そう言って。
ロベルトの妻であるミランダもそうだ。赤の他人の彼女にも、アウローラは散々迷惑をかけてきた。
陰ではアウローラと容姿を比べられ、貶されることも一度や二度ではなかったのに、それでもミランダは、いつだって朗らかな笑顔を浮かべて優しくアウローラを包み込んでくれた。
「……今まで散々迷惑をかけてきたんだもの。結婚後までお世話にはなれないわ」
「では旦那様に……」
「それも……無理よ」
「どうしてですか?」
「どうしてって、訓練で不在のお方にどう相談するの?」
ヴィンセントは3日前から海に出ている。帰るのは2日後だ。アウローラはそう言って苦笑した。
「それは、戻られた時にでも相談すれば……!」
「マルタ、海軍ってすごく忙しいのよ。それなのに、疲れて帰宅して、さらに妻からストーカーの相談なんて……、わたくしだったら聞きたくないわ。だってすごく面倒だもの」
「旦那様はそんなこと思われないと思います……」
「それは、どうかしら?」
この結婚はヴィンセントの意思ではない。皇帝の命令で仕方なく結婚しただけだ。
ただでさえ、妻のことを苦手に思っているのに、不要なトラブルまで持ち込んでは、彼が可哀想だ。
それにブランコ伯爵家は軍事方面に太いパイプを持つ。もしヴィンセントがこの件について何か行動を起こせば、今後の昇進にも響くかも知れない。
(迷惑はかけたくない……)
アウローラはドレスのスカートを握り、俯いた。
その様子に、マルタは悲痛に顔を歪ませる。
「しかし、奥様。このまま、状況が悪化すれば……」
「マルタ。もうやめよう」
エルザは静かながらも毅然とした声で、説得を続けようとする妹を止めた。
「相談するしないは奥様が決めることよ。これ以上はただのお節介でしかないわ。弁えなさい」
「でも……!」
「マルタ。ダメ」
「……わかったわ」
エルザに静かに諭されたマルタは、しゅんと肩を落とした。そして深々とアウローラに頭を下げた。
「申し訳ありません。立場を弁えぬ発言をお許しください」
「いいのよ。わたくしのことを思ってのことでしょう?こちらこそ、心配をかけてごめんなさいね。もう少し、一人で頑張ってみて、それでもダメならちゃんと相談するから……」
「はい……」
アウローラの力ない笑みに、それ以上二人が口を挟むことはできなかった。部屋に重苦しい沈黙が落ちかける。
そのとき、扉を控えめにノックする音が響いた。
「奥様、リオルです。あと三十分ほどでヴァレンティア家からケイト殿が到着とのことです」
扉越しにかけられたリオルの声に、エルザはハッと部屋の時計に目をやった。
「え!?もうこんな時間!?」
来客の予定をすっかり失念していたエルザは慌ただしく、出迎えるための支度を始めた。




