3:おかしな仮面夫婦(2)
幼い頃からすでに完成された美貌を持っていたアウローラ・ヴァレンティアの人生は、変態との戦いの歴史と言っても過言ではない。
4歳。いつも遊んでくれていたフットマンが突然姿を消した。理由を聞いたら、自室にアウローラの下着を隠し持っていたそうだ。
6歳。叔父との縁が切れた。ヴァレンティア邸で開かれた夜会で、アウローラを暗がりに連れ込もうとしたからだ。未遂に終わったが、アウローラはこの時、はじめて自分が男からどう見られているかを知った。
10歳。仲の良かった友人が突然、暴言を吐いて去っていった。聞けば、彼女の婚約者がアウローラに一目惚れをしたらしい。尚、アウローラはその婚約者とは一切の面識がなかった。
12歳。娘の美貌に嫉妬した母が家を出て行った。彼女の愛人だった男が、アウローラに手を出そうと企んでいたからだ。それを知った母は激怒し、アウローラに平手打ちをかまして屋敷を飛び出した。
14歳。親元を離れて貴族学園に通うことになる。だが、寮の部屋にクラスメイトが侵入したり、教師に言い寄られたりと、トラブルが続いたため、わずか半年で自主退学。
アウローラはここで、完全に男に対して心を閉ざした。
そういった経緯があり、男嫌いとなったアウローラは家族と幼馴染のニコラス以外の男は信用していない。
「どの殿方も、わたくしの境遇を憐んでくれました。そして毎回、『僕があなたの心の傷を癒やします』と仰るのです。けれど、そう話す彼らの顔はいつもとても恐ろしかった……」
血走った目と、荒い鼻息。湿った手。
どう考えても、興奮した様子で彼らはアウローラに手を伸ばす。
それが彼女にとって、どれほど恐ろしいことかも知らずに。
「だから、わたくしは今すごく幸せなのですわ!だって、わたくしに全く興味がないどころか、むしろ少し苦手にする思っている殿方なんてはじめてですもの!」
そう言ってアウローラは、色とりどりに並ぶケーキへ視線を向けると、どれにしようかと楽しげに目を細めた。やがて一つを選び、銀のトングでそっと皿へ移す。
その浮き立つような様子を眺めながら、彼女の義姉にあたるミランダは、小さく息をついた。
「……なるほど。それで、あの無愛想な少佐殿をいたくお気に入りなわけね」
ゆるやかに波打つ深みのある茶髪に、落ち着いた琥珀色の瞳。緑地にゴールドの刺繍が施されたエレガントなドレスを優雅に着こなすミランダは、そこにいるだけでその場をパッと明るくするような親しみやすさと、芯の強さを感じさせる美しい女性だ。
今はふっくらと丸みを帯びたお腹を愛おしそうに撫で、母となる者特有の優しい微笑みをたたえている。
「けれどアウローラ、嫌われていることが幸せだなんて、少し歪んだ喜び方よ?普通の乙女なら泣き出すところだわ」
「わかっておりますわ、お義姉様。自分でも歪んでいるとは思っております。けれど、あのギラギラとした欲望を向けられないだけで、どれほど心が平穏か……」
余計な期待も抱かないし、下心で触れようともしない。むしろ、距離を取ろうとすらしてくる。家族以外で、こんなに安心できる男がこの世に存在するなんて、思ってもみなかった。
「この縁談を持ってきてくださった陛下には感謝してもしきれませんわ」
「……そ、そう」
心底晴れやかな顔で言い切るアウローラに、ミランダは困ったように眉を下げた。
男たちの浅はかな欲望に晒され続けたせいで、心に深い傷を抱えた義妹が、こんなふうに幸せそうに笑える結婚ができたのは喜ばしいことだろうが……。
「下心がない、ねぇ……?」
ミランダはふと、後方で自分の夫と談笑するヴィンセントに視線を向けた。
いつも厳しい顔でアウローラから目を背けているあの男。あれは本当に興味がない顔だっただろうか。
「まあ、貴女が救われているのなら良いのだけど。……でもね、一つだけ忠告しておくわ、アウローラ」
「何ですか?」
「男の人って、案外不器用なのよ?」
「……不器用?」
首を傾げたアウローラは、ミランダの言葉に導かれるようにふと振り返り、会場の少し離れた場所に立つヴィンセントへ視線を向けた。
すると、まるで視線を感じ取ったかのように、彼もまたこちらへと顔を向ける。
一瞬、互いの視線が真っ直ぐに交差した。
けれどその直後、ヴィンセントはまるで落雷にでも打たれたかのように、思い切り顔を逸らしてそっぽを向いたのだった。
「……お義姉さま。あり得ませんわ。だって今、ものすごく嫌そうな顔をして目を逸らされましたもの!」
「アウローラ、これはそんな風に喜ぶことではありません。……あなたたち、そんなことでこれから先、うまくやっていけるの?」
「これから先、ですか?」
「そうよ。あなた、来月には少佐殿の次の赴任地である東部のグランフォートという街に行くんでしょう?新しい土地で、不仲の夫と二人でやっていけるの?」
「大丈夫ですわ。旦那様は一度海に出ると、なかなか戻ってきません。長ければ数ヶ月戻ってこない時もあると聞きますし」
「つまり、あまり顔を合わせることはない、と?」
「はい」
「だったら、あなただけでも帝都にいればいいじゃない。海軍では、単身赴任も普通なのでしょう?」
「確かにそういうお話も聞いてはおりますが、旦那様がついてきて欲しいと仰るので」
「……ついて来て欲しいって?言ったの?少佐殿が?」
「はい。赴任先でも海軍の奥様方との交流は必須ですし、何より旦那様は昇進したばかりですから、内助の功が欲しいのでしょう」
「内助の功ねぇ……?」
こんな雑な扱いをしておいて、どの口が言うのか。
ミランダは溜め息をつくと、遠くで背中を向けたまま耳を真っ赤にしているヴィンセントをじろりと睨みつけた。




