16:真夜中の侵入者(3)
「……出張、ですか?」
翌朝、エルザとマルタ、そしてケイトに告げられたのは、ヴィンセントの四日間の出張だった。
フェルナンドの脅威が目と鼻の先に迫るこのタイミングで、屋敷から頼れる男手が消えるという事実に、ケイトは不信感を露わにした。
アウローラは困惑する彼女の手を取り、優しく宥める。
「落ち着いて、ケイト。旦那様のお仕事はお忙しいの。仕方がないことなのよ?」
「ですが……、こんな時に奥様を置いていかれるなんて!」
「わたくしなら大丈夫よ。この四日間は絶対に外には出ない約束だし、護衛としてリオルが残ってくれるから。ねえ、リオル?」
アウローラはそう言って、ヴィンセントの傍らに控えていたリオルに視線を向ける。
リオルは即座に背筋を伸ばし、どこか誇らしげに胸を張ってケイトを見た。
だが、ケイトの険しい表情は一向に晴れない。彼女はリオルの頭からつま先までを品定めするようにじっと見つめると、小さく鼻を鳴らした。
「この人が護衛……ですか?」
こんな細身で頼りなさげな男に、アウローラの護衛が務まるはずがない。言葉にしなくとも、冷ややかな視線は彼女の心の内を雄弁に語っていた。
察しの良いリオルは不服そうに眉をひそめる。
「何か問題でも?」
「いいえ、別に?」
どことなく、緊張感のある空気に変わった。
ヴィンセントがすかさず、睨み合う二人に割って入る。
「ケイト。リオルを外見だけで判断してはいけない。こいつはこれでも、かつて軍人だった」
「そ……」
「そうなのですか!?」
ケイトが言葉を返すより早く、アウローラが驚きの声を上げた。当のリオルは居心地が悪そうに、フッと目を伏せる。
「リオルは色々と、任務以外の危険が付きまとう性質でね。軍にいづらくなったところを俺が引き取ったのです」
「任務以外の危険……?」
「ええ、まあ。その話は、また今度にしましょう」
今ここで深掘りすべき話題ではないと判断したのか、ヴィンセントは言葉を濁した。
アウローラも彼の意図を察し、それ以上は追及せずに黙って頷く。
「では、そういうわけだから、留守の間はよろしく頼む。それとエルザ、マルタ。俺が不在の間に、アウローラの指示のもと、グランフォートへ持ち込む荷物の選別を進めておいてくれ。近々、手配した運送ギルドの荷馬車が荷物を引き取りに来てくれる予定だ」
「かしこまりました!」
「俺の荷物は戻ってきたらすぐにまとめるから、そのままにしておいてくれ」
「承知いたしました」
声を揃えて元気に返事をする双子とは対照的に、ケイトは黙って頭を下げるにとどまった。きっとまだ納得がいっていないのだろう。
アウローラは、忠心ゆえに頑固になってしまう彼女に、小さくため息をこぼした。
* * *
ヴィンセント不在の屋敷は、意外にも拍子抜けするほど平穏だった。
警戒していたフェルナンドが姿を現す気配はなく、アウローラも心置きなく荷造りに没頭することができている。
新聞には例のゴシップの訂正記事が大きく掲載されたし、街中では仲良しアピールの成果なのか『アルドリッジ男爵夫妻は実は夫婦円満』という噂が囁かれ始めている。
エルザもマルタも、フェルナンドがようやく諦めたようだと、嬉しそうに笑った。
アウローラもホッと胸を撫で下ろし、彼女たちの楽観的な見解に深く同意した。
そうして大きなトラブルもないまま、気づけばヴィンセント不在の夜も三日目を迎えていた。
大体の荷造りを終えたアウローラは、心地よい疲労感とともにベッドの上へ仰向けに倒れ込む。
「ふぅ……。荷物の選別って、想像以上に大変ね」
嫁いで来た時は、実家にある物をそのままこの屋敷に持ち込んだが、これから向かうグランフォートの屋敷はここよりも規模が小さいため、全てを持ち込むことは出来ない。
だが同時に、あそこは豊かな自然に囲まれた小さな港町だ。帝都のように何でもすぐ手に入る環境ではない。
そう思うと「これも必要かも」「あれも持っていった方が……」と、つい欲が出てしまう。
「案外、わざわざ持って来たのに全然使わなかった……なんてことになりそうよね」
「ふふ、そうですね」
「……そういえばケイト、あなたの荷造りはもう完璧なの?」
「ええ、もちろんです。……と言いましても、私は一介の侍女に過ぎませんので。お嬢様のように、ドレスやら小道具やらで大きなトランクを埋める必要はございませんけれど」
「まあ!それは持ち物が多い私への嫌味かしら?」
「さぁ?どうでしょうね?」
ケイトはくすりと冗談めかした笑みを浮かべ、アウローラを揶揄う。
アウローラは子供のようにぷくっと頬を膨らませて見せた。
「ケイトってば、意地悪ね」
「いつまでも可愛らしいお嬢様を見ていると、時々意地悪をしたくなってしまうのです」
ケイトはアウローラの膨らんだ頬を指先で軽く突くと、柔らかく目を細めた。
「さあさあ、もう遅い時間ですよ。今日もお疲れになったでしょう。ゆっくりお休みください」
ケイトは掛け布団を丁寧にかけ、そっと手元のランタンの芯を下げ、室内の明かりを落とす。
「おやすみなさいませ、お嬢様」
「…………ええ、おやすみ」
子供扱いされたのが少しだけ不服だったのか、アウローラは短く返事をすると、布団を頭からすっぽりと被った。
そして、部屋の扉を静かに閉めて去るケイトの気配を感じながらも、彼女に背を向けたまま目を閉じた。
――そして時間が経ち、屋敷の中を夜の静寂が支配する頃。
アウローラの寝室から、その静寂を切り裂くような絶叫が響き渡った。




