11:初めての花祭り(2)
街路樹にも、建物の壁にも、人々の髪や胸元にも。街のどこを見渡しても、溢れんばかりの色鮮やかな花々が飾られている。
「本当に、街中が花で満ちていますのね」
そう言って、弾ませてヴィンセントを振り返ったアウローラの笑顔は、誰よりも輝いていた。
ヴィンセントは抱きしめたくなる衝動を必死に抑え込むように、強く拳を握りしめる。それと同時に、眉間に皺を寄せ、唇を真一文字に結んだ。
すると、先ほどまでの朗らかな笑顔はどこへやら。いつもの仏頂面の完成だ。
彼の表情を見たアウローラは、スンッと真顔に戻った。
「……あの、もうこの際だから聞いてしまいますけれど、それは一体どういう感情のお顔ですの?」
嫌われているわけではないことは知っている。ヴィンセントの不器用な優しさも、気遣いも、アウローラはちゃんと気づいている。この人は噂ほど怖い人ではない。
だからこそ、結婚当初は女性が苦手なせいで、どうしても表情が硬くなってしまうかもしれないと思っていた。
だが、最近はその読みも外れているような気がしている。
何故なら、マルタやエルザには普通に接しているからだ。確かに、笑顔で話している姿は見たことがないが、同時にこんなに険しい顔で話している姿も見たことがない。
この顔をするのはいつもアウローラに対してだけ。
「いっそ嫌われている方が納得がいきますわ」
「き、嫌いなわけ……!」
「ええ、わかっていますわ。旦那様がわたくしのことを嫌ってなどいないことくらい」
「え……?」
結婚式での発言しかり、普段の態度しかり。正直、嫌われる事をした記憶しかないのだが。
ヴィンセントはアウローラの返答に目を丸くした。
すると、アウローラは呆れたように肩をすくめた。
「だっていつも、わたくしに触れないように気を遣ってくださっているでしょう?」
社交の場でも、朝稽古でも、普段の生活でも、ヴィンセントは徹底して不要な接触を避けている。
だが、たとえ邪な感情を持ち合わせていなくとも、パートナーに触れないように過ごすというのは意外と難しいものだ。
特にパーティーに出席した時など、貴族としての振る舞いを要求される場面では必ず、エスコートのためにパートナーの腕や手に触れなければならない。そしてダンスともなれば、さらに密着する事が求められる。
だからこそ、アウローラはダンスが苦手だし、異性をダンスに誘うのにも勇気がいるのだ。
「この間の夜会でも、旦那様は入場のエスコートが終わるとすぐにわたくしから離れようとして下さいました。ダンスだって、旦那様が断って下さったおかげで、他の方々とは踊らずにすみました」
最初のダンスはパートナーと踊るのが基本だ。つまり、パートナーとの一曲目を終えていない女性を誘うことはマナー違反にあたる。
だからあの時、ヴィンセントがダンスを断ってくれたおかげで、アウローラは誰とも踊らずに済んだ。
「いつも、旦那様が悪者になってわたくしを守って下さっていること……、わたくしはちゃんと知っています」
アウローラはそう言って朗らかに微笑んだ。
その微笑みは天使のように美しく、彼女を後ろから照らす夕陽と、花で満ちた大通りの風景と相まってまるで一枚の絵画のようだった。
その美しさに、周囲の視線が一斉にアウローラに集まる。狙い通りだ。このままヴィンセントが甘い言葉の一つでも囁けば、おそらく目的は達成されるだろう。
けれど、
「…………旦那様、先ほどからそのお顔をなさるせいですべてが台無しなのですけれど」
ヴィンセントは先ほどよりもさらに険しい顔でアウローラを睨んでいた。
「す、すみません……」
「もしかして、癖なのですか?」
「…………ええ、まあ。ほら、表情を緩めると威厳がなくなるでしょう?」
軍人たるもの、常に凛としていなければならない。ヴィンセントはそんな嘘をついた。
本当はそのような決まりなどないのだが、海軍のことをあまりよく知らないアウローラは、納得したように「なるほど」と呟いた。
「しかし、これでは仲睦まじいアピールができませんね」
「……面目ない」
「やはり手をつなぎましょう?」
「いや、それは……」
「何度も申し上げております通り、わたくしは大丈夫ですわ。だって、旦那様はわたくしを気遣って下さいますもの。本当はずっと、旦那様となら手をつなぐのも、ダンスだって……平気なんじゃないかなって思っていたのです」
アウローラはそう言うと、スッとヴィンセントに手を差し出した。
ヴィンセントはその手に誘われるように、彼女に手を伸ばした。
けれど、
「……アウローラ、無理しないでください」
アウローラの手は、その穏やかな表情とは裏腹に、かすかに震えていた。
やはり、彼女に男との接触なんて無理だったのだ。
「あ、あれ……?おかしいな……?……あれ?」
アウローラは差し出した手を胸の前で抱きしめ、首をかしげた。
おそらく、本人も自覚がないのだろう。だから、ジーナの提案にも軽く乗れたのだ。
けれど、ヴィンセントは知っていた。夜会でのエスコートの時も、ダンスを誘うときも、彼女の顔がこわばっていたことを。
「わたくし、本当に旦那様なら大丈夫だと思って……」
「わかっていますよ。無意識なのでしょう?大丈夫、わかっています」
アウローラと同じように、ヴィンセントもまた、彼女が自分の事を他の異性よりも信頼してくれていることは知っている。
だが、彼女の体がまだ気持ちに追いついていない。きっと過去の経験から、脳が本能的に彼女を守ろうとしているのだろう。
「まだ結婚して数ヶ月です。あなたの体は俺を信用しきってはいないのでしょう。それは仕方のないことです」
「……申し訳ありません」
「謝らないでください。手なんて繋げなくとも、困ることはないのですから」
「……そう、ですわね」
「それより、何か食べませんか?別に手を繋がなくとも、夫婦円満はアピールできると思うのです」
「それは食べさせ合いをしよう、ということですか?」
「いや、そうでなく……」
ヴィンセントは慌てて辺りを見渡し、近くのベンチに座る一組のカップルを指さした。
「アウローラの目には、あの二人がどう見えますか?」
「えっと……、とても仲睦まじく見えます」
揚げパンと串焼きを食べながら、談笑する二人。別に手を繋いでいる訳でもないし、体を密着させているわけでもない。ただ横に並んで楽しそうに話をしているだけの二人だ。
けれど、彼らが醸し出す空気はとても穏やかで、そして微笑ましい。
「あんな風に並んで座ってご飯を食べるだけでも、夫婦円満アピールになるとは思いませんか?」
「確かに、そうかもしれませんわね」
「では、そうと決まればさっそく……、あそこの揚げ芋などいかがです?味は俺が保証しますよ」
「揚げ芋……、おいしそう……!」
先ほどまでの落ち込んだ様子はいつの間にかどこかへ行ってしまった。
アウローラは目を輝かせ、揚げ芋の屋台へと軽やかに歩き出した。
そんな彼女の様子に、ヴィンセントは思わず口元を緩めそうになる。
無理に触れ合わなくとも、背伸びをした言葉を交わさなくとも。ただこうして同じ食べ物を目指して並んで歩くだけで、彼は幸せだった。
「アウローラ、その隣の串焼きもオススメです。お酒が進みますよ」
「まあ!ではそちらもいただこうかしら?」
弾むような声で屋台の列を見渡す妻。その隣で、柔らかく目を細める夫。
花香る大通りの賑わいの中、何を食べるかで盛り上がる二人の後ろ姿は、間違いなく仲睦まじい夫婦のそれだった。




