第9話 AIRS
地球から遠く離れたアステロイドベルト。
そこに暮らす俺たちにとって、宇宙は冒険の舞台ではなく、ただの職場だった。
そんなある日、六十年間ほとんど変化のなかった俺たちの生活に、地球から一人の監査官がやってきた。
彼女の名前は、アレナ・イエリク。
なぜ彼女は、わざわざここまでやって来たのか。
そして、彼女が調査するという「旧坑道」には、いったい何があるのか。
静かな日常が、少しずつ動き始める。
クリフが AIRS(Autonomous Integrated Remote-control System)を起動する。
このオペレーションルームの“主”のような存在だ。
自律型統合遠隔制御システム――AIRS。
このミッションが終了するまで、俺たちがここで行う作業はすべて“彼女”の統制下に入る。
女性の声色で設計されているため、俺たちは敬意を込めてそう呼んでいる。
“彼女”はブリーフィングの段階から参加し、
ミッション参加者の発言をリアルタイムで解析し、記録し、思考する。
手順の誤りや、説明内容との理解に齟齬が生じる可能性があれば、
話を遮らない絶妙なタイミングでレッドシグナルやイエローシグナルを提示し、警告や指摘を行う。
つまり、クリフが“彼女”を起動した瞬間から、ここで交わされるすべてが記録されていくということだ。
クリフがいつもの調子で言う。
「No.211 小惑星帯調査ミッションを開始します。詳細はユイト、頼むぞ」
……まったく、いつも通りだ。
「最初に概要を説明する。このミッションは、現在主に資源採掘を行っている No.16 鉱区――通称ナミビアからの連絡ルートが“ルート9”しか安全に確保されていない状況を受けて実施される。非常時に備え、代替ルートが使用可能かどうかを確認するための予備調査だ」
「ミッション責任者はクリフ・マルエフ。オペレーションルーム担当、調査担当者はユイト・ミハラ、ペドロ・マルチネス。
ミッション監査官としてアレナ・イエリク。
この三名はポート”ハワイ”に着陸後、基地へ移動し、そこからルート1へ侵入する」
「なお、本調査の主目的ではないが、ロストしたドローンの位置確認を行う。ただし、発見しても回収は行わないことを確認する」
「また、ルート1は長期間使用されていないため、侵入後100メートル地点から粉塵により視程が1メートル以下となる」
「このため坑道内は原則オートパイロットモードとし、アレナ・イエリク監査官はオートパイロットモードを必須とする」
各自が要所ごとにチェックを行い、準備が進んでいく。
AIRS は俺の発言を冷静に推敲し、グリーンシグナルを一定のリズムで灯し続けていた。
そして、タイムスケジュールのチェックリストを確認中に、AIRS が警告を発する。
三人編成になったことで侵入時の調整が増え、シーケンス全体がタイトになるという警告だ。
AIRS は「ミッションを300秒延長する」か「調査項目を一部ショートカットする」案を提示してくる。
――やはり来たか。
三人編成になった時点で、侵入シーケンスがタイトになるのは分かっていた。
AIRS がチェックリストの進行中に警告を出してくることも、容易に想像できた。
五分という数字は、思ったより大きい。
だが、ショートカット案は、人間側がシミュレーションをしていない以上、AIRS の補助がない環境では危険性が跳ね上がる。
結局、選べるのは「300秒延長」しかない。
つまり、生命維持装置の残りが五分削られるということだ。
俺はペドロの顔をチラッと見てから、AIRS に指示を出す。
「坑道内のデータリンクモードを LowEnergyMode に変更した場合の、生命維持装置の延長時間を確認」
AIRS は即答した。
「延長可能時間は 35 秒です」
そこで、初めてアレナが口を開いた。
「LowEnergyMode にしてしまった場合、拡張視界の機能が一部制約されるのではありませんか?それでは調査が不十分になるのではなくて?」
少しだけ語尾が強い。
俺はペドロをチラッと見てから答える。
「通常モードでは、俺たち二人分のデータリンクによる相互拡張視界です。
今回アレナが参加することで、三人分の相互拡張視界が得られる。
LowEnergyMode にしても、二人で行くより視界はクリアになるはずです。……そうだな、AIRS?」
「はい。ユイトの提案では、視界情報の精度は約 3%上昇します」
俺は声を少し落とした。
「現場では、俺たちの判断を優先させてください。……安全のためです」
ペドロが俺の顔をチラッと見返す。
その意味は、言葉にしなくても分かっている。
アレナは何か言いたげにわずかに眉を動かしたが、
結局は黙ってチェックのサインを送った。
「では、それを標準シーケンスに反映」
クリフは聞いているのかいないのか、ずっとシステム画面に目を落としたままだ。
ブリーフィングの終わりが見えてくる。
アレナは緊張を隠しきれない表情をしながら、長い髪の毛をまとめている。
ペドロはすでに、壁の向こう――坑道の暗闇を見据えているようだった。




