第10話 プレブリーズルーム
地球から遠く離れたアステロイドベルト。
そこに暮らす俺たちにとって、宇宙は冒険の舞台ではなく、ただの職場だった。
そんなある日、六十年間ほとんど変化のなかった俺たちの生活に、地球から一人の監査官がやってきた。
彼女の名前は、アレナ・イエリク。
なぜ彼女は、わざわざここまでやって来たのか。
そして、彼女が調査するという「旧坑道」には、いったい何があるのか。
静かな日常が、少しずつ動き始める。
ブリーフィングが終了すると、オレたち三人は直ちにプレブリーズルームへ移動した。
ここはエアロックに入る前の準備室で、三〜四人が肩を寄せ合えばいっぱいになる程度の狭さだ。
宇宙服に着替えるだけの、最低限の空間。
ペドロ、俺、アレナの順に部屋へ入る。
AIRS が入室を確認する声を発した直後、エアロック扉が鈍い音を立てて閉まった。
その音だけで、外界との隔絶を実感する。
小さな振動が床を伝い、圧力調整のプレブリーズが始まったことを知らせる。
俺は壁の酸素分圧メーターをチラッと確認した。
現在、気圧 0.2 MPa・酸素 10%。
かつてコロニーで大規模火災が起き、多くの犠牲者を出した――その教訓から設定された船内圧力だ。
船内での火災は、空気も人の命も一瞬で奪っていく。
ここから気圧 0.1 MPa・酸素濃度 20%へ移行する。
AIRS が 0.01 MPa ごとに現在気圧と酸素分圧をアナウンスする。
常時モニタリングされているとはいえ、一歩間違えば窒息する危険な作業だ。
壁の数か所には緊急停止ボタンが配置されている。
万が一のときは叩き割ってポンプを止める。
幸い使ったことはないが、俺たちは常にこのゲージを確認する癖を叩き込まれている。
命を守るために。
ここで用意される宇宙服は、坑道内作業用の最小型モデルだ。
このスーツには、上下左右の圧力差を微細に調整する Gライン・アクチュエータ が組み込まれており、身体の表面にかすかな締め付けと解放を与えることで、疑似的な“上下”を感じさせる。
無重力下で起こりやすい空間識失調を防ぐための、現場向けの簡易重力システムだ。
さらにスーツは外部からバイタルを常時取得するため、
まず専用のタイトスーツに着替え、その上から宇宙服に入らなくてはならない。
つまり――ここでは、裸になる。
主ドック側なら複数のプレブリーズルームがあるのだが、このサブドック側には一室しかない。
アレナはわずかに頬を赤らめながら、俺に向けて小さくつぶやいた。
「……あまり見ないでくれると、ありがたいのですが」
減圧のせいか、その声は少し遠くに聞こえた。
ペドロはそっぽを向いたまま、ぶっきらぼうに返す。
「最初から分かってたことだろ。そんなに嫌なら、出ていけばいい」
そう言いながら、クリフが見ているであろう監視カメラの前に、さりげなく立って視界を遮っている。
俺も反対側のカメラの画角に入るように体をずらし、無言で着替えを始めた。
ここでは、配慮という機能は贅沢品だ。




