第11話 エアロック
地球から遠く離れたアステロイドベルト。
そこに暮らす俺たちにとって、宇宙は冒険の舞台ではなく、ただの職場だった。
そんなある日、六十年間ほとんど変化のなかった俺たちの生活に、地球から一人の監査官がやってきた。
彼女の名前は、アレナ・イエリク。
なぜ彼女は、わざわざここまでやって来たのか。
そして、彼女が調査するという「旧坑道」には、いったい何があるのか。
静かな日常が、少しずつ動き始める。
アレナが何とか宇宙服に身体を滑り込ませた、そのタイミングを見計らったように、
ペドロが声をかけてきた。
「ユイト、先に行って準備を始める。……そっちは頼む」
慣れない宇宙服に手間取っているアレナをチラッと見やりながら、ペドロはエアロックへつながるハッチに身体を滑り込ませていく。
エアロックはひどく狭い作りだ。本来は二人用だが、サブチェアを使えば三人まで対応できる。
だからこそ、先に入った者からさっさと準備を進める必要がある。
俺はアレナのヘッドセットの取付を手伝いながら、ずっと胸の奥に引っかかっていた疑問を口にした。
「アレナ。……なぜ君のような人が、ここに来たんだ?」
アレナは手を止め、少しだけ考えるように視線を落とした。
「使命感……かしら。 もしくは、忘れ物を取りに渡しに行くような感じかもしれないわ」
ヘッドセットの固定が終わるのを待つように一拍置き、静かに続けた。
「今日のミッションが終わったら、すべて話させてもらうわ」
使命感に、忘れ物――。
このアステリオンに、彼女が“忘れ物”をするような場所があるとは思えない。
「いったいどういう意味だ?」
思わず問い返したその瞬間、アレナは俺の言葉を遮るように声を上げた。
「……さあ、行きましょう」
狭いエアロックに、ペドロ、ユイト、そしてアレナの順に膝を抱えるように腰掛ける。
三つのシートは互いに干渉しそうなほど近く、身じろぎひとつにも気を遣う。
AIRS が、プレブリーズルームとエアロックのハッチがロックされたことをアナウンスする。
続けて、無機質な声が響いた。
「エアロック内は、あと五分で気圧 0.1 MPa・酸素濃度 20%に到達します」
それ以下は、宇宙服の生命維持装置に頼るしかない。
三人それぞれが、AIRS と宇宙服のチェックリストを照合し始める音が、狭い空間に重なっていく。
もちろん俺もだ。
ヘルメット越しに聞こえるのは、AIRS の淡々としたアナウンスと、
宇宙服のシステムが立ち上がる微かな作動音だけ。
人の声は、誰も発さない。
空気の密度が、ゆっくりと薄くなっていくのが分かる。
この密閉された空間では、呼吸の音すら大きく響く。
自分の鼓動が、宇宙服の内側でわずかに跳ね返ってくるようだった。
気圧 0.1 MPa・酸素濃度 20%に到達したというアナウンスとほぼ同時に、
それぞれのバイザーが静かに閉じた。
ここから先、エアロック内の空気は一気に、そして徹底的に回収される。
たとえ 1 g――いや、0.1 g でも残してはならない。
この世界では、空気は資源だ。
宇宙服内部は作業性を考慮し、0.05 MPa までゆっくりと減圧されていく。
もちろん、バイタルを監視しながら慎重に。
エアロック内の音が、急速に失われていくのが分かる。
金属の軋みも、ポンプの唸りも、次第に薄膜の向こう側へ押しやられていく。
音のない世界へ移行しつつある――その境界線に、今まさに足を踏み入れている。
淡々とチェックリストが進行していく。
AIRS の声が止まる。
次に開くのは、外宇宙へのハッチだ。
そう、いよいよ、宇宙だ。




