第8話 現実
地球から遠く離れたアステロイドベルト。
そこに暮らす俺たちにとって、宇宙は冒険の舞台ではなく、ただの職場だった。
そんなある日、六十年間ほとんど変化のなかった俺たちの生活に、地球から一人の監査官がやってきた。
彼女の名前は、アレナ・イエリク。
なぜ彼女は、わざわざここまでやって来たのか。
そして、彼女が調査するという「旧坑道」には、いったい何があるのか。
静かな日常が、少しずつ動き始める。
上役の命令は絶対だ。この世界のルール――いや、掟と言っていい。
アレナが同行するためには、現実的な方法を考えなければならない。
船内圧力 0.2 MPa から宇宙服内の 0.05 MPa へ。
その圧力差に伴う減圧症対策は、1秒でも長く時間をかけたほうがいい。
俺たちでさえ、設定時間の1時間は肉体的にも精神的にも摩耗する。
ましてや、アレナのように経験値の低い人間ならなおさらだ。
「・・・・わかった。アレナ、これから行く場所は、君が思っているより危険だ」
「シミュレーションで何度も試しているわ。理解しているつもりよ」
「それはわかっている。ただ、君はまだ本物の“現場”を体感したことがないだろう?」
アレナは口を閉ざした。反論はしない。
ペドロはもう準備に入っている。
……そう、“見学者”を連れていくためのオペレーション変更だ。
一度決まれば、あいつは時間を無駄にするようなことはしない。
「アレナ、君がカテゴリー3に対応したライセンスを持ち、シミュレーションで十分に準備していることを“前提”に話を進める。
でなければ、俺たちは君を連れていけない。シミュレーションでは寝ていても死ぬことはない」
「ええ、わかってるわ」
「その上でだ。エアロックを出たら、宇宙服のシステムは原則すべてオートパイロットで運用してほしい。姿勢制御も含めてだ。これだけは譲れない」
「すべて、オートパイロットで?」
「そうだ。特に小惑星の坑道内では、船側からのサポートはまったく期待できない。
視界も、長年の放置のせいで最悪だ。
事前にドローンで調査し、安全と判断されたコースからの逸脱は、即、命に関わる。
さっきクリフが言った“事故発生確率0.1%”という数字は、オートパイロットで安全に移動した場合のものだ。
坑道内の壁に接触する可能性を考えると、姿勢の手動制御や、勝手に顔を動かすことすら許可できない。
最低限の条件だ。この場で了承してほしい」
アレナは短く考え、静かに「……わかったわ」と答えた。
クリフが横から口を挟む。
「そうだな、監査官には安全に帰ってきてもらいたいからな。ユイト、ペドロ、監査官殿を頼む」
……いつだって少しずれていやがるな、こいつは。
ペドロが、せかすようにこちらへ視線を投げてくる。
「クリフ、調査シーケンスに入るぞ。まずはブリーフィングだ」




