第7話 越境
地球から遠く離れたアステロイドベルト。
そこに暮らす俺たちにとって、宇宙は冒険の舞台ではなく、ただの職場だった。
そんなある日、六十年間ほとんど変化のなかった俺たちの生活に、地球から一人の監査官がやってきた。
彼女の名前は、アレナ・イエリク。
なぜ彼女は、わざわざここまでやって来たのか。
そして、彼女が調査するという「旧坑道」には、いったい何があるのか。
静かな日常が、少しずつ動き始める。
俺はアレナに「この任務は――」と言いかけたが、彼女は構わず先にオペレーティングルームへ入っていった。
そこには案の定、クリフが直立不動で立っている。
アレナはそのままクリフに向かって言った。
「私の装備、準備できているかしら」
……そうだ。なぜ気づかなかったのだろう。
クリフがミーティングルームにいなかったことを。
単に面倒がって、監査官の案内なんて俺たちに押しつけたのだと思っていた。
だがよく考えれば、あいつは本社の人間が来れば真っ先に飛んでいくようなタイプじゃないか。
ペドロが俺を押しのけるように前へ出てきた。
「まさか、お前もあそこに行くつもりじゃないだろうな。あそこは、お前みたいな女が行く場所じゃない」
アレナは一歩も引かずに言った。
「私も、今回の現場を直接見させてもらおうと考えています」
俺も続けた。
「アレナ……“監査官”。今回の調査はカテゴリー3の任務です。通常任務の中でも最も危険な部類になります。監査官のあなたが直接同行する必要はないはずです。ここは、俺たちに任せてもらえませんか」
アレナは落ち着いた声で返した。
「私はカテゴリー3の資格を持っています。それに――クリフにも確認してもらいましたが、調査自体はそれほど危険ではないのでしょう?」
アレナの視線がクリフに向く。
クリフはすぐに背筋を伸ばし、硬い声で答えた。
「はい、監査官。システムによる判定では、事故発生リスクは0.1%程度です。監査官はカテゴリー3の資格があるので、問題ありません」
「お前は、本物の現場に行ったことがあるのか?」
「ありませんが、シミュレーションで何回も体験しています。それに、私の資格ではカテゴリー4でも可能です。今回の任務には全く問題ないのではないのかしら」
「そうじゃない。あそこに行くだけなら、いくらでも連れて行ってやる。だが今回行くのは坑道内だ。それも今は使われていない場所だ。あんたみたいな女が行く場所じゃない」
俺も続けた。
「わたしもそう思います。監査官は専門家かもしれませんが、現場のことは現場に任せてもらえませんか。俺たちが帰還すれば、VRシステムで確認できます。触感どころか、味やにおいまで再現できる。わざわざ危険を冒す必要はありません」
俺は咄嗟に受話器へ手を伸ばしかけた。
船長や副長が危惧していたのは、まさにこれだ。
かなり強くねじ込まれていたが、それでも拒絶していたのだろう。
俺が受話器に手を伸ばしかけた、その動きを遮るようにアレナが言った。
「内部監査中の外部連絡は禁止されています。外部への連絡はしないでください。……そうですよね、クリフ」
クリフがすぐにうなずいた。
こいつにとっては、船長よりも監査官のほうが“上”なのだ。
ペドロがクリフに向かって一歩踏み出した。
「てめえ、いったい何を考えていやがるんだ」
クリフはひるんだように肩をすくめ、視線をそらしたまま口を開いた。
「……危険はないはずだ。問題ない。これは、その……監査官の指令によるオペレーティングルームの判断だ」
「ごめんなさい。これは私のわがままなの。どうしても現場を見ておきたいの」
アレナは、さっきまでの事務的な態度をふっと緩めた。
その声には、妙な作為はなく、本気でそう思っているように聞こえた。
「……あそこは、女が入るような場所じゃない」
ペドロは強く言い切るでもなく、言葉を探すように視線をそらした。
“危ないから”とも“汚れるから”とも言わず、曖昧なまま濁す。
「女の人、ですか?」
アレナの声がわずかに硬くなる。
「女性だからダメなんですか?女性じゃダメな理由があるのですか?」
その隙を突くように、クリフが口を挟んだ。
「君たちは意見はできるが、これは監察官による決定事項だ。規則上も問題がない。
わが社では、安全と判断され規則遵守である限り、業務に拒否権はないはずだが?」
ペドロはクリフを睨んだまま押し黙った。反論はしなかった。いや出来なかったのかもしれない。
彼が“スラム出身らしい”という噂は聞いたことがある。
決められた枠から外れることへの恐怖――
それを、彼は俺よりずっと強く知っているのかもしれない。




