第3話 エリート
地球から遠く離れたアステロイドベルト。
そこに暮らす俺たちにとって、宇宙は冒険の舞台ではなく、ただの職場だった。
そんなある日、六十年間ほとんど変化のなかった俺たちの生活に、地球から一人の監査官がやってきた。
彼女の名前は、アレナ・イエリク。
なぜ彼女は、わざわざここまでやって来たのか。
そして、彼女が調査するという「旧坑道」には、いったい何があるのか。
静かな日常が、少しずつ動き始める。
アレナはすぐにタブレットへ視線を落とした。副長のミサが、わずかに肩をすくめる。
「ユイト、ペドロ。現地審査は任せたわ。カテゴリー3の任務だから事故には十分注意して。それから、ミッションルームまでは……B5ルートでお願い」
B5ルート。明らかに、このミーティングルームから遠回りだ。
しかも今は、ちょうど各ポジションの引き継ぎの時刻。
つまり――
この監査官を、他の乗員とあまり合わせたくないということだ。
なぜ監査官の情報がほとんど伝わってこなかったのか、ようやく理解した。
船長と副長は、アレナを船員の目に触れさせたくないのだ。
極端な環境のこの船には、女性の乗組員は数えるほどしかいない。
ましてや、若くて美人となると。
荒くれ者の多いこの船だ。未使用の区画も多い。
上役の命令が絶対であろうとも、こんな美人がうろつき回れば――
何が起こるか分かったものじゃない。
俺たちが選ばれた理由も、ようやく腑に落ちた。
俺たちは、そういうことを起こしそうにない人間だ。
「アレナ監査官。では準備ができ次第、少し遠いですがオペレーティングルームに向かいましょう」
そう言いかけたところで、アレナが口を挟んだ。
「監査官ではなく、アレナと呼んでいただいて結構です」
まったく。
俺は“監査官”と呼んだほうがよほど話しやすいのに。構わず続ける。
「では……アレナ。オペレーティングルームでは、私たちの準備に少し時間がかかります。
それに、調査そのものにも時間がかかる。最低でも半日は見ておいてください」
アレナはわずかに首を傾げ、無表情のまま、タブレットに視線を落としている。
「ご存じでしょうが、あそこは設備が簡素です。排せつや飲食の施設は、作業に必要な最低限の基準しか満たしていません。手洗いやトイレに行く必要があるなら、今のうちに済ませておいてください」
言いながら、俺は心のどこかでため息をついていた。ミサから、アレナの経歴がさりげなく伝えられた。
地球のオックスフォード大学を飛び級で卒業し、在学中に監査員資格や司法関係の資格まで取得。宇宙については、ハイスクールの時代に初体験、その後、大学在学中にコロニー9――教育機関が集中しているコロニー――に宇宙留学
そのままマテリアル社の企画開発部門に、トップの成績で就職してきたという。
さらに、名門一族の出身らしい。
つまり――“お嬢さん”。
いや、“お嬢様”か。
なんでこんなところにわざわざ・・・
後ろのペドロが、さらに顔をしかめているのが、見なくても分かった。
“ほら見ろ、余計な奴だ”
“絶対面倒なタイプだ”
そんな声が、言葉にしなくても背中から伝わってくる。
俺は心の中で小さくため息をついた。
アレナの異物感は、どうやら経歴の時点で確定していたらしい。ミサは申し訳なさそうに、そしてどこか心配そうに言った。
「私は……あそこには行けないの。もう放射線の許容値をオーバーしているから」
女性の許容値は男性より低い。
ましてやミサのような副長は、船内の調整や緊急対応で被曝する機会が決して少なくない。
常に上限ギリギリ――いや、実際には何度も超えているのだろう。
“想定外”として活動することはできる。
現場では、そういう抜け道を使わなければ回らない場面も多い。
だが、監査は想定外ではない。
ましてや本社の監査員が目の前にいる状況で、その抜け道を使うわけにはいかない。




