第13話 コロニー9
地球から遠く離れたアステロイドベルト。
そこに暮らす俺たちにとって、宇宙は冒険の舞台ではなく、ただの職場だった。
そんなある日、六十年間ほとんど変化のなかった俺たちの生活に、地球から一人の監査官がやってきた。
彼女の名前は、アレナ・イエリク。
なぜ彼女は、わざわざここまでやって来たのか。
そして、彼女が調査するという「旧坑道」には、いったい何があるのか。
静かな日常が、少しずつ動き始める。
ペドロ、アレナ、そして最後に俺が、移動用リフトへ向かってゆっくりと進んでいく。
か細い強化繊維と金属でつくられた LMS(Linear Magnetic Slingshot)。
電磁力で船と小惑星をつないでいる、その細いラインが見える。
この LMS を利用して、小惑星へ移動する。
ここは、陰影のない世界。モノクロームの世界。
もちろん音もない。何もない。
ただ、俺たちだけが静かに動いている。
アレナが、ふと首をかしげた。
あれは……どこかで――。
その瞬間、鼻腔をかすめる感覚があった。
アレナの髪の匂いだ。
ありえない。
ここは真空だ。
空気も、風も、匂いを運ぶ媒質すら存在しない。
なのに、確かに“匂い”がした。
胸の奥で、何かの蓋が外れる音がした。
――コロニー9。
10年ほど前。
当時学生だった俺は、コロニー9の大学に通っていた。
モルガン先生。
気さくな笑顔が浮かぶ。
優しく、親切で、強い女性。
野心家で、自信家でもあった。
そして、その隣に座っていた少女。
地球から来た天才少女。
あどけなさを残しながら、大人の階段を一気に駆け上がっていくように見えた少女。
名前を思い出すより早く、モノトーンのこの世界がふっと色を取り戻し、
鮮やかな光景が目の前に広がる。
予定より早く現れ、モルガン先生の横で、
すっと立ち上がった短髪の少女。
そして、その時の声。
「イギリスのロンドンから来ました。アレナ・イエリクです。よろしくお願いします」
「しばらくの間、お世話になります」
その瞬間、今目の前にいるアレナと、記憶の中の少女が重なった。
そうだとすると、アレナの目的は――。
いや、それしかない。
三年前の事故。
胸の奥がざわつくのを抑えきれず、思わず口をついて出た。
「アレナ……モルガン先生、なのか?」
アレナのバイザーの奥の目が、一瞬だけ瞬いたように見えた。
ペドロの体もまた、ピクリと動いた。
……もしかして、ペドロはモルガン先生からアレナのことを聞いていたのか?
最初に会った時から、アレナが俺と同じくモルガン先生のもとで学んでいたことを、すでに知っていたのかもしれない。
いや、知っていてもおかしくはない。
モルガン先生とペドロは、俺なんかよりずっと深い関係だったのだから。
アレナが静かに言った。
「ユイト。今は任務中です。すべて AIRS にログが取られています。
昔話は、帰ってからにしましょう」
その声は落ち着いていた。
だが、その奥に微かな震えがあった。
そして――
三年前の、あの事故。
その記憶の蓋もまた、ゆっくりと開いていくのを感じた。




