第210話 思わぬ来客
外の騒ぎはまだ完全には収まっていなかった。グレンの手はすでに扉板にかかっており、あと一瞬で押し開けられるところだった。
屋内の空気は凍りついたように張り詰め、アッシュは長剣を握る手に力を込め、エルセリアは息を殺して動かない。
その時――
「おい、グレン! こんなところで何してる?」
外から、どこか気の抜けた、笑いを含んだ声が飛んできた。
扉にかかっていた手の動きが止まる。
グレンは振り返り、眉をひそめた。聞き間違いかと思ったような顔だった。
人垣の向こうから、手を振りながらカヴィが歩いてくる。村人の肩を軽く叩いて道を開けさせながら、
「はいはい、もう散った散ったよ。大丈夫だって、全部俺のせいだからさ。ここにいるのは黙っててくれって頼んだら、逆にみんな変に緊張しちゃってさ。悪い悪い」
と言って、グレンの前で足を止め、白い歯を見せて笑った。
「久しぶりだな、グレン」
グレンは一瞬言葉を失い、それから目を見開いた。
「……カヴィ?」
カヴィは眉を上げ、褒められたみたいに笑う。
そのやり取りを見て、外にいた村人たちは一気に緊張が抜けたようにざわめき始め、騒ぎは波のように散っていった。
一方、家の中ではアッシュの剣を握る力が少しだけ緩んだが、胸の重さは逆に増していた。
――カヴィが、王国の竜騎士と知り合いだと?
カヴィはメレーンの方を振り向き、軽い口調で言う。
「ごめんね婆さん。この騎士さん、俺の知り合いなんだ。ちょっと家を借りて昔話でもしようと思ってさ。さっきの騒ぎは全部俺のせい、村は関係ない」
わざと声を大きくしていた。グレンにも、村人にも、そしてこの家の中にいる者にも聞こえるように。
メレーンは状況の急展開についていけない様子だったが、とりあえず頷いた。
「そ、そうかい……じゃあ少し話したら、早めに出ていっとくれよ」
「もちろん」
カヴィは先に扉を開けて中へ入る。
軽い足取りだったが、家に入った瞬間、さりげなく部屋の奥――アッシュたちが隠れている方へ視線を走らせ、そのまま体の向きを変えて視線を遮った。
「ほら、座れよ」
テーブル横の椅子を指し、わざと奥の部屋に背を向ける位置にグレンを座らせ、自分は反対側にどっかりと腰を下ろす。
グレンは半分だけマントを外し、椅子に座るとすぐに言った。
「それにしても、どうしてこんな辺鄙な村にいる?」
「俺が今どこの誰に仕えてるか、知ってるだろ?」
カヴィは肩をすくめる。「あの方が殿下の行方を知りたがってるんだ。王国より遅れるわけにはいかない」
グレンは小さく頷いた。
「まだあの方に仕えているのか」
「そりゃあな。あんな楽な仕事、そうそう辞められない」
軽口を叩きながらも、カヴィは横目でグレンを見る。
「で、ここでお前に会ったってことは、殿下がこの辺りにいるって情報は本当らしいな」
グレンの表情がわずかに曇る。少し声を落とした。
「殿下が山から落ち、渓流に流された。隊を分けて捜索中だ」
「なるほどな」
カヴィはまるで他人事のように頷く。
「川辺では手がかりはなかったのか?」
グレンはそれには答えず、逆に尋ねた。
「お前の方はどうだ。まるで最初からこの辺りにいると分かっていたような動きだ」
「俺?」
カヴィは見えない釣り糸でも振るように手を動かし、軽く笑う。
「多少の情報はあるさ。でも質問の仕方が違うな。お前が聞きたいのは、俺が手がかりを持ってるかどうかか、それとも――俺が先に殿下を見つけたらどうするか、だろ?」
グレンの目が鋭くなる。
「もし先に殿下を見つけたら、お前は連れて行くのか」
カヴィは顔を上げ、わざと少し大げさな笑みを浮かべた。声もわずかに大きくする。
「連れて行くかどうかは本人次第だろ? うちの主人は、お前ら王国みたいに乱暴なやり方はしないんでね」
冗談のようで、棘のある言い方だった。
奥の部屋でそれを聞いていたアッシュの胸が大きく揺れる。
――あの方。
カヴィが仕えているのは、どこの勢力だ。
今、あいつは自分を助けているのか、それとも別の思惑があるのか。
アッシュは思わず壁際に座り込むエルセリアの方を見る。彼女は膝を抱え、できるだけ気配を消すようにしていたが、彼の視線に気づいて顔を上げ、静かに首を横に振った。
――彼女も、知らない。
その表情に迷いはなく、嘘をついている様子もない。
だからこそ、アッシュの中の疑問はさらに深くなる。
グレンはしばらくカヴィを見つめ、半ば冗談、半ば本気のような声で言った。
「……まさか、もう殿下を匿っているんじゃないだろうな」
アッシュは思わず息を止める。
だがカヴィは全く慌てる様子もなく、むしろ楽しそうに笑った。
「もし本当に匿ってたら、こんなところでお前と世間話してると思うか? 正直言って、王国相手に人を奪い合うのは骨が折れる。お前らは竜も竜騎士もいる、こっちはこの足二本だけだ」
グレンはそれ以上この話を続ける気はないらしく、椅子から立ち上がり、マントを翻した。
「俺は捜索に戻る」
「頑張れよ」
カヴィも立ち上がり、からかうように肩を軽く叩く。
「何か分かったら、俺にも教えてくれ」
グレンは家の奥の方を最後にもう一度だけ見た。その目にはまだ警戒が残っていたが、結局奥へは踏み込まず、小さく頷いて外へ出ていった。
カヴィもそのまま後ろについて外へ出る。
扉が閉まる直前、彼はふいに振り返り、奥の部屋の方へ向かって大げさに変な顔をしてみせた。
まるでこう言っているようだった。
――また一つ、助かったな。
――でも、本当に面倒なのはこれからだぜ。




