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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第二十章:忘却の村

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第209話 訪問者

 村の入口に戻った時、村はすでに騒然としていた。子どもたちは空を指差して跳ね回り、大人たちは集まって口々に話し、桶の縁を掴んだまま興奮で足元がおぼつかない者までいる。


「本当に見たんだ! 林の上を飛んでた、山みたいに大きな影だった!」

「竜だろ? あれは竜だろ? あの翼……絶対そうだ!」

「どうしてこんなところに竜が来るんだ?」


 皆が一斉に話し、ただ一度目にしただけで一生語れる出来事に出会ったような顔をしている。


 エルセリアはアッシュの姿を見つけると、すぐに駆け寄ってきた。恐怖で青ざめていた顔は、彼が無事だと分かるとすぐに血の色を取り戻す。


「無事ですか?」

 声は急いて、語尾がわずかに震えていた。「私はてっきり……」


「大丈夫だ」

 彼が低く答えると、彼女は思わず彼の袖を掴んだ。本当に無事なのか確かめるように。


 アッシュは何か言おうとして、ふと気づく。自分より先に村へ戻ったはずのカヴィの姿が、人混みの中に見当たらない。

 その時、メレーンが人の間をかき分けてやって来た。鋭い目で二人の様子を一瞬見ただけで、ただ事ではないと察したらしい。

 何も聞かず、二人の背中を押すようにして家の方へ向かわせる。


「家に入りな、早く。外が騒がしくなるほど、あんたたちは表に出ない方がいい」

 声を潜めながら扉を押し開ける。

「安心しな、私がいる。変なことにはさせねえよ」


 エルセリアが何か言おうとして息を詰めると、メレーンは彼女の肩を軽く抱き寄せ、子どもをあやすような声で言った。


「不安なのは分かる。でもこの村じゃ私の方が長く生きてる。行きな、あとは私がやる」

 そして振り返り、もう一度だけ低く言う。

「先に隠れてな。声を出すんじゃないよ」


 扉が閉まり、家の中は一気に静かになった。


 アッシュは手を上げ、エルセリアに近づかないよう合図すると、窓際へ移動し、板の隙間から外を窺う。


 やがて、林の方から大柄な男が早足でやって来た。獣皮の上着に弓を背負い、長い髭を生やしている。村人が話していた特徴と一致する。

 紹介されなくても分かった――ロアンだ。


 ロアンは興奮した様子で身振り手振りを交えながら村人に話している。

「すぐ近くだ! 林の端に降りたのをこの目で見た! 正統王国の竜騎士だぞ! 一度でも生で見たら一生の自慢になる!」


 そこまで言った時、彼の後ろからもう一人の男が現れた。

 鎧が陽光を受けて銀白に光る。王国軍の正式装備だった。頬に古い傷が一本走り、目は落ち着いて鋭い。騒がしい村の中でも、まるで整列した軍列の中に立っているかのような姿勢だった。


 アッシュは一目で彼を認識した。

 ――グレン。

 西域の戦いで同じ軍列にいた竜騎士だ。こんな場所で彼を見るとは思ってもいなかった。胸の奥が強く縮む。偶然のはずがない。


 彼はすぐに窓から身を引いた。エルセリアがその反応に気づき、小声で尋ねる。

「どうしたんですか?」


 アッシュは答えず、静かに「黙っていろ」と手で示した。


 外では、グレンが低く落ち着いた声で村人に挨拶している。礼を尽くした口調だが、任務を背負う者の圧がにじんでいた。


「王命により、ある失踪者を追っています。このところ、村に外から来た者はいませんでしたか」


 村人たちは顔を見合わせる。さっきまでの賑やかさが一瞬で消えた。

 最初に前へ出たのはメレーンだった。


「いないよ」

 即答だった。ほとんど他の者が口を開く前に言葉を被せるような速さだった。

 彼女は近くの村人を振り返る。

「そうだろ? 最近誰も来てない。ここにいるのは昔からの顔ぶれだけさ」


「え、うん……そうだな」

「来てねえよ、来てねえ」

 何人かが慌てて合わせるが、声には明らかな綻びがあった。


 他の村人たちの顔にも迷いが浮かんでいる。嘘に慣れていない者たちが、突然芝居を始めたような空気だった。


 グレンがそれに気づかないはずがない。

 彼は視線をわずかに落とし、地面を見ているようで、実際には一人一人の反応を観察していた。


「これは非常に重要な件です」

 声は変わらず穏やかだが、先ほどより重い。

「どうか正直に話してください。外の者がいたとしても、王国は村を守ります。責任を問うことはありません」


 村人たちの間に、また落ち着かない空気が流れる。


「村の者は全員ここに?」

 グレンが尋ねると、

「竜が出たから、みんな外に出てきてる……たぶん、ほとんどは……」

 歯切れの悪い答えが返る。


 グレンは周囲を見渡した。

 長年の軍務と経験が告げている――誰かが隠れている。


 彼はゆっくりと向きを変え、一軒の家の方へ視線を向けた。

 窓の隙間からそれを見ていたアッシュの心臓が強く縮む。すぐに窓から離れる。エルセリアも異変を察し、椅子に触れた指がわずかに動き、かすかな不自然な音を立てた。


 その小さな音が、ちょうどグレンの耳に入った。

 彼はすぐにその家の方へ向き直り、落ち着いた足取りでまっすぐ歩いてくる。


 屋内の空気が一瞬で張り詰めた。


 メレーンがすぐに二歩前へ出て、彼の前に立つ。

「そこは私の家だよ。中には誰もいない。さっき煮たスープがまだ湯気出してるくらいだ、外の人間がいたら分からないわけないだろ」


 グレンは足を止め、小さく頷いた。彼女の強い口調は理解している様子だった。

「失礼をお許しください。決して疑っているわけではありません。ただ手続きとして確認させていただきたい」


 丁寧な言い方だったが、引く気はない。


 メレーンは眉を寄せ、まだ遮ろうとしたが、彼の態度があくまで礼を守っていることを見て、これ以上拒めないと判断したらしい。体を少し横にずらし、狭い通り道だけを空けた。


「……いいよ。ただし、外から見るだけだ。中の物には触るんじゃないよ」


 アッシュは素早くエルセリアの手を掴み、奥の部屋へ下がると、木の扉を半分閉め、壁際に隠れるよう合図する。

 部屋の隅に置いてあった、布に包まれた長剣を取り上げる。抜いた時、金属の擦れる音が暗い室内にやけに大きく響いた。


 足音との距離を測る。頭の中で素早く状況を整理する。


 相手は一人。


 呼吸を抑え、剣の柄を握り締め、左脚の痛みに耐えながら扉の脇の壁に身を寄せる。


 ――グレンを倒せば。

 そこまで考えた瞬間、扉の向こうに人影が止まった。


 次の瞬間、扉が静かに、しかしはっきりと叩かれた。

 金属の擦れる音が、室内に冷たく響く。

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