第196話 火と洞穴
アッシュは岩に手をついて体を起こし、深く息を吸った。
「まっすぐな木板を何枚か拾ってきてくれ」
低くそう言うと、エルセリアは一瞬きょとんとしたが、すぐ意味を理解してうなずき、近くの壊れた木片の山へ駆けていった。
やがて比較的平らな板を二枚選び、彼のもとへ持ってくる。
アッシュは黙ったまま、それを足首の両側に当て、腰帯を外して固定し、裂いた布でしっかり巻いた。
動きは無駄がなく、慣れている。
エルセリアは横でしゃがみ込み、その様子を見守っていたが、眉の皺は消えない。
「それで……本当に大丈夫なんですか?」
「しばらくはな」
アッシュは右足に体重を移し、ゆっくり左足を地面へ下ろす。
痛みはまだあるが、さっきのような骨を削るような激痛ではない。
近くの木から長めの枝を折り、余分な小枝を削り落とし、脇に当ててみる。
「……これでいける」
まるでただ足をくじいただけのような落ち着いた口調だった。
だがエルセリアは明らかに納得していない。
手を差し伸べようとして、触れていいのか迷っている様子だった。
アッシュは渓の方へ目を向ける。
「馬車の荷物がある」
少し間を置く。
「ここにいろ。水に近づくな」
エルセリアはすぐ首を振った。
「私も一緒に――」
「地面が滑る」
彼は穏やかだがきっぱり遮る。
「一人の方が早い」
彼女はそれ以上言い返さず、少し高い乾いた場所に立って彼を見守るしかなかった。
渓のほとりには、流されて散った木枠や布が残っている。
いくつかの箱はすでに割れ、衣服は水を吸い、食料もばらばらに散っていた。
アッシュはしゃがみ込み、使えそうな物を探す。
ほとんどが駄目だった。
だが木片の間に、見慣れた柄を見つける。
引き抜くと、長剣だった。
鞘に収まったまま、水に洗われて鈍く光っている。近くには、小刀も木板の隙間に挟まっていた。
剣を一度見下ろし、彼の口元がわずかに動く。
ラッセルは逃亡を警戒していたはずだ。それでも剣は馬車に残していた。
信頼ではない。
ただの習慣だ。
「騎士は剣を手放さない」という、あの男の流儀が、皮肉にも自分を守ることになった。
アッシュは小刀を腰に収め、比較的乾いた布をいくつか巻き取ってから、剣を引きずって平地へ戻る。
エルセリアがすぐに駆け寄り、彼を支えた。
「何か見つかりましたか?」
「使えそうなのは……これくらいだ」
荷を置き、アッシュは森の奥を見た。
林はそれほど密ではないが、視界を隠すには十分だ。背後では渓の流れる音が絶えず続き、時間が止まらないことを思い出させる。
彼はしばらく黙っていた。
空を見上げ、渓の流れを確かめ、山の稜線へ視線を移す。太陽はすでに西へ傾いている。このまま川沿いにいれば、夜はかなり冷え込む。
「水辺から離れる」
アッシュは言った。
エルセリアは理由を聞かず、うなずく。
「夜を越せる場所を探す。暗くなる前に火も必要だ」
「わかりました」
彼女は剣を抱えた。思っていたより重いが、文句は言わず両腕でしっかり支える。
アッシュは小刀を腰に差し、枝を杖にして歩き出す。エルセリアは自然に彼の隣に並び、片手で腕を支えた。
彼は「必要ない」と言いかけたが、結局言わなかった。
二人は少し高い斜面をたどって森へ入る。地面はまだ固く、滑るほどではない。アッシュの歩みは遅いが安定している。幹の苔の向きや地形を見ながら、低地を避けて進んだ。
エルセリアは黙ってついてくる。
やがてしばらく歩くと、山の斜面が少し内側にえぐれ、岩壁の下に小さな洞穴が見えた。奥行きは浅いが風は避けられる。地面も乾いており、新しい獣の痕跡はない。
アッシュは入口で耳を澄ませる。
森には風の音しかない。
「ここでいい」
エルセリアが先に入り、剣を岩壁に立てかける。振り返って彼を支え、洞内へ導いた。
外より冷たいが乾いている。夜露も避けられる。
アッシュは岩壁にもたれて座り込み、長く息を吐いた。
洞口の光はすでに弱くなり始めている。
「火が必要だ」
「枝を拾ってきます」
彼女はすぐ立ち上がる。
アッシュは顔を上げた。
「遠くへ行くな」
エルセリアは小さく笑った。
「近くで拾います」
ただ彼のために何かをする――それだけの軽い声だった。
彼女は洞口から出ていく。淡い色の裙が木陰で揺れ、やがて林の中でしゃがみ込み、乾いた枝を集め始めた。
風が洞穴へ流れ込み、湿った土と木の匂いを運ぶ。
渓の音は、さっきより遠くなっていた。
森は静かで、呼吸の音まで聞こえそうだった。
アッシュは固定した左脚を見下ろす。
ひと晩持てばいい。
明日まで持てば――
ラッセルが見つける。
ほとんど反射のように、そう思った。
だがその考えが浮かんだ瞬間、彼はふと止まる。
……そうだ。
あいつらは無事なのか。
崩れた時、隊列はまだ上だった。
物資車がぶつかったとしても、騎士たちには退く時間があったはずだ。
――はずだ。
ラッセルが馬を引き返す姿が脳裏をかすめる。
あの反応なら、隊全体が巻き込まれることはない。
そう思おうとするが、記憶は水に流されたように断片的だった。
一瞬、視界がぼやける。
岩壁に手をつき、目を閉じる。
再び開くと、洞口の光はさらに暗くなっていた。
エルセリアは少し離れた場所で、集めた枝の山を前に困っている。
枝をぶつけたり、角度を変えて擦ったり、最後には全部積み上げてじっと見つめていた。
火がつかない。
彼女は眉を寄せ、小さく何か呟いている。まるで禁忌の儀式でも試すかのような真剣さだ。
アッシュはしばらく見てから声をかけた。
「……何をしている?」
彼女はびくっと顔を上げた。
「起きてたんですか?」
心からほっとした声だった。
「枝は拾ってきたんですけど……」
枝の山を見て言葉が止まる。
「……違います」
彼女は素直に言い直した。
「火の起こし方がわからないんです」
アッシュは笑わなかった。
枝を一瞥し、ゆっくり体を起こして隣へ移動する。
「湿りすぎだ」
上の枝をどけ、乾いた細枝を選び、小刀で薄い削り屑を作る。
動作はゆっくりだが手慣れている。
削り屑を中央に置き、指先で小さく火を灯した。
かすかな火が生まれ、ゆっくり広がる。
エルセリアの目が明るくなる。
火だけではない光だった。
「……聖堂でも、こうやって蝋燭に火をつけていましたよね」
彼は答えず、火を安定させる。
「次からは起こせ」
淡々とした声。
エルセリアは首を振る。
「すごく疲れているみたいだったから」
彼女は彼を見た。
「自分でできると思って……」
声は火のはぜる音に消えそうだった。
アッシュは少し黙り、それからふと尋ねる。
「高度な治療魔法は使えるのに、生活魔法は知らないのか」
責める声ではなく、純粋な疑問だった。
エルセリアは少し驚いた顔をする。
「そういうことは……侍者がやります」
視線を落とし、小さく付け加えた。
「私は治療だけに集中すればいいので」
アッシュは短く彼女を見つめる。
能力、経験、行動――頭の中で静かに照らし合わせる。
何か言おうとしたが、思考が霧に覆われるようにぼやけた。
それ以上は聞かなかった。
エルセリアはふと思い出したように、裙の横から小さなものを取り出す。
「これも拾いました」
掌を開く。
しなびた木の実がいくつかと、松ぼっくりが二つ。
「食べられるかわかりませんけど」
森で宝物を見つけた子供のような声だった。
アッシュは一つ手に取り、匂いを確かめ、少し潰してみる。
「食べられる。味は期待するな」
エルセリアはすぐ笑顔になった。
「それでも十分です」
火の光が彼女の顔を照らす。
山道にいたときより、ずっと軽い表情だった。
慌てる様子も、文句もない。
危機感さえほとんどない。
アッシュは岩壁にもたれ、火の揺れを眺める。
一瞬、時間がずれたような感覚がした。
渓の音は遠く、さっきの落下が本当に起きたこととは思えないほどだった。
彼は目を伏せる。
ただ疲れているだけだ。
きっと、それだけだ。




