第184話 眠れぬ夜の疑問
夜は深く、まるで時間そのものが凍りついたかのように静まり返っていた。
アッシュはベッドの上で何度も寝返りを打ったが、どうしても眠れない。
胸の奥に何かが引っかかっているようで、深く息を吸おうとするたびに、頭の中では断片的な思考が何度も反響していた。
王国と教国がともに織り上げてきた千年の物語。
アエクセリオンの死。
リゼリアが隠している「真実」。
そして——セドリック。
それらは消えない霧のように思考の奥に溜まり、呼吸さえ重くさせてくる。
アッシュは額に手を当て、目を閉じた。だが、耳に入ってくるのは自分の早く乱れた鼓動だけだった。
なぜセドリックは「一か月前」からすでに辺境にいたのか。
その頃、彼がリュミエラで教国に連れ去られたという情報はまだ外に出ていなかったし、王国でも衝突の兆しなどまったく知られていなかった。普通に考えれば、宮廷も軍部も先に動くはずがない。
それなのに、セドリックはすでに辺境で準備を整えていた。まるで、崩壊が起こることを最初から知っていたかのように。
その正確さは、思い返すだけで背筋が冷えるほどだった。
彼は急に派遣されたわけではない。あの場所で、最初から待っていたのだ。
まるで死角に駒を置き、すべてが崩れる瞬間を待つ棋士のように。
(いや……)
(誰かに、何かを聞かされていたようにも見える)
セドリックの態度も、あの目も——研究者や顧問というより、これから必ず起きる出来事を知っている人間のそれに近かった。
今日の会話の最中も、はっきり感じた。
(あいつは俺を見ている……)
(行動じゃない。俺が「何になるのか」を待っている)
アッシュは再び目を閉じる。
数日前、リゼリアによって明かされた事実が思い出された。
竜族の中に「王」は存在しない。
繫名者の頂点などというものもない。
竜の階序や力の差、種族ごとの性質は確かにある。だが、それはすべて自然に生まれるものであって、人間が考えるような「王」という概念ではない。
つまり、「竜王」という存在そのものが、人間が作り上げた神話だった。
王国が「竜を統べる権威」を誇示するために作った物語。
では——アエクセリオンは何だったのか。
王国に「竜王」と呼ばれ、何百年も王家を守護してきた伝説の竜。
しかし本当は、彼は一度も人間に仕えたことなどないのではないか。
彼が選んできたのは王ではなく、あの「卵」だった。
もしそうなら、第七王子を選んだ理由も王家や王国ではない。ただ、その卵を託すためだったことになる。
では、アエクセリオンが残した言葉は何だったのか。
リゼリアに託した「真実」とは。
アッシュの喉がきゅっと締まった。
リゼリアは知っている。竜族に王がいないことを。
竜と会話できることを。
そして王国の物語が偽物だということを。
さらに——アエクセリオンが死んだ瞬間。
彼女は、そこにいたのだろうか。
あれは偶然知った情報ではない。
きっと彼女は、アエクセリオンと直接話している。
なぜ彼が死んだのかも知っている。
そして、その真実は——少なくとも、あの時の自分には語れないものだった。
だから彼女は、答えを隠した。
自分で見つけろと。
それはつまり、人を揺るがし、あるいは壊してしまうほどの「終わりの答え」なのかもしれない。
そしてふと、認めたくない考えが浮かんだ。
もし、いつかその真実を知ったとき——
彼女は自分の前からいなくなるのではないか。
次の瞬間、別の恐れが胸を満たした。
竜でも、王国でも、教国でもない。
リゼリアを失うことへの恐れだった。
アッシュは起き上がり、天井を見つめる。胸の重さは消えず、思考は散らばったまま戻らない。
(……これじゃ眠れるわけがない)
彼は深く息を吸い、ようやく諦めた。
毛布を払いのけて立ち上がる。
リメアに会いに行こうと思った。
ずっとそばにいて、何も求めず、何も問い詰めず、ただ静かに寄り添ってくれる存在。
そういえば、彼女がどう考えているのかを、彼はまだ一度も本当に聞いたことがなかった。
竜王という嘘について。
この世界について。
アエクセリオンの死について。
そして——自分について。
今夜は、それを聞くべきだ。
アッシュはマントを羽織り、静かに部屋を出た。
誰にも見つからない夜のうちに、竜舎へ向かう。
竜舎の中には、弱い夜灯がひとつだけ灯っていた。干し草の香りとほのかな温もりが漂い、夜の静けさが木壁のあいだに重く沈んでいる。
干し草の上で丸くなっていたリメアは、足音に気づくとすぐに顔を上げた。
銀白の鱗が灯りを受けて淡く青く輝き、小さな月のように見える。
【アッシュ……? どうしてこんな時間に?】
アッシュは歩み寄り、彼女の頭にそっと手を置いた。
鱗が小さく震える。それは安心したときの反応だった。
「眠れないんだ」
彼は隣に腰を下ろし、背中を木柱にもたせる。
リメアは静かに近づき、頭を彼の膝に預けた。繫名の竜である彼女は、彼の心の揺れを誰よりも敏感に感じ取っている。
【……あの、うるさいおじさんが来たって聞いた】
もちろん、セドリックのことだ。
アッシュは小さく苦笑した。
「……それもある」
少し黙ったあと、彼は言った。
「リメア。聞きたいことがある」
幼い竜は姿勢を正し、銀色に青を帯びた瞳を瞬かせながら彼を見つめる。
アッシュは息を整えてから、ゆっくりと口を開いた。
「竜王のことだ。俺はずっと、お前は生まれたときから『竜王の候補』で、いつかアエクセリオンの後を継いで竜族を導く存在になるんだと思っていた」
リメアは黙って聞いている。なぜ今その話をするのか分からない様子だった。
アッシュは続ける。
「……お前は、どう思っている?」
彼はまだ口にしていない。
竜族にはそもそも王など存在しないということを。
知りたかったのだ。
この子は自分の言葉を信じてそう思っているのか。
それとも、まったく別の答えを持っているのか。




