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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第十八章:ヴァロワ辺境堡

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幕間 赤髪の魔導師、あの子と出会う

 はるか昔のある日。


 その頃――セドリック・ローンが王国に仕えてまだ一年にも満たない時期だった。


 しかし彼はすでに、圧倒的な魔力と魔導器の改良成果によって王都で大きな騒ぎを起こし、前任の顧問に代わって宮廷魔導顧問の座に就いていた。



 午後の騎士団訓練場は、いつも通り騒がしい。

 鎧のぶつかる音、木剣の打ち合う音、叱声と荒い息が混ざり合い、熱気が空気の中で渦を巻いている。


 セドリックは高台の縁に立ち、頬杖をついたまま、その光景を退屈そうに眺めていた。


 王国で魔力を持つ者は年々減っている。

 いても微量で、魔導器で増幅してようやく戦える程度だ。


 魔導兵器が急速に進化していくこの時代に、肉体と竜の力に頼る古い竜騎士の戦い方は――いずれ淘汰されるだろう。

 そう思いながら、彼は小さく欠伸をした。


 そのときだった。

 訓練場へ流した視線が、ふと止まる。


 陽光を受けて、灰の髪が一瞬きらりと銀光った。

 訓練生とは思えないほど小柄な体。

 まだ幼さの残る姿。


 痩せていて、目立たず、場の中ではむしろ埋もれている。

 それなのに、その銀色だけが刃の反射のように視界に刺さった。


 セドリックは目を細め、姿勢を起こす。

 背後から低い声がかかった。


「……気になったか?」

 騎士団長ゲルハルトだった。

 普段はさほど関わりもない男が、わざわざ近寄ってくる。


「まさか、あの子が誰か知らないわけじゃないだろう?

 宮廷魔導顧問ともあろう人間が」

 意味深な笑み。


 セドリックは気だるげに返す。

「そのうち知ることになりますよ。どうせ前線では、あなた方武人とも一緒に戦うんでしょう?」


 そう言うと、返事も待たずに高台から飛び降り、少年へ向かって歩き出した。


 少年は近づいてくる気配に気づくと、わずかに体を硬くする。

 猛獣に視線を向けられた幼獣のように。


 セドリックは自然な調子で尋ねた。

「お名前は?」


 その瞬間——

 別の少年がすっと前に出た。


「魔導師の徽章をつけているなら、

 まず自分の名前を名乗るのが礼儀じゃないのか?」

 不機嫌で、どこか傲慢な声。


 後ろから追いついたゲルハルトが低く叱る。

「ラッセル、よせ」


 だがセドリックは笑った。

「構いませんよ」


 宮廷式の礼を整然と行う。

「セドリック・ローン。

 宮廷魔導顧問です」


 そして銀髪の少年の灰色の瞳と、正面から視線がぶつかった。

 静かで、透明で――

 それでいて、どこか生気の欠けた目だった。


 少年は小さく答える。

「……ノアディス」


 声は澄んでいる。

 壊れそうなほどに。


 だがその奥には、長く押し込められてきた恐怖と孤独、そして何かが断ち切られたような感覚があった。


 その瞬間。

 ——セドリックの全身の血が震えた。


 血の匂いでもない。

 魔力の漏出でもない。


 もっと微弱で、もっと古いもの。

 人間のものとは思えないほど遠い「揺らぎ」。


 あまりにも薄く、普通の魔導師なら気づくことすらできない。

 だが彼には聞こえた。

 まるで魂の奥に眠っていた感覚器が、突然目を開いたかのように。


(見つけた)


 歴史の底に埋もれていた何かの系譜。

 体系の深い層から、ゆっくり這い上がってくるような感触。


 セドリックは静かに言った。

「……そうですか。覚えておきます」


 それだけの言葉。

 だがその瞬間、見えない歯車が一つ噛み合った。


 ゲルハルトが尋ねる。

「どうだ?」


 セドリックは淡々と答える。

 だが心の中では、別の声が響いていた。


(この子は普通の王族にはならない)

(軍も、教国も、王族も――

 思い通りに操ることはできない)


(あまりに希少だ。

 もっと古い何かが、必ずこの子を見つける)


 セドリックは笑った。

 光がその瞳の奥で刃のように閃く。


 ――だが、その連中に先を越されるつもりはない。

 この子に触れ、読み解き、利用できるのは。


 自分だけだ。


 セドリックはもう一度、少年に深く礼をした。

「どうか私のことも、覚えていてください」




 それから時は流れた。

 ノアディスは、もうあの痩せた子供ではない。


 ある午後、セドリックの研究室に鈍い音が響いた。

「ドン」

 新型の魔導銃が、机の上に投げ出されたのだ。


 セドリックが顔を上げる。

 そこに立っていたのは、あの銀髪の少年だった。

 陽の光を浴びていない髪はやや灰色に見え、その冷たい表情によく似合っている。


「壊れた」

 簡潔な一言。

 謝罪の色はない。


 セドリックは眉を上げた。

「……またですか?

 これが高価な武器だと理解しています?」


 ノアディスは答えない。

 ただ手を引く。


 そのときセドリックは気づいた。

 銃床の縁に、深い赤が滲んでいる。

 眉がわずかに動く。

「おや。怪我ですか?」


 ノアディスはようやく気づいたように手を見下ろした。

 指の間から、小さな血の粒がこぼれている。


 彼は眉を寄せ、自然に魔力を流して止血した。

 その動作を、セドリックはじっと見ていた。

「……治療系の魔法は使えるのに、魔導技術は扱えないんですね」


 ノアディスは淡々と言い返す。

「それは君の問題だろう。

 壊れる武器を作る方が悪い」


 セドリックは一瞬言葉を失い、次の瞬間笑い出した。

「それなら、もっと努力しないといけませんね」


 少年は冷たく目を上げる。

「そんなものがなくてもいい。

 アエクセリオンがいれば十分だ」


 その名前を聞いた瞬間、セドリックの指先が止まった。

 ――竜王の名。

 同時に、それは王権よりも古い体系の象徴でもある。


「……そうですか」


 少年はそれ以上語る気はないらしく、代わりに尋ねた。

「西域の戦い、君も行くのか」


 セドリックは肩をすくめる。

「行かないわけにはいきません。

 魔導衝突が絡めば、王国は必ず私を最前線に送り出しますから」


 ノアディスはそれ以上何も言わなかった。

 ただ窓の外を見つめる。

 まだ姿を現していない脅威を待つように。


 やがて背を向け、部屋を出ていく。

 マントの裾が石床をかすかに擦った。


 セドリックはその背中を見送る。

 興味と、わずかな懸念が入り混じった表情だった。


「冷たいですね」

 小さく呟く。

「友達がいないのも無理はない」


 だが本当の考えは、別にあった。

(その血は、あまりに稀だ)

(誰でも近づけるものじゃない)


 視線は机の魔導銃へ落ちる。

 指先で血の跡をなぞった。

 まるで長く探していた証拠を確かめるように。


(まだ早い

 君はまだ、自分が何になるのか知らない)


(私も、まだその時を用意していない)

 ――だが、待つことはできる。


 その頃のセドリックはまだ知らなかった。

 西域の戦いが二年続くことも。

 あの子が孤独な影から王国の英雄へ変わることも。


 そして――

 その「揺らぎ」が、

 やがて大陸の秩序そのものを揺るがす運命を呼び起こすことも。

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