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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第十八章:ヴァロワ辺境堡

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第180話 風の残すもの

 ロックは明らかに、自分の得意な茶化しの領域に入ったとでも思ったのか、

 アッシュをちらりと見て眉を上げた。

「どうした? 第七王子様、やきもちか?

 まさかその死人みたいな顔で嫉妬するとはな」


 アッシュはその言葉を完全に無視した。

「……何の用で戻った」


 ロックは肩をすくめる。

「やっと聞いてくれたか」と言わんばかりの顔だ。


「前に銃の修理屋を探してやった時、連邦の話をしただろ?

 ガレスは何も言わなかったが、どうにも引っかかってな。だから少し調べ直してみた」


 アッシュは驚いた様子もなく、静かに確認する。

「……セドリックがなぜ連邦にいたのか。

 そして、どうやって王国の宮廷に入ったのか――その件か」


 ロックはいつもの気楽そうな笑みを浮かべた。

「本当はあんたたちを砦まで送ったら、そのまま出るつもりだったんだ。だが途中でちょっと耳に入る話があってな」


 そう言って自分の耳を指さす。狐のように鋭い表情だった。

「で、引き返してきたってわけだ」


 遠くでこちらを警戒している竜騎士をちらりと見て、盛大に目を回す。

「戻ってきた途端、あんたの竜騎士どもに怪しい奴扱いさ。用があるって言ってるのに、身分証明しろの一点張りだ」


 肘でアッシュを軽く突きながら言った。

「普通ならここで『わざわざ戻ってくれてありがとう』くらい言うところじゃないのか?」


 アッシュは淡々と返す。

「辺境堡に自由に出入りして、竜棚の前まで来てから止められただけでも十分だろう。……それだけ潜り抜けたのはお前の腕だ」

 少し間を置き、付け加える。

「だが、彼らも職務を怠ったわけじゃない」


 ロックは二秒ほど黙り込み、次の瞬間、頭を仰け反らせて笑い出した。

「……ははっ、なるほどな」

 笑いが収まると、マントを軽く払って言う。

「ガレスがあんたに惚れ込んでる理由、ちょっと分かった気がする」


 それから表情を切り替えた。軽薄な調子は残っているが、声の奥には情報屋らしい冷静さが混じる。

「だが殿下。俺はガレスとは違う。

 奴は義理で動く男だ。俺はそうじゃない」


「……では、なぜ従っている」


 ロックは一瞬だけ言葉を失う。冗談で逃げられないと悟ったように、小さく息を吐いた。


「……あいつに命を拾われた」

 その目には、ほんの短いあいだだが茶化しの色がなかった。

「それに、あの男は誰かに“何をしてくれる”かなんて聞かない」


 言い終えると、何事もなかったように肩を回す。

「さて、本題だ」


 外套の内側から濃い色の封筒を取り出し、アッシュに差し出す。

 アッシュが手を伸ばした瞬間、ロックは「ぱん」とそれを引っ込めた。


 アッシュは怒ることもなく、低く言う。

「……何が望みだ」


 ロックは少し首を傾け、半分だけ笑った。

「俺か? 何も、ただな——」


 視線がリゼリアへ向く。

 そして、封筒を——

 彼女に差し出した。


「え……? 私に?」

 リゼリアは明らかに戸惑った。


 ロックは優雅に小さく一礼する。

 甘く、しかし毒を含んだ声音。

「旅の途中、楽しい時間をくれた礼だ。ライラック嬢」


「受け取ってくれ」

 わざとアッシュに聞かせるような軽い調子だった。


 アッシュが眉をひそめかけた瞬間、ロックはもう背を向けていた。


「おい」

 アッシュが一歩踏み出す。

「ガレスを待たないのか」


 ロックは手をひらひら振った。まるで蠅でも追い払うように。

「行き先くらい、あいつは分かってる」

 振り返らないまま言葉だけが風のように残る。

「殿下、分かるだろう。俺が戻ったのは王族に恩を売るためじゃない」


「ただ――遅れたら手遅れになる話があるだけだ」

 が風に翻り、そのまま辺境の闇に溶けていった。


 アッシュはしばらくその場に立っていた。

 リゼリアは手にした封筒を見つめ、そっと差し出す。

「アッシュ、これ……」


 しかしアッシュは首を振る。

「君が持っていてくれ」


「どうして?」


 アッシュはロックの消えた方向を見る。

 目の奥に、次の局面へ押し出されたような静かな理解。


「彼はわかっている。

 君に渡せば、いずれ俺の手に届くと」


「それでも、そうした」

 つまり――その中身は、ただ俺に知らせるためのものじゃない。


 リゼリアにも関わる話だ。

 アッシュは静かに言った。


「……先に読んでくれ、

 俺に見せるのは、その後でいい」


 リゼリアは封筒を握りしめる。

 これは、アッシュの運命だけではない。

 彼女と、リメアと——

 その先の未来をも巻き込むものだと感じていた。


 封筒を胸元にしまい、深く息を吸う。

「……じゃあ、リメアに会いに行こう」


 アッシュは頷く。

 二人は並んで竜棚へ向かう。


 石壁の隙間から吹き込む冷風が、

 囁くように告げる。

 ——本当の嵐は、この手紙から始まる。

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