中央管理局の内部へ
ハッチの隙間から漏れる光と、規則的な機械の作動音。人の気配はない。ニコは、最後の力を振り絞って、重いメンテナンスハッチを押し上げ、音を立てないように注意しながら、中央管理局の内部へと滑り込んだ。すぐにハッチを静かに閉め、内側から簡易なロックをかける。これで、ダクトからの追跡は、少なくともすぐにはないはずだ。
彼が降り立ったのは、薄暗い、しかしB4Fの闇とは質の違う、機能的な明かりに照らされた空間だった。壁一面に設置された配電盤、そこから伸びる無数の太いケーブル、そして低く唸りを上げる変圧器か何かの機械。空気には、わずかにオゾンの匂いが混じっている。どうやら、電気系統を管理する機械室の一つのようだ。幸い、人の姿はなく、監視カメラもこの区画には見当たらない。
ニコは、数瞬、その場で息を潜め、耳を澄ませた。通路の向こうから、遠くに人の話し声のようなものが聞こえる気もするが、すぐ近くに危険はなさそうだ。彼は、汚れた体を壁にこすりつけないように注意しながら、機械室の扉へと近づいた。扉には、「第3電力供給ユニット - 関係者以外立入禁止」という表示と、カードリーダーが付いている。彼が持つIDカードでは、おそらく開かないだろう。
(別の出口を探さないと…)
彼は、機械室の中を見渡し、壁の隅に、より小さな、目立たないサービスハッチのようなものがあるのを見つけた。おそらく、配線や配管の点検用通路に繋がっているのだろう。彼はピッキングツールを取り出し、その簡単な物理ロックに挑んだ。幸い、すぐにロックは外れた。
ハッチの向こうは、人が一人やっと通れるくらいの、狭く暗い通路だった。ニコは再び、闇の中へと身を投じた。サービス通路は、建物の主通路とは別に、網の目のように走っているはずだ。これを使えば、人目につかずに移動できるかもしれない。彼は、カイから託されたデータチップの古い構造図と、壁に時折記されている識別コードのようなものを頼りに、上層階、あるいは情報管理部門があると思われる区画を目指して進み始めた。
通路は入り組んでおり、何度も行き止まりにぶつかった。時折、頭上の格子窓から、明るく清潔なオフィス区画や、白い服を着た職員たちが行き交う廊下の様子が見える。彼らの世界と、ニコがいるこの暗く埃っぽい裏側の世界とのコントラストが、この建物の、そしてこの社会の二重構造を象徴しているかのようだった。
ニコは、極度の緊張感の中で、慎重に移動を続けた。時折、近くの通路から足音や話し声が聞こえると、彼は即座に身を隠し、息を殺してそれが通り過ぎるのを待った。見つかれば終わりだ。ここでは、B4Fのように逃げ隠れできる場所は限られている。
彼は、いくつかの分岐点で、より重要な区画へと繋がっていそうな通路を選んで進んだ。壁の表示が、「管理部門」「データ処理センター」といった言葉を示すようになってきた。目的地に近づいているのかもしれない。だが、同時に、通路に設置された監視カメラの数が増え、セキュリティレベルが上がっているのも感じられた。
(迂闊に動けないな…)
彼は、ある区画への扉の前で足を止めた。「中央記録保管庫」という表示がある。ここには、重要な情報があるかもしれない。だが、扉は分厚い金属製で、カードリーダーだけでなく、指紋認証らしきセンサーも付いている。これは、ピッキングツールでどうにかなるレベルではない。
(カイなら、あるいは…いや)
ニコは頭を振った。カイはもういない。自分一人で、何とかするしかないのだ。
彼は、中央記録保管庫への侵入は一旦諦め、さらに上層階を目指すことにした。支配者層そのものを見つけ出すか、あるいは、もっとアクセスしやすい情報端末がある場所を探す必要がある。
彼は、サービス通路のネットワークをさらに進み、ようやく、主通路へと出るための別のハッチを見つけた。周囲に人の気配がないことを慎重に確認し、彼はそっとハッチを開け、主通路へと滑り出した。そこは、先ほどまでいた下層のサービスエリアとは違い、明るく、清潔で、そして静かなオフィスフロアだった。壁には抽象的なアート作品のようなものが飾られ、床には柔らかそうな絨毯が敷かれている。
だが、ニコは油断しなかった。この静寂と清潔さこそが、高度な管理体制の証左でもあるのだ。彼は、まるでこのフロアに所属する職員であるかのように、落ち着いたふりをして歩き始めた。幸い、彼の着ている白い(とは言え、ダクトを抜けてきたせいで薄汚れてはいるが)チュニックは、他の職員たちの服装とそれほど変わらなかった。
彼は、フロアの案内表示を探した。「局長室」「評議会室」「情報統括部」…そういった、権力の中枢を示すであろう部屋の名前を探す。だが、表示されているのは、「セクターA」「セクターB」といった無機質な区画名ばかりで、具体的な部署名や役職名は見当たらない。情報統制は、こんな場所でも徹底されているのか。
(どこへ行けば…?)
ニコは、焦りを感じ始めた。闇雲に歩き回っていては、いずれ警備に見つかるだろう。何か、手がかりは…。
その時、彼は、フロアの一角にある、ガラス張りの部屋に気づいた。中には、他の職員とは少し違う、より上質に見える服を着た人物が数人おり、大きなモニターを囲んで何かを議論しているようだった。そして、そのモニターに映し出されている映像に、ニコは釘付けになった。
それは、見慣れない、しかしどこかで見たことがあるような風景だった。青い空。緑の大地。そして、海岸線らしきもの…。それは、旧世界の記録映像か? いや、画質は鮮明で、リアルタイムの映像のようにも見える。そして、モニターの隅には、「ベイエリア連合 定時報告」という文字が表示されていた。
(ベイエリア…連合…?)
ニコは、その言葉の意味を理解できなかった。だが、モニターに映る、明らかに「地上」の光景に、彼の心臓は激しく高鳴った。あれは何だ? 支配者たちは、一体何を隠している?
彼は、ガラス張りの部屋に近づき、中の様子をうかがおうとした。だが、部屋の入り口には、やはり厳重な認証システムが設置されており、近づくことすらできない。中の声も、特殊な防音壁のせいで、全く聞こえてこなかった。
(あの部屋だ…あの部屋に、何かがある…!)
ニコは確信した。あの部屋、あるいは、あの映像を管理している部署こそが、この地下世界の最大の秘密に繋がっているに違いない。彼は、どうやってあの部屋に入るか、あるいは、あの映像データにアクセスするか、新たな目標を見据えて思考を巡らせ始めた。
彼は、再び物陰に身を隠し、あのガラス張りの部屋…「情報統括部」とプレートが出ているその部屋の周辺を、注意深く観察し始めた。警備は厳重だ。だが、どんなシステムにも、どんな人間にも、必ず隙はあるはずだ。彼は、諦めなかった。真実を、そして海を見るまでは。彼の孤独な潜入は、核心へと近づきつつあった。




