77.逆鱗
どこから聞かれていたのかはわからないけれど、ビットは私の手枷を掴むと無理やり引っ張り立たせた。
「大人しくしてろって言ったよな? どうせ逃げられねぇんだ」
「私は、あの場所には帰らない」
「お前に拒否権なんてねーよ。ほら、行くぞ」
「いやっ! 離して……!」
そう言って私を肩に担ぎ上げ、ビットはテントを出ていく。
テントを出ると、そこはいくつものテント小屋が立っていて、遠くからは人の多そうな賑やかな声まで聞こえてくる。
「誰か! 助けて!」
「無駄だ。お前の声はどうせ誰にも聞こえない」
ずんすんと目的地を目指して進んでいくビットの上で、助けを求めて叫ぶけれど、特殊な金環をつけられているせいで叫ぶたびに息が上がっていく。そして、何度叫んでも、それに応える声は聞こえなかった。
「はぁ……はぁ……誰、か……!」
「そんな金環つけといてよくやるぜ」
けれど、叫ぶことを諦めて連れ去られたら、今度こそ領地を越えてしまう可能性がある。そうなれば、ハークハイトたちの元へ帰ることは難しくなり、もう二度と会えなくなるかもしれない。
「っ……!」
「姫を放しなさい!」
また別れが来てしまうのかと、涙が出そうになったその時、突如物陰から複数の魔獣が飛び出しビットへと襲い掛かった。
「なんだ!? くそっ!」
「きゃぁ!」
ビットが腕や足に噛みついた魔獣を振り払おうとした反動で、私は地面へ投げ出された。
何が起きたのか、急いで顔を上げると、ネコの集団がビットに襲い掛かっていた。
「姫、ご無事ですか?」
「う、うん……。あなたは?」
「私はアリシャ。鹿の王の命により、奴らの行動の流れを探っていたところ、ここが奴らの獲物の経由地となっていたため見張っていたのです。まさか、姫が現れるとは思いませんでしたが、我々がここにいたのも運命の導きでしょう」
「鹿の王……ルーシュの命令って?」
アリシャと名乗るきなこ色の毛艶の良い長毛の猫は、他のネコたちと攻防を続けるビットへと視線を向けたまま言葉をつづけた。
「王はここ数年、継ぎ接ぎの獣について探っておりました。継ぎ接ぎの獣は、全身から高密度の瘴気を放ち、近づく者の命を奪うのため、森は死に絶え、我々の仲間の多くがその住処を奪われました」
「継ぎ接ぎの獣……」
彼女の言う継ぎ接ぎの獣とは、恐らく合成獣のことだろう。
「あの様な世の理を外れたおぞましいものがいったいどこから来るのか、それを探っていたところ、この人間たちがその背景にいることがわかったのです」
「ドルトディートが?」
彼らと合成獣に一体なんの繋がりがあると言うのだろう。
「奴らは大勢の我々の仲間を攫ってはこの場所に運び、そしてある場所へとまた運び出すのです」
「ある場所?」
「そこで奴らは、我々の仲間を……」
「おい、あんまペラペラ喋んなよ。くそネコ」
首元へ迫ろうとしたネコの首を素早く掴むと、ビットはそのネコを地面へと叩きつけた。
「やっと効いたか。ちょろちょろ地味な攻撃しやがって、面倒なんだよ」
さっきまで互角に戦っていたはずのネコたちは、徐々に動きが鈍くなり、面倒だと言葉を吐いたビットの手には何か握られていて、煙が上がっていた。恐らく、麻痺か眠り薬の類だろう。
「姫にはまだ何も教えるなって言われてんだよ。ネコなんかに邪魔されたら困るんだよなぁ。ディケ!」
「きゃぁっ!」
「アリシャ!」
ビットがディケの名前を呼ぶと、頭上の木からディケが降りて来てアリシャを踏みつけ、矢を向けた。
「その足を今すぐ退けて!」
「お前が大人しくついてくれば良いだけの話だ。ノア」
「行くから! お願い、酷いことしないで!」
「いけません、姫! こ奴らはあの場所で!」
「黙れ」
そう言うと、ディケはアリシャの足に矢を穿った。
「くっ……!」
「アリシャ!」
「姫、この身に何が起きようともあなたは逃げるのです」
痛みに耐えながら苦しそうに私に逃げろと言う。
これから行く場所が、私のいたあの場所だとして、あの場所と、ドルトディートと合成獣に何の関係があると言うのだろう。
私はあの場所で何をされた?
街の広場で見たあの合成獣は、何?
檻の中にいた魔獣たちは?
「こ奴らは、我々魔獣を切り刻んで……!」
「黙れ」
「アリシャー!」
二本目の矢がアリシャの身体に穿たれた時、頭の中で何かがかちりとはまる音がした。
――助けて 姫様 どうして ノア……。
あぁ、そうか……。
私の中であの時の光景と、その意味が繋がった時、私の中の感情が限界値を振り切った。身体の真ん中で沸き上がり許容量を超えた感情は、ガタガタと空気を震わせ、気付けば咒鹿の時みたいにファンッ! と手足に付けていた金環と枷が霧散した。
マオが作った特別製の金環は亀裂でも入らない限り決して封じが解けるはずはないのに、いとも簡単に砕け散り、金環がなくなるのと同時に、溢れ出した感情によって身体から一気に解放された魔力が砕覇として周囲の空気をさらに震わせた。
気が付くと、私は、私を中心とした爆発音で、凄まじい土煙が立っている景色を見ていた。
魔力を解放するなんてもう何年もなかったけれど、あの時と違って、なんだか自分の身体が自分のものではない様な、誰かに意識を明け渡している様な、どこか思考に靄がかかっている感じがした。
ぐるりと周囲を見渡した私は、土煙が徐々に治まって来たところで、一歩、また一歩と、足を進めた。
「くっ……やめろ、ノア……!」
足を進めるごとに、ビットが吐血をするのが見えた。
「あなたたちは命があるだけましでしょう?」
そうビットに吐き捨て、アリシャの方を確認すれば、既にディケは血を吐いて気を失っていた。
私は、アリシャの元へ行き、地面に膝をつくとその足の矢と傷に手を添えた。
「消えなさい」
自分でもよくわからないまま無意識に出た言葉だったけれど、まるでその言葉に従うかの様に矢は消え、傷が癒えていった。
「姫っ……!」
「まだ休んでいなさい」
命に別状はなさそうなアリシャを見て、私は立ち上がり、ビットと戦ってくれたネコたちの元へと歩いた。
意識はあるところを見るに、麻痺性の薬を使われた様だったけれど、こちらも命にかかわるものではなく、恐らくすぐに回復するだろう。
「あなたたちも、まだ休んでいなさい」
私は、彼らにそう告げて立ち上がると、今度はテントの中へと向かった。
先ほどの轟音に怯えた表情の魔獣たちだったけれど、私の姿を見てほっとした様子を見せた。
「すぐに出してあげるわ」
そして、大量の魔力を注ぎ次から次へいくつもの檻の鍵を霧散させ、檻の中の魔獣を開放していく。
「行きなさい。遠く離れた、彼らの手が届かないところまで」
全ての魔獣の檻を開放し、多くの魔獣たちがテントを後にして行く。
「どうして、ナチ……」
恐怖から解放され、走り去る魔獣たちの光景に、そう言葉が零れた。
後から考えると、この言葉は私が言った言葉じゃなかった様に思うけれど、その名前には覚えがあった。
「はぁ……」
重たくなった心を払拭する様に、ため息をついて最後に残った人間の子どもたちが入った檻を見つめる。魔獣とは違い、彼らは私に見られた瞬間その緊張感を強めた。
私は、鍵を壊し、ルーシュが私にそうした様に彼らの身体に着けられた枷を霧散させた。
先に檻を出て振り向くと、手足の自由と、喉の自由を取り戻した彼らは、それでも檻から出ようとはせず、檻の中で戸惑っていた。
「それ、何……?」
なぜ出てこないのかと眉を寄せると、先ほど私の質問に答えてくれた彼女が、私の足元を指さした。
彼女の問いかけに足元を確認すると、するすると草が生え、花が咲いていた。振り返れば、テントの中は既に草花だらけで、今にも天井を突き破りそうな立派な木まで生えていた。
何? と聞かれても、これはなんだろうとぼんやり植物たちがみるみる育っていく光景を見上げていると、聞きなれた足音が駆けて来るのが聞こえた。
「シロ!」
バサリとテントの入り口が開くと、頭の中の靄が消え身体と意識が自分の元へ戻って来たのを感じた。
「ハークハイト……?」
その姿に来てくれたと、ほっとしたのも束の間、目の前でにょきにょきと成長している草花にぎょっとし、自分の手足をみると金環がなくなっているではないか。
それどころか、魔力が全開放され、収拾がつけられない状態になっていた。
このままではあっという間にテントの入り口が塞がれ、私たちは草木に埋もれ窒息する可能性がある。
「魔力が……! ハークハイト、子どもたちを先に安全なところへ!」
急いで出て! と檻の中の子どもたちを促すと、今度は子どもたちもすぐに檻から出てくれた。
入口へと走って行く彼らを見送り、周囲を見渡すと、成長する木の枝に引っかかっている私のバッグが目に入った。
「そうだ、抑制剤!」
急いでバッグを取りハークハイトに以前貰った抑制剤を飲むけれど、その効果はほとんど何も感じられなかった。
「シロ、急いで出なさい! このままでは君が出る前にテントが崩れる!」
「抑制剤が効かないの! こうなったらもう、私は自分でも魔力を抑えられない!」
このままではまずいと、溢れ出る魔力を必死に押し込めようと私は両腕を抱きしゃがみこんだ。
「何をしている!」
「外に出れば、どうなるかわからない!」
溢れすぎた魔力を抑え込もうとすると、口の中が血の味で充満する。
自分の安全を考えるなら、ここから出た方が良いことはわかっているけど、出たところで周りの状況は酷くなる可能性がある。外に出た瞬間、次々と増殖する草木に一帯が飲み込まれるだろう。
そうなった時、被害がどこまで及ぶのか、私にも想像がつかないのだ。
「シロ、早く出るんだ! こちらからではもう入れない!」
「ちょっと、待って……」
必死に魔力を抑えようとすればするほど、吐き気や頭痛に襲われ、ハークハイトたちを巻き込んでしまうかもしれない状況をどうにかしなければと、身体を巡る魔力に意識を向ければ、視界は徐々に霞んでいった。
そのうち、体勢を保っていることもままなくなり、地面に着いた手のひらの上にぽたぽたと血が落ちていく。
「ごめん、ハークハイト……」
私では抑えきれないと、ぼやけた視界でハークハイトを探すも、私の目はハークハイトをとらえる前に暗闇へと沈んで行った。




