75.最後の診療所
その日、私は最後の診療所へと訪れていた。
最初は閑古鳥が鳴いていた診療所も、今では朝から人が並ぶようになり、魔獣の氾濫での怪我人だけを見て終わりにするつもりが結局、患者が来れば見捨てることはできず、新たな怪我人や病人を抱えていた。
「使徒様、今日が最後なんて寂しいねぇ。魔獣の氾濫が起きた時はどうなることかと思ったけど、まさか平民が騎士団の薬師様に治療してもらえる日が来るなんて……本当に使徒様には感謝しかありません」
「何かあればモリスとカスクを頼ってね。身体に気を付けて、元気でね」
「使徒様も、どうかお元気で」
診察の終わった患者さんと、今日は何度こんなやり取りがあっただろう。
私にとっては、当たり前のことをしただけだけど、元気になった患者さんに感謝されるのは、やっぱり嬉しい気持ちになる。
ハークハイトには、後先考えろと言われたばかりだからこんなことを言えば怒られてしまうけれど、あの時、何も考えずにただ患者を救おうと動いて良かったと思う。
「シロ、ルークが戻って来たけど特に異常はなさそうだよ」
「そっか。良かった」
せっかくの最終日なのに、また合成獣なんてものが出てきたらたまらない。
ここに来ているカオ以外はみんな騎士たちと警戒に出ているけど、念のためルークにもいつもより広めの範囲を見て来てもらった。
「それにしても、僕らは合成獣を見たことないからちょっと不安だな……。ハークハイト様も戦わずに逃げろとおっしゃっていたし」
「だいたい、継ぎ接ぎがされた魔獣って言われても俺には想像もつかないですよ」
「危ない存在だって言うのは見たらすぐわかるよ。私はできるならもう見たくない……」
あの時の頭痛や声と言い、こちらにむかって一直線に走ってきた光景が今でも目に焼き付いている。
「それに加えて盗賊とくれば、ハークハイト様が警戒するのも無理はないか」
ひとつひとつが大きな問題なのに、それが渋滞している。せめて問題が同時多発しないことを祈るばかりだ。
「ともあれ、僕らがまず集中すべきは目の前の患者だ。診察に戻ろう」
「そうっすね」
そうして、私たちはまた診察に戻った。
午前中の診察は慌ただしく過ぎ、あっという間にお昼の時間を迎え、私たちは食堂で作ってもらったお弁当を広げていた。
「二人とも次から大丈夫そうだね」
「シロはいつもそう言ってくれるけど、僕は見慣れない症例なんかがあって迷うたびに、知識不足を痛感するよ」
「俺も正直、シロさんがいない状況に置かれるにはまだ不安がありますね」
「知識だけは地道につけていくしかないよ。とは言っても、騎士団基地にある本だけじゃ勉強するには限界があるよね……」
「薬学書って、騎士団の費用で買ってもらえないんですか?」
「僕の知る限り、できなくはないが、現状は無理だろうね。騎士団はそんなに予算にゆとりがある訳じゃない。その中から、どこまで育つかわからない僕たちに投資するのはかなりリスクだからね。かと言って、僕らの給料ではとてもじゃないけどいくつも本は買えない。薬学書は他の本に比べてかなり高いからね」
「そうですよね。どこかで薬学書見れたりしないですかねー……」
日に日に知識を蓄え、成長を見せている二人だけれど、ここに来て努力ではどうにも乗り越えられない壁が道をふさいでいた。
それは、基地にある薬学書が少ないこと。ハークハイトが個人的に持っている物を貸してはくれるけれど、それを合わせてもマオが持っていた本の量に比べると圧倒的に少ない。
森では、マオの所有する大量の本と、植物や魔獣に詳しいジジ様の知識とで、今モリスやカスクが触れられる情報の何十倍もの情報が溢れていた。
「どこかにただで見られる薬学の本、ないですかね」
お金をかけずに知識を手に入れられる、そんな素敵な場所……。
「領主城の資料室とか?」
思わず思いついた場所を声に出すと、モリスとカスクがとても微妙そうな顔をした。
「平民の俺が領主城とか怖すぎます……」
「僕も、領主城に行くと父や兄と会う可能性が……」
あれほど知識を得ることに積極的だった二人がこうも後ろ向きな見解を示すのは少し意外だった。
「いいですか、シロさん。平民である俺が騎士団に身を置いていることすら分不相応だと糾弾されてもおかしくないんです。それが領主城に行くなんて……」
「僕も一人前になってからでないと父や兄に会うのはちょっと勇気がないかな」
「カスクが騎士団にいるのはルキ様も承知の上だし、大丈夫じゃない? モリスだって、とっくにしっかりやってるってお父さんたちにアピールできる良い機会だと思うけど?」
二人の気持ちは、わからなくはないけど、今のところ領主城以外に本や資料を見られそうなところが思いつかない。
森に帰ることができれば、二人を招待したいところだけど、現時点ではそれも難しい。
「領主城に行く方が早いと思うけど、資料は複製も頼めるみたいだし、ハークハイトに聞いてみようか。でも、資料室の資料もそうだけど、領主城の薬草園は薬草を育てる設備もすごく整ってるし、研究施設も充実してるから、基地ではできない様なこともたくさんできるし、凄く勉強になると思うの。無理にとは言わないけど、行ってみたらきっと二人とも帰りたくなくなるよ」
「領主城は領内で一番充実している場所だからね。効率よく薬草を育て、色々な薬を基地でも作れるヒントがもらえると考えると確かに興味はある……」
「俺は新薬の研究に興味があるので、そういう意味では許されるなら行ってみたいです」
そんな話をしながら、お昼を食べ終え、午後の診療の準備をしていると、ガタン! と乱暴に診療所の扉が開けられた。
「シロさん、大変です!」
そこにあったのは、お店から走って来たのか、息を切らしたレパルの姿だった。
「どうしたの、レパル? そんなに慌てて」
「今、貴族街の方で合成獣が複数出現したと情報が……!」
「合成獣が複数!?」
「騎士団駐屯地の方からハークハイト様と魔狼たちが出発されたとの情報が入ったので、シロさんにもお知らせしておいた方が良いかと思いまして」
「知らせてくれてありがとう、レパル。合成獣が出たってことは魔獣の氾濫も起きてる可能性が高いよね。被害状況はわかる?」
「そこまではまだ。貴族街の情報が我々商店の方まで流れてくるには時間がかかりますので」
「そう。患者がいるかもしれないならすぐに向かおう」
「シロ、待つんだ」
すぐに救急セットを持って出発しようと話すと、モリスが私を止めた。
「貴族は平民と違って魔法が使える。例え、魔獣の氾濫が起きても怪我人が大勢出るとは考えにくい。それに、何かあればハークハイト様が連絡してくるはずだ。僕らは無暗に動くべきじゃない」
「でも」
「貴族街で発生した魔獣の氾濫が平民街へ押し寄せないとも限らない。もう少し様子を見た方が良い」
「……」
モリスの行かないと言う選択肢に納得が行かず、口をつぐむ私にモリスは言葉をつづけた。
「シロが患者を心配する理由はわかる。だけど、今はハークハイト様を信じよう。僕がいるから伝蝶も飛ばせるし、薬師が必要なら必ず君を呼ぶさ。万が一、連絡があればすぐに行けるようにだけして、通常通り午後の診察をしよう。患者はここにも来るんだ」
「……わかった」
「レパル。すまないが、貴族街の情報が入り次第またこちらにも連絡をくれると助かる」
「かしこまりました、モリス様」
「シロ、念のためルークをハークハイト様の元に」
そうモリスが口にした時、
――ゴゴゴゴゴゴゴ……ドーーーーン!
カタカタと診療所の窓が鳴り、地響きの揺れを感じたと思った次の瞬間、けたたましい爆発音が平民街に響き渡った。




