47.モリスの思い
それから、ハークハイトが診察している間にあったグストフとの約束の話をして、ハークハイトも了承してくれた。
一応、今後の食事の管理などはグストフがモリスの様子を見ながら無理のない範囲で進めることになった。
「それで、私も一回本人と話したいんだけど……」
「この後イールに、鷹狩りに誘われている。私とユーリで行って来るから、君はその間にモリスと話をしてきなさい」
「わかった。あんまりザビっぽく話せないけど大丈夫かな?」
「彼は子どもに不躾な言葉遣いをされて怒る様な人間ではない。それに、そんな体力も今はないだろう」
「そっか。でもさ、ハークハイトたちも貴族だし、結構偉い立場だよね? でも、これまで私が様つけたりしないの怒らなかったでしょ。どうして?」
「君を保護した直後、君は酷く不安定だった。そんなことを言えるような状況ではなかっただろう。それに、この国では魔力量と身分はほぼ比例する。魔力量が身分を決めると言っても過言ではない。そういう意味で言えば、君は私たちより遥かに上位の存在ということになるからな。色々有耶無耶にした結果だ」
「そうなんだ」
「当初君をこんなにも長く基地に置くことも、基地から外に出て貴族と交流させることも考えてはいなかった。今後は、言葉遣いや立ち居振る舞いの勉強もしないといけないな」
「裏庭の管理して、薬棚の在庫分と城下の騎士団に卸す薬作って、魔獣たちの防虫剤作って、その間に処置室に来る患者さんの手当して、それらの報告書書いて、カオたちとも遊ばないと拗ねちゃうし……勉強する時間なんてないよ?」
「薬を作りながら勉強しなさい」
「処置室は深刻な人手不足だと思うの」
「君が魔獣の患者を持ち込むのをやめたらいいんじゃないか?」
「それは無理だよ。カオたちが連れてきちゃうもん」
「なら魔獣の世話をしながら勉強しなさい」
「人手不足をどうにかする気はないんだね……」
「さて、鷹狩りが楽しみだ。行くぞ、ユーリ」
「話逸らした!」
後は頼むとグストフに私を預け、逃げるようにハークハイトはユーリを連れて出かけて行ってしまった。
グストフに連れられ、再度モリスの部屋を訪れるとモリスはベッドの上で窓の外を見ていた。
「モリス様、シロ様からお話があるそうです」
「あぁ、君か。さっきはルークが失礼した。頭に怪我はなかったかい?」
「大丈夫」
「私は夕飯の準備がございますので、何かあればお呼びください」
「ありがとう、グストフさん」
「シロ様、よろしくお願いいたします」
深々と一礼して部屋から出ていくグストフを見送って、私はベッドの脇に置かれている椅子に腰かけた。
「ねぇ、モリス? ……じゃなかった、モリス様」
「モリスでいい。トグリルの人間のくせに、こんな性格だからか、僕には名前で呼びあったり気軽に喋れる友達がいないんだ。君さえ良ければ、モリスと呼んで欲しい。ハークハイト様が孤児院から引き取ったと聞いたけど、君も何か訳ありの様だし」
「じゃぁ、モリス。どうして訳ありって思うの?」
「今のグストフのお辞儀は最敬礼と言って、滅多にするものじゃない。彼は無意識にやったみたいだけど、子どもに向けてやるなんてまずないことだからね」
「よく見てるんだね」
「貴族院で、友達がいないくて人間観察ばかりしていた僕のちょっとした特技だ」
モリスは悲しそうな顔を浮かべてそう言った。
貴族の世界と言うのは、優しいことがそんなにもいけないことなのだろうか。
「ねぇ、モリス。いつからお肉食べられなくなったの?」
「……どうしてそれを? グストフに聞いたのかい?」
「その窓の外のこと、ルークが教えてくれたの」
「ルークが? 彼は知っていたのか……」
「モリスのことをすごく心配してる。どうしてそうなってしまったのか、話してくれない?」
「そうか。あれからもう、三年以上が経つか……」
動物性の物が食べられなくなったのは、やっぱりイールとの鷹狩りが原因だった。
「それまでも、ルークと小鳥を狩ったりはしてたから、ちょっと嫌悪感はあるけど大丈夫だと思っていたんだ。鷹が獲物を狩って食べるなんて、普通のことだから、彼らの餌と言う範囲でなら大丈夫だったんだ」
「外交の時は違ったの?」
「あの時は、その後の晩餐用の獲物もあって、ウサギとか子鹿も並んでた。僕は小さい頃から、ルークと山へ入ると魔獣を狩るより、観察する方が好きだった」
「観察?」
「なんと言うか、仲良くなりたいなって。この家にいると、魔獣は捕食対象か、狩りを邪魔する討伐対象かになるんだ。でも、僕にとって彼らは共生や共存を望む対象で、もし叶うのなら、仲良くしたい、あのもふもふとした毛並みを撫でさせてくれないだろうかってね。それが無理なのはわかっていたけど、あの日は、そう言う僕の守りたかった魔獣たちが僕の望みとは真逆に、父や他の貴族たちの手で殺され、並んでいた。そして、それを人間が平然と食べる姿にショックを受けてしまって……」
「ついさっきまで生きていたかと思うと、つらいよね」
「そうなんだ……。それから、肉や卵を見ると自分がとても卑しい人間の様に思えて、どうしようもなく手が震えて、食べられないんだ」
「グストフさん以外に知ってる人は?」
「いないよ。グストフには、家族との食事の席で口にした肉をトイレで吐いている所を見られたんだ。ただでさえ、こんな性格で、鷹狩りもろくにしない僕を父や兄は嫌っているのに、肉も食べられないなんて言ったら、なんて言われるか分かったもんじゃないからね」
「そっか」
一番身近な家族に、気持ちをわかってもらえないのは、どんなにつらいだろう。
もしも、マオやハク、ジジ様に口も利いてもらえないと考えたら、何のために生きているのかわからなくなりそうだ。
「本当は、鷹狩りの一族じゃなくて、薬師とか誰かのためになれる家に生まれたかったよ」
「モリスは、薬師になりたいの?」
「うん。できれば、人間だけじゃなくて魔獣を助けられる薬師になりたいって思ってたんだ。フェリジヤに魔獣の薬師はいないから、それならこんな僕でもトグリルの家にも貢献できるかなって……。こんな病気じゃ、それも夢のまた夢だけど」
「じゃぁ、頑張って治さないとね。モリス、この病気は治るよ」
「え……?」
「原因は、長い間動物性の食べ物を避けていたことによる栄養失調なの」
「肉を食べなかったから?」
「うん」
「治すには肉を食べなきゃダメってことかい?」
「まぁ、そうなるかな……」
心を守るために身体が拒絶していることを、守られている側の心が突破していかなくちゃならないこの壁は何よりも高く分厚い。
「ねぇ、モリス。私も昔、モリスと同じようにお肉が食べられなくなっちゃったことがあったの」
「過去形ってことは、今は食べられるの?」
「うん。食べることこそが生きることだって教えてくれた人がいたの」
「シロはどうして肉を食べられなくなったのか、そこから聞いてもいいかい?」
「うん」
そこから私は、簡単に当時の話をした。
あれは森で暮らし始めて少し経った頃、狩りをしたカオたちが死んだばかりの子鹿をズルズルと家まで持って帰って来たことがあった。
あの時、その死体にも驚いたけど、何より血に染まるカオたちと、だらりと首を折り死んでいる子鹿を見て、自分はこの子鹿なのだと思ってしまった。弱いだけの私は、いつか殺されゆく運命なのだと。
「それから、怖くてお肉が食べられなくなっちゃったの」
「被捕食者に自分を重ねてしまったのか……。子どもの防衛本能と言えば、正しい本能の様にも思えるね」
もっと突っ込んだことを言えば、森に行く前の施設でとても酷いことをされた記憶がその小鹿と自分を重ねさせた。
「生きた魔獣と自分が食べてるお肉が、その時はまだ結びついてなかったの。いつもはもう切って料理してあるお肉を食べてたから」
「幼い頃、僕もそうだったな」
それから、全くお肉が喉を通らなくなってしまった私を見かねたマオが課外授業だと言って私を家から連れ出した。
「連れていかれたのは、森にある魔獣たちの餌場」
「餌場?」
「鹿がよく草を食べている場所とか、クマが食べる山菜や木の実がある場所、狼たちの狩り場とか色々。色々周って、色んな魔獣たちの食事を見せられたの」
これにいったい何の意味があるのだろうと思いながらも、私は彼らの食事を遠目にぼんやりと眺めていた。
「色々見た後、マオは私にどうして人間は肉も野菜も食べなきゃいけない身体になってると思う? って聞いたの」
私はマオの質問にただ、ふるふると首を振った。
そんな私に、マオは肉と野菜が挟まったホットサンドを差し出して、
「人間も食物連鎖の一部だからだよ。食って食われて、土に還ってまた食って食われる、それが世界だ。ただ、人間は魔獣よりちょっと知恵がある分、野菜も肉も食わなきゃいけないようにハンデ背負ってるんだよって言ったの」
「人間も食物連鎖の一部か……。考えたことなかったな」
「私なんて、食物連鎖の意味も知らなかったから、ポカンとしちゃったよ」
そして、ポカンとしてる私の顔を見て、更に、「だから食え」と続けた。
弱者が弱者から抜け出すためには、肉体的に強くなるか知恵を磨くしかない。強くなるにも、知恵を磨くにも食べて鍛えて明日を生きるしかないのだと言った。
――シロ! だから目の前の、さっきまで生きていたかもしれない魔獣の肉でも明日の糧にするために食らいつけ! それに罪悪感を感じるなら、残さず食べろ! 骨も肉も全部食べ尽くして、余す所なくお前の血肉に変えてやれ。そのお前が生きていれば、お前の血肉になったそいつらも本望だろうさ!
今思えば、人間以外にも雑食の生き物はいくらでもいて、人間だけがハンデを背負っている訳ではないと言うか、ハンデって何? という感じだけど、当時全然喋らなかった私のせいで、どうして私がお肉を食べられなくなったのか本当のところを知らないマオが、マオなりに考えて教えてくれた言葉が、なぜだか無性に私の心に響いた。
――シロ、お前の人生はこれからだ!
全てを諦めたモノクロの世界で、生きる理由も、強くなる理由もなかったはずなのに、気付けば私は渡されたホットサンドにかぶりついていた。




