28.悪夢と希望
――ハク、起きて、ハク……。
横たわり動かないハクの身体を何度も揺らす。
真っ暗な場所で、私を乗せてくれた大きな体がガラガラと音を立てて崩れ、私は独り取り残される。
――ヒュンッ!
どこからともなく飛んできた矢が頬をかすめ、伸ばした手は遠のいていく。
――行けっ!!
ドン! と身体を押され、私を抱え込んだ腕はどれだけもがいてもびくともしなくて、待ってっと叫んでも魔狼たちの足は止まらない。
――待って! ハク……!
違う。あそこにいるのは……。
――ハークハイト!!
「はぁ……はぁ……はぁ……」
飛び起きた身体は、ひどく震えていて動悸が治まらない。
――コンコンコン。
「シロ、入るぞ」
控えめなドアのノックが聞こえ、ハークハイトが部屋のドアを開ける。
「大きな声がしたが、また何か……」
私はベッドから飛び出してハークハイトにしがみついた。
「どうした、怖い夢でも見たのか」
ゆるゆると首を振るけど、今この瞬間の現実が手を離せば消えてしまいそうで、震える手をハークハイトから離すことができない。
「はぁ……こちらへ来なさい」
いつまでもしがみついたままハークハイトから離れずにいると、しびれを切らしたハークハイトがため息をついて私を膝に乗せ、椅子に座った。
「やはり君は行かない方がいいのではないか?」
「行く……」
「頑固だな」
行かないという選択肢は、ハークハイトたちが行かない時だけだ。
「……ハークハイト」
「なんだ」
「春になったら庭の植物もっと増やすよ」
「そうか」
「薬ももっと作れるようになるよ」
「新しいものはちゃんと報告しなさい」
「ガンフの所にも行こうね」
「……面倒だな」
「城下の市場にも行ってみたいの」
「考えておく」
「だからね……」
「なんだ?」
「だから、おいていかないで」
ハークハイトの服に顔を埋めたまま出たのは、絞り出すような願いだった。
「君は、私がそんな薄情な人間だと思っているのか?」
私はハークハイトに抱きついたままゆるゆると首を振る。
「安心しなさい。君のことは私が守る。ユーリも、ザビウスもいる」
あの夢はそういうことじゃない……。
「誰も……。誰もいなくならないよね?」
「……そうならないために最善を尽くすつもりだ」
誰もいなくならないとは言ってくれないんだね……。
少しだけ身体を離し顔を上げると、窓から差し込む月明かりが、いつもとは少し違う心配そうな顔をしたハークハイトの顔を淡く照らしていた。
「最近、顔色が悪いな」
躊躇いがちに頬に触れる手は温かくて、私はその手に頬をすり寄せる。
「一緒に寝てくれる?」
「……貴族は六歳を越えれば立派な紳士淑女だ。親と共に寝る子どもなどいない」
「私貴族じゃないもん。年齢わかんないし、親子でもないし」
「親子でない方がある意味問題なんだがな……」
ハークハイトは私がベッドに潜り込むのを嫌がり、こうして色々な理由を並べる。
だけど、決して厳しく拒絶したりはしない。
なんだかんだ、最終的には折れてくれるのだから、初めから受け入れてくれれば良いのに。
「私はまだ仕事がある」
「勝手に寝るから大丈夫」
「それなら君は君の部屋で寝れば良いだろう」
「もう諦めて」
「なんだそれは……」
結局、ハークハイトの盛大なため息とともに私が勝つのだった。
「五日後、セオンの調査へ向け出立する。セオンに到着した後、頃合いを見て西の森へ向かう」
ザビの二回目の不在が終わって戻ってくると、ハークハイトの口からそう告げられた。
セオンへは馬で二日、セオンから西の森へは半日程の道のりらしい。
雪解けの時期と聞いていたのでそろそろだとは思っていたし、それなりに色々準備もした。
だけど、いざ行くとなるとやっぱり緊張もする。
それに、ピコの薬ができていないのも気がかりだった。
「ピコ、おはよう」
「ピー!」
朝、庭に行くとピコが元気に迎えてくれた。
魔狼たちは、私が行くより先に庭に集まっていた。
「ピコ、五日後にここを出るんだけど、薬できそう?」
「……ピー」
ピコは、少し考える素振りをした後、大丈夫! と手を上げて答えると、庭の真ん中へ行き手招きをした。
「ピ、ピー」
「金環を外すの? ……全部?」
手も足も外すように指示してくるピコに戸惑いながらも、私は金環を全て外していく。
幸いなことに、ザビはまだハークハイトたちと話があると言って来ていないし、大量の魔力を使ったとしてもトゥレプなら吸収して土に還元してくれる。
「ピ……ピ……」
いつもの様にピコが何かを囁くと、ピコを中心にいくつもの魔法陣が浮かび上がっていく。
「ピー」
「中に入るの?」
手招きされ魔法陣の中へ入ると、魔法陣の光が強くなる。
そして、どこからともなく身体中の魔力が吸われ、目の前に広がる魔法陣に、ひとつ、またひとつと魔力が満ちていくのがわかった。
「これ……」
そうか、これは……。
スルスルと身体から大量の魔力が奪われ、最後の魔法陣に魔力が満ちるとカチリと何かがはまる音がして、強い光とともに魔法陣が消えた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
普段使うことのない魔力が身体中に巡り、大量に持っていかれたことで身体が悲鳴を上げている。
カクンと、膝から崩れ落ちるとヤヤが私と地面の間に入り込み、地面と激突せずに済んだ。
カオも心配そうに覗き込んでくる。
「はぁ……はぁ……」
大丈夫だよと言ってあげたいけど、息が切れて声が出ない。
身体を動かす力も残っていないのだ。
「ピー」
ピコに呼ばれ視線だけを動かすと、ピコの手に小さな結晶ができていた。
飴のように透き通る、群青色の涙の形をした結晶。
「でき、た……の?」
「ピー」
多分、本来は何十年もかけて魔力を蓄積させて有事に備えるためのものを、この数日の魔力と今の一回だけで作ったのだろう。
身体が悲鳴を上げて当然だと納得してしまった。
「ピコ……あり、がと……」
少し出るようになってきた声でピコにお礼を言う。
ピコがずっと眠っていたのは足りない魔力をピコが補ってくれていたからだろう。
ピコの言ったひとつきりの薬は、ヤッカニウムの解毒薬なんかじゃない。
森でそんなものがあると言うのを、魔獣の噂程度に聞いたことがあった。
命を繋ぐ秘薬、六花の涙。強い強い願いがそれを作るただひとつの方法。
決して人間には作れない奇跡の結晶。
「ピー」
ピコはまだ動かない私の手のひらに涙の様な形をした結晶を置くとそのまま手を握り込ませてくれた。
「ふふっ……」
ぽんぽんと手を叩くピコに思わず笑ってしまう。
「ヤヤも、カオも、ありがと。……カオ、バッグから袋出せる? 巾着のやつ」
カオは、もぞもぞっと私のバッグに顔を突っ込み顔を出すと、その口には飴が一粒入るほどの小さな桃色の巾着が咥えられていた。
「ありがと」
ググッと力の入らない腕になんとか力を入れ、ゆるゆると動かして巾着に結晶をしまう。
「はぁー……」
一挙手一投足がまるで身体中に鉛を付けているかのように重い。
昼までに動けるようにならなかったら、ハークハイトたちになんと言えば良いのだろう……。
「金環、戻さなきゃ……」
と、口だけは動くけれど手足が思うようには動いてくれない。
「ウォーーーン」
「カオ?」
どうしたものかと、考えているとカオが急に遠吠えを始めた。
すると、ぴょこぴょこと庭の茂みから小動物たちが顔を出し、知った顔がどんどん集まって来た。
「みんな……」
手を器用に使えるリスやタヌキが地面に落ちていた金環を手足にはめてくれる。
「ありがとう」
動物たちの協力を借りて、金環を全て付け終わったところで、物音がして動物たちはあっという間に茂みへと消えて行った。
「シロ? ……おい、どうした!?」
ハークハイトとの話が終わったのか、物音の正体は庭にやってきたザビだった。
「なんでもないの」
「なんでもないわけあるか! こんなぐったりして……お前、俺がいない間に何やってんだよ」
「ザビ、大丈夫だよ。カオたちも騒いでないでしょ?」
「……ダメだ! 絶対おかしい! 主の所に連れて行く」
ザビはカオたちの様子を見て一瞬止まったけど、頭を振ってそのままだらりとしている私を横抱きにした。
手に持っていた巾着がぽとりと下に落ちたけど、あっ、と言う声はザビの声でかき消された。
「全然力入ってないじゃねーか! 本当にどうしたんだよ……」
目の前でぐしゃりと歪む顔を見て、こういう時一番心配するザビに見せなくても良い姿を見せてしまったなと後悔しながら、ヤヤの足元に隠れて心配そうにこっちを見ているピコに静かに首を振った。
連日嫌な夢を見て寝不足だったり、貧血だった所にさっきのことが重なって、私は執務室へ向かうザビの腕の中で意識を手放していた。




