29.六花の涙
目が覚めると、執務室の長椅子で寝ていた。
外を見れば、午前中だったはずの景色はすっかり夕暮れの色に染まっていた。
随分寝ちゃったなと、はぁ、と深く息を吐き出すと何故か口の中が異様に苦いことに気がついた。
「起きたか」
「ハークハイト……」
よいしょと寝返りをうってハークハイトの方を見ると、ハークハイトはため息を吐いた。
「庭で何をしていたかは帰ってから聞く。ザビには連日の寝不足が祟ったのだろうと言っておいた。あまり、心配をかけさせるな」
「ごめんなさい」
「身体の方は大丈夫なのか」
私は身体を起こしてから、手をグーパーしたり、腕や足に力が入ることを確かめた。
「もう平気」
「それなら良い」
「私、何か飲んだ?」
口の中が苦いんだけど、と尋ねるとハークハイトは口の端を少し上げた。
「私が作ったカフエの栄養ドリンクだ」
「やっぱり……」
食材をユーリに頼んで用意してもらう様になってからは家では私がご飯を作るため、食卓におかしなものが並ぶことはなくなった。
だと言うのに、ハークハイトはまだあんな物を飲んでいるらしい。
そして、ぐったりと寝ている私にあんなものを飲ませたらしい。
実際良く効くんだけどね。
「ところで、ザビは?」
気を取り直した所で、謝らなければならない肝心の相手がいないことに気がついた。
執務室にはハークハイトと私しかいない。
「君の周りをうろうろして邪魔だったので、魔狼たちの相手でもして来いと追い出した」
「ユーリもいないの?」
「ユーリは城下の方に行っている。君が作った薬の納品のついでに、今頃はファーガス団長に扱かれてる頃だろう」
訓練をするのが西の森出立に向けてのユーリの役割なんだとか。よくわかんないけど。
「そうなんだ。ザビが外なら少し行ってきても良い?」
庭に落とした巾着も取りに行きたい。
「動いて大丈夫なのか?」
「もう大丈夫」
「無理はしないように」
「うん」
私は椅子から立ち上がり、バッグを肩にかけると執務室を出て外へと向かった。
「ザビー」
外に出ると、カオがザビを背に乗せて走っていた。
もうあんなスピードで乗れるようになったのか、と関心してしまった。
「シロ!」
私に気づいたザビとカオがそのまま走ってくると、私の前でザビはさっとカオから降りた。
「倒れた後に一人で動くなよ。もう身体は大丈夫なのか?」
「心配かけてごめんね、もう大丈夫だよ。カオもありがとね」
クークーと鳴くカオの頭をよしよしと撫でる。
「庭に行ったらシロが倒れてて、心臓止まるかと思ったじゃんか」
「ちょっと頑張り過ぎちゃったの。今度からは気をつける」
心配してくれたザビに謝っていると、頭にピコを乗せたヤヤがトコトコと歩いてきた。
その口には巾着が咥えられていた。
「ヤヤが持っててくれたの? ありがとう」
私はヤヤから受け取った巾着をバッグに仕舞う。
「そうだ、シロ! このちっさい生き物なんなんだ? 俺がいない間に庭の住人が増えてるじゃねぇーか」
「ピコのこと?」
ピコも心配かけてごめんね、と手を差し出すと手のひらに飛び乗って来た。
「ヤヤには随分慣れてるみたいだけど、シロが飼い始めたのか?」
「違うよ。ピコはトゥレプって言う魔動植物なの。植物たちを元気にしてくれるからお願いして庭に住んでもらってるんだよ」
「魔動植物……?」
「ハークハイトは精霊って言ってたっけ」
「精霊!?」
ハークハイトの時もそうだったけど、ここの人たちは魔動植物にあまり詳しくないらしい。
ザビは精霊と聞いて目を丸くしている。
「この子は、トゥレプのピコ。ピコ、こっちはザビだよ。普段庭にも来てくれるから仲良くしてね」
「ピー!」
「お、おぅ。よろしく、な……?」
「ピコは物知りだから、植物のこととかで分からないことがあったら聞くと良いよ」
ピコとザビの顔合わせも済んで、カオとヤヤを撫で回し、それを見ていた他の魔狼たちも乱入してみんなを撫で回し、じーっと厩からこちらを見ていたスレイプのブラッシングもしてあげてすっかり暗くなってしまったので執務室へと戻った。
身体はまだ全身筋肉痛の様な鈍い痛みに蝕まれているけど、数日もあれば治るだろうし、顔に出せば心配をかけるのでもう大丈夫と言っておいた。
そして、その晩。
「さて。では、庭で何をしていたのか話しなさい」
答えようもないので、忘れてくれたら良いなぁと思っていたけど、さすがはハークハイト。そんなわけなかった。
「金環の内側に土が付いていた。魔力を使うことを拒み、金環を外さなかった君が、金環を外してまで何をしていたのかと聞いているのだ」
なんと答えたものかと、黙っているとハークハイトの追撃が来た。
金環の内側に土って……よく見てるなー。
「魔力を使うつもりなんてなかったし、ハークハイトにもザビにも心配かけるつもりじゃなかったの」
ピコが六花の涙を作ってるとも思わなかったし。
「色々失敗しちゃったの」
あんな事態になるとわかっていたら、タイミングをずらすことだって考えた。
「私は、何をしていたのかと聞いているのだ。それでは答えになっていないだろう」
何を隠している? と、私の前へ来てハークハイトが目線を合わせる。
「ピコがね、薬を作る手伝いをしてくれたの。それで、私もピコに力を貸したの」
「魔動植物が薬を作る手伝い……?」
「正確に言うと、薬を作ったのもピコで、私はほとんど何もしてないの」
「精霊と呼ばれる存在が奇跡を起こすことはあるが、彼らは薬まで作れるのか……」
ハークハイトは僅に目を見開いて、珍しいほどわかりやくす驚いた表情をしている。
「でもね、本当はそのことを人に話しちゃいけないの。ハクは、人以外が成す奇跡を人に言えば必ず災いが起きるって言ってた。ピコが作った薬もきっとそうだと思うの。だから、ハークハイトには言うけど、他の人には話さないで」
それに、あんな薬はほいほいと作れる物じゃない。
何も言わないけど、きっとピコはピコ自身を犠牲にしてあれを作ったのだと思う。
もうピコに作ってくれと頼むつもりはない。
「君は慣れない魔力提供をして、倒れたと言ったところか……」
「うん……」
ハークハイトは私をじっと見つめると、まぁいい、と立ち上がった。
「魔動植物が君を信頼し、協力したのなら、私は余計なことを聞かない方がいいのだろう。だが、あまり危険なことや無茶を重ねる様ならただ見守ると言うわけにはいかない。その時は尋問される覚悟で日々過ごすように」
あれ、最後凄く怖いこと言ったような……。
「気をつける……」
立ち上がったハークハイトは、棚から色の違う小瓶を二つ取り出し私に渡した。
「何これ?」
「ひとつは魔力を抑える薬で、もうひとつは魔力の回復薬だ。君と初めて会い、騎士団に連れ帰った日、君には悪いが色々と調べた」
魔力を解放したことで意識を失っている間に、私は健康状態やその他諸々をハークハイトによって調べられていたらしい。
「君は、金環を四つも付けて当たり前の様に過ごしていられる程、子どもの身体にはそぐわない魔力を持っている。それ程の魔力ならば時には魔力が暴走してしまうこともあるだろうし、逆に魔力を抑え過ぎて身体に障ることもあるだろうと薬を作った。だが、君は全く魔力を使おうとしなかった。だから、作ったものの渡さずにいたのだ」
普通ならば不用意に子どもに渡すものでもないしな、とハークハイトは言った。
「説明されずとも君ならば分かっているだろうが、今日の様に動けなくなるほど魔力が低下した時は魔力回復薬を、逆に魔力を解放したり使ったりして溢れて戻せなくなってしまった時は抑制剤を使いなさい」
そう言われてみれば、魔力低下を起こしたのだから魔力回復薬を飲めば良かったんだ……。
自分と魔力を遠い所に置き過ぎてそんな簡単なことにも気が付かなかった。
「そう、だよね……。ありがとう。騎士団のみんなには処方できるのに自分に作るって考えたこともなかった」
「君自身が魔力を使うことを前提として生活していないからな。回復薬を作れる君に私から渡すのもどうかと思うが、貰っておきなさい」
「うん! 大事にするね!」
「然るべき所でちゃんと使ってくれ」
私は貰った小瓶をいつでも持ち歩ける様に、いつものバッグにしまった。
「薬貰うのが嬉しいなんて思わなかった」
「マオは君に作らなかったのか?」
「私、ほとんど病気しなかったから。怪我もあっという間に治るし、私がマオに作る方が多かったよ」
マオは別だけど、渡される薬に良い思い出なんてなかったから嬉しいな。
「今日は無理もした様だし、疲れただろう。早めに布団に入りなさい」
「ハークハイトの?」
「君のに決まっているだろう」
「はーい」
どさくさ紛れに一緒に寝てくれないかと思ったけど、むにりと頬をつねられ却下された。
この日にピコが立花の涙を急に作るに至った理由に気づいたのは、出発の前日になってやっと全身の筋肉痛の様な鈍い痛みが完全に引いた時だった。
そして、ヤッカニウムの対処法は六花の涙に頼る以外に見つけることができないまま、私はあの嫌な夢を見続け出発の日を迎えることとなった。




