クライツ領へ
翌日。
ソワソワしながら夕方を待ち、水鏡を覗くと──。
今日は、父親が待っていた。
『アリアーツェ、元気かい?』
「父様! はいっ、もちろん!」
待ちきれない期待感が伝わったのだろう。父親は苦笑して、違う領地になら、祖父方の遠い親戚がある事を教えてくれた。
『アリアーツェが学校に通う間、娘として引き取ってくれるかどうか、まずは手紙を送りたい』
「はいっ」
『少し時間がかかるが、待てるかい?』
コクコクと、アリアーツェはうなずいた。
『うまくいったら、また教えるからね。……では、母さんに変わるよ』
後ろを向いて苦笑して、父親は母親と場所を変わった。
母親ともお喋りして、満足したアリアーツェは、精霊達に抱きつく。よほど嬉しかったのだろう。
精霊達も、アリアーツェが嬉しそうなので、喜んだ。
全く新しい法律のため、大陸中が慌ただしくなった。
まずは皇都から運用がはじまり、次第に大きな地方都市へと。
犯罪者集団が捕まったり、不正が露見して貴族が処罰されたり、世間は騒がしかったが、人里離れた森の奥は、変わらず平和な日々が流れた。
そうして、なんとか一段落ついた春のはじめ。
アリアーツェは、湖の主に別れを告げて、隠れ家もそのままに、ある領地へと移動した。
東部地方の端にある、クライツ子爵領。その領地。
遠い親戚で、手紙でしかやりとりをしていなかったが、今回連絡を取ったところ、たいそう喜ばれたらしい。
なにせ、今一番注目が集まるセンテ男爵だ。
騙す訳にはいかないため、娘が皇子との婚約を拒否していること、センテ男爵領には帰って来れないため、学校に通うために親代わりになって欲しいことなどを、正直に手紙で書いたらしい。
返信はすぐに来て、クライツ子爵領で大切に預かることと、婚約拒否は当然、聖女の意思が尊重されるべき。
そして、できる限り協力すると書かれていた。
そのため、アリアーツェは養女として、クライツ子爵家に入ることが決まった。
帝都からも離れているし、ほどほどに田舎なため、のんびり過ごせるという。
「養女?」
『貴族同士では、よくある事だ。今回は、学校に通う間と期間を決めているから──その間に、まぁその、恋人でも作ってしまえば』
突然、父親の姿が消えた。いや、横に倒れて、母親が顔を写す。
『アリアーツェにはまだ早いわ! 気にしなくていいのよ。たくさん学んで、友達を作りなさい』
「はい!」
(ひと安心だな!)
「私達も、一緒に行きますよ!」
そんな成り行きで、はじめて訪れたクライツ子爵領は、自然豊かな、風光明媚な領地だった。
農業も盛んで、果物、とくにワインの産地で有名らしい。ゆるく起伏する丘に、一面の葡萄畑がひろがる様は、圧巻だ。
「はじめまして……私が、クライツ子爵だ」
領地の入り口、のどかな街の門の前で、初老に差し掛かった男性が待っていた。
貴族服ではなく、普通の服。お供すらいない。
精霊達に運んでもらったアリアーツェは、緊張しながら歩み寄って、ぺこりとした。
「はじめまして、アリアーツェですっ、くらいつし、し、しさくさま?」
「はははっ、噂に聞いてはいたが、とんだ美人さんだ。どれ、我が家に案内しよう」
片手を差し出され、怖々と手を預ける。
しわしわの大きな手のひらは暖かく、葡萄の香りがした。
「もう、君の部屋は整えてある。自分の家だと思って、自由に過ごすといい」
「はい! ありがとうございますっ」
「今日からは、アーツェと、呼ばせてもらうよ」
「はいっ」
アリアーツェの足に合わせて、クライツ子爵はゆっくりと歩く。
街に入ったはずなのに、ひろがるのは葡萄畑ばかり。
ときおり民家が見える。
農作業をしている人、籠を背負っている人、道端でお喋りをしている人。
たまに、手を振る者もいて、子爵はのんびりと振り返す。
「この歳で、まさか親になれるとは……精霊さまに感謝だ」
ぴょん、とアリアーツェは跳ねた。
「精霊、一緒にいいですか?」
子爵は破顔した。
「もちろん」
アリアーツェは、空に向かって呼びかける。
「みんなー」
風が渦巻き、光がきらめいて、水が飛び散った。
アリアーツェとクライツ子爵の目の前に、三人の精霊達が姿を現す。
「なんと……精霊が……こんなにはっきり……」
「風と、水と、光さん!」
胸に手を当てて、子爵はちょっと呼吸を整えている。
「だいじょーぶ、ですか……?」
「あ、ああ。少し驚いた……ご挨拶を、させてくれ」
クライツ子爵は、アリアーツェの手を離し、片膝をついた。
「ノア・クライツと申します。聖女様の……アーツェの親代わりとして、短いこの命を捧げて、尽くしましょう。どうか、精霊様方には見守っていただきたい」
子爵は、かすかに震えていた。うっすらと、涙まで浮かべて……。
心配で見ているアリアーツェと違って、精霊達は、満足そうにうなずいた。
「良いでしょう。愛し子の傍には常に我らがいる……そのことを忘れぬように」
「はい」
(なんで、泣く?)
後で、精霊たちにこっそり聞いたこと。
クライツ子爵夫妻には、本当は子供がいたらしいのだ。
だが、五歳の洗練の儀で、子供は神殿預かりとなった。
なにか悪いモノがついているとされて……。
「その子は、どこへいったの?」
精霊達にも、分からないという……。
クライツ子爵の館は、男爵家の館の五倍は大きかった。
玄関前で待ちきれぬように、婦人と執事が待っていた。
「まぁ、まぁ、まぁ! なんて可愛いらしい……!」
「まことに」
「妻のテリサと、執事のポールだ。さあ、まずは家の者たちに会わせよう」
「はわわ」
クライツ夫人には、いきなりきゅっと抱きしめられ、頬ずりされた。
執事の初老の男性は、ニコニコと優しい笑顔で見守っているばかり。
(セバスは……?)
(?)
がっかりする前前世は置いておき、館の中へ案内された。
男爵家とは比べようがない、それなりにきちんとした貴族の館だった。
まず、三階建てで、頑丈な石材と艶のある木材で仕上げられ、部屋数は三十くらい。
料理人、メイド、庭師、護衛がいて、彼らも一緒に住んでいる。
少し古びているが、歴史あるおもむきのある館は、ところどころ蔓草や葡萄の彫刻がされ、とてもお洒落だ。
アリアーツェの部屋は、二階の日当たりの良い個室だった。
ベージュピンクと、白で統一された、大人しめながら可愛いらしい部屋。
「わぁ……!」
そして、大きな窓からは、クライツ領の豊かな葡萄畑が見渡せた。
「気にいったかしら?」
「はいっ、とっても!」
続きの部屋には、バストイレ付き。隣の部屋は衣装部屋。
さらに、専用のメイドさんがつけられた。
使用人も、子爵夫妻も、とても優しい。
料理人が作るご飯もとっても美味しくて、毎日パンが出て驚いた。
それを正直に告げたら、なぜかみんなに泣かれたが。
とにかく、アリアーツェの新しい生活は、幸せなスタートを切ったのだった。
「五歳から、十歳まで、幼年学校があります。領地にも、ふたつあるので、アーツェ様は館から近い方に通いましょうね」
「はーい」
メイドのアンは物知りで、有能だ。
(赤毛じゃない!)
まわりで精霊達がガン見していても動じない。
「まだ幼年なため、遊ぶのが目的ですよ。運動したり。あとは、女子は刺繍やお料理なども」
「ししう」
「こちらの、テーブルクロスのお花、わかりますか?」
そっと端を持ち上げて、見せてくれる。
ピンクの小花と、黄緑の葉っぱが、可愛く模様を作っていた。
「こちらが、刺繍です。クライツ夫人が、縫われたものですよ。お嬢様が気にいってくれるようにと……」
アリアーツェの目が、キラキラと輝く。
「すごい、可愛い!」
「可愛いらしいお嬢様に、ピッタリですね」
「お礼を、言ってくる!」
「走っては、いけませんよ? ドアも私が開け閉め致します。ご夫人の都合をきくために、まずはお手数を書きませんか?」
「! 書きます!」
「可愛い便箋がありますから、こちらを……そうですね、夫人に似合う色にしましょうか。何色が良いでしょう?」
「ええと」
(……すげー)
(始まってるよ、教育)
素直で飲み込みが早いため、アリアーツェはどんどん吸収していった。
ひと月が終わる頃には、それなりに、礼儀作法を身に付けた。
綺麗な服を着て、髪も綺麗に整えられ、どこから見ても貴族の幼女。
例の住民票……証明書も、その頃には子爵領に配布された。
アリアーツェ──アーツェ・クライツ用の、貴族用のタグは、銀色に輝く涙型の石だった。




