妙策
何度も、何度も考えた。なぜ、逃げられたのか。
手ずから食べさせて、やったのに。
「淑女にする事では、ありません」
「淑女? まだ五歳だそ?」
何を言っている、と侍従を見れば、ヤレヤレと首を振られた。
普通なら──そう、普通に貴族の娘なら、国の皇族に嫁げるのだから、泣いて喜んでも良いはずだ。
たとえ、第二皇子だとしても、その妃なら、贅沢し放題、ワガママし放題なのだから。
考える。
どうすれば聖女は戻ってくるかを。
最初は、家族の下に必ず帰ってくると思っていたが、一向に帰って来る気配がない。
やっと手がかりを見つけたと思ったら、出入りしていた街に来なくなった。
親しくしていたという親子にも話を聞いたが、冒険者として獲物を卸していただけだと言う。
子供が……しかも少年のフリをして、冒険者の真似事をしていたなど……有り得ない話だったが。
だが、近所の者達は、親子はとても仲が良かったと言い張るし、中でも同い年くらいの、あの太った少年と、とても親密だったと……。
べきり。
「!」
羽根ペンが折れた。侍従が慣れた仕草で取り替える。
すまし顔だが、あれは内心笑っているのだ。控える騎士もきっと、たかが六歳の太った子供に負け──。
「カイル殿下、良い案がございますぞ」
執務室に、いきなりマント姿の老人が入って来る。
何故か、皇都からわざわざやってきて、カイルに仕えたいという老人。どうせ、皇帝の部下なのだ。
少しの魔法が使えるというが……。
「なんだ? ハーエイン侯。くだらない案なら山に放逐するぞ」
「おお、恐ろしい! さすがはあの陛下のお子でござ……いえ、ちょっと便利な魔法がございましてな……お耳を拝借」
「…………なんだと?」
「これなら、気付かれますまい? あとは、殿下の努力次第……時間のかかる方法ではありますが……いかがされます?」
「ふん。面白いではないか。……いいだろう。よし、ジークを呼べ!」
「はっ」
皇子の館は、にわかに騒がしくなった。
それからしばらくして、大陸中に、ある皇律──法律が公布される。
皇国の住民である証──個人証明書の、義務化。
流れの民には流民の証明書、孤児には孤児証明書などを発行。
街の出入り、買い物は全て、証明書を提示。
なお、子供の証明書は五歳からとし、無償か、皇立の通える学校に必ず通い、卒業後に一人前の証明書を発行。
この証明書がない者は、仕事にはつけないものとする。
証明書を持たない者がいた場合は、速やかに各詰所に報告の義務を化す──。
「…………証明書には、本名、年齢、出身地、賞罰の有無、所属先……」
(住民票か! やられた)
街で配られていた木製の薄い板紙に、インクでコピーされた新しい法律内容が、書かれていた。
「証明書は、ギルドで使ってる、低魔石の、タグを使用」
(偽物防止だ!)
(マズイな……)
もっと細かい内容は、裏面にあった。
証明書は民を守るためのもので、犯罪者はすぐに分かる事。
貴族、兵士、商人、市民と色分けし、偽装も防ぐ事。
証明書を持たない者を報告すれば、報奨金が出る事。
証明書は、本人にしか使用できず、悪事に利用すれば、管理局にすぐに分かる事。
何かあった際の身分証になり、病気の際は減額されたり、薬も無償で貰える事。
不測の事態で働けなくなったりした場合、きちんと税を払っていれば、生活費が支払われる事。また、火災などで家を失った場合も、補填が受けられる。
さらに一定額以上、税を納めていれば、歳を取り、働く事が難しくなった場合、積み立てた老後資金から、死ぬまで一定額受け取れる。
などなど……。
(なんだ、この、優遇措置)
(……)
「……五歳以上は、かならず、学校に入ること……?」
「学校、ですか」
「親の手伝いをしている子供も、いるのでは?」
「裏に、ほら。家業の手伝いがあり無理な場合は、月に一度だけ、基本のみ学ぶと」
精霊達もみんなで読んで、困惑顔だ。
「学校……」
前前世の記憶を見て、学校がどんな場所か分かると、アリアーツェはそわっとなった。
子供がいっぱい居て、毎日遊べる?
(いやいや、勉強するところだからな?)
(行くとしたら、貴族の学校か)
「これ、もってないと、たいへん?」
漠然と、新しい法律の怖さを察した。
みんなで、うーんと考え込んだ。
ずっと、この湖の島で、暮らすことはできる。
ただ、その場合、アリアーツェは二度と街にも、男爵領にも、行けない。
世間から、完全に切り離された暮らしを、一生過ごすのか?
一生、ひとりで。
(……証明書を、どうやって作ってるのか、見てみよう)
(何か、抜け道があるかも知れない)
「うん。風と光さん!」
「分かりました。ちょっと調べてきましょう」
「あちこち見て来ます」
水はアリアーツェとお留守番だ。
精霊達は、すぐに飛んで行った。
(あんな法律、誰が考えたんだか……)
(民も、混乱するだろう)
ただ、施政する上で、管理出来ているととても便利だ。学校も義務化すれば、民の質があがる。すなわち、税収も長い目で見れば、上がっていく。
(菓子屋があやしい)
(……)
アリアーツェは、花畑で刀を振るう。
考えがまとまらない時は、体を動かすに限る。
自分が、どうしたいか、考える。
離れることになった、シャーネットやトニーや、ラナの顔が浮かぶ。
精霊達は、大好きだ。ずっと一緒にいられるだろう。でも……友達は?
「学校……っ、行ってみたい……!」
だが、戻ってきた二人の精霊は、どんよりしていた。
「駄目です、アレは……特殊な鉱石で、魔法加工がされている」
「大元に、情報を集めて精査し、偽る事も書き換える事もできないように、神殿契約している」
「え……」
おまけに、精霊避けもされているという。
「なんで、精霊よけ?」
「……幼い精霊は、よくイタズラをするからな」
「私たちは、もうしませんよ?」
「……」
みんなで、途方に暮れた。
水鏡越しに、母親にも訊いてみた。
証明書の事は、どんな風に受け止められているのかと。
『大変なのよ。今までは自領の収穫分のみが、領地の収入だったのが、貴族の位によって、年俸がいただけるらしいの』
「年俸」
『ウチは男爵だから、金貨10枚くらいとか! 国全体で収穫分を分配するから、もし不作でも国庫から支給も受けられる……これは凄い事よ? 誰も飢えない……証明書があれば、管理できるからと。案を出されたのが、あのカイル殿下と聞いて、びっくりしたわ!』
母親は、興奮していた。
畑で話しているのだが……そんなに興奮していて、大丈夫だろうか? 見つかったりしないか?
アリアーツェは、ハラハラしてきた。
「母様、分かりました。良かったですけど……私、困って」
『アリアーツェ、いまは、どの地方にいるの? 近くに親戚がいれば、なんとか……なるかも知れないわ』
「えっ、母様本当っ?」
アリアーツェは、精霊を見上げる。
「東部の、デイロット領地、タナーン子爵領ですね」
そのまま告げると、母親は明日までに調べてみると言って、いったん水鏡は閉じた。
ドキドキしながら、アリアーツェは翌日を待った。
──季節は秋の終わり。
冬を迎える直前の、出来事であった。




