料理人
朝霧がカーテンのように、街道一帯を埋めつくす。
さながら迷夢の森のごとく。
一歩先すらおぼつかない。
鳥の声も遠く、かがり火も消えかける野営地の近くから、剣戟の音が響いた。
「──」
聞き慣れた音。
速く。恐ろしい程に正確。器用で、剛剣。一切の隙がない剣筋。
切り裂く刃の熱が、幾度もかする。ギリギリで躱し続ける。腕の長さ分相手が有利で歯噛みする。
イラつくほど迷いのない剣筋。
そこまで信じ切って振れるのは、誰のためか──背後で息を飲み、成り行きを見守る主の為か。
そう。その大事な主の命をとらなければ。
もう、そうする以外には──。
──この距離なら届く。
突き出された剣を、あえて肩にもらう。
「!」
「悪ぃな、騎士サマ」
構えた剣を、目の前の騎士ではなく、背後の少年に向かって投げ。
──たと頭で確信したはずが、どこからか飛んできた矢に手を射られ、小指が千切れ、彼の剣は半ばで落ちた。
肩から抜かれた剣が、真っ直ぐに心臓に突き立てられる。視界が揺れる。
邪魔をした矢に見覚えがあり、笑えた。
最後に見えたのは碧眼の騎士の迷いのない眼差しと、泣きそうな顔をする空色の瞳。
首から下げていた御守りが、地面に落ちる軽い音。
白霧の海を泳ぐように、音の元に進む。
街道の外れ、野営地のすぐそばで、剣を交わす者達を見付るのは容易い。
この音を耳にしたら、気になって、とても無視できかねた。
ひとりは体躯の良い騎士だ。肩幅が大きく手脚が長く、柔軟に動き長身。
対峙するのは、あの時より成長した青年だ。身長でも体躯でも一回り小さいが、それでも鍛えて来たのだろう、よく足が動いていて、眼も良く見えている。綺麗な剣さばき。
この眼も良く見える。
弾かれた──いや、わざと弾かれた騎士の剣先がくるりと後ろに回され、目の前でピタリと止まった。
剣風に、はらりと髪が浮く。
突き付けられた剣先ではなく、鋭い刃のごとき碧眼を、アメジストの瞳が見詰める。
「──」
何を見ていると言いたげな眼差しに、つい、微笑がこぼれた。
「アリアーツェか?」
名を呼んだのは皇子の方。少しいぶかしんでいる。
こんな早朝に、幼女がひとりで歩き回るなど、色々危険だろう。
夢の延長のように、紫の瞳は騎士の剣を眺めた。
「……よかった」
「?」
稽古は終わりのようだ。終わらざるを得なかったのか。二人は剣を鞘に収め、呼吸を整え野営地に足を向ける。
仲の良い主従だ。相変わらず。
(──よかった)
剣士が呟く。
目覚めた夢の続き、新たな生を得たものの、骨の髄まで染み込んだ剣への執着に変わりがなくて。
殺された相手に恐怖など覚えようものなら、二度と剣など、持てなくなるところだった。
ひとりでテントに戻ると、侍女が待っていた。アリアーツェが帰ってきたので、安堵される。
音がしたから、散歩ついでに見に行ったと告げると、微妙な笑顔を向けられた。
稽古の邪魔をしたら、駄目らしい。
巻き添えを食って、腕を無くした者がいたという。
(そりゃあ、随分と上手な稽古だな)
絶対わざとだと、剣士があざ笑う。
「……気を、つけます」
アリアーツェは良い子のお返事。
「そうして下さいませ。さあ、朝食をとったら出発ですよ」
侍女は随分、気を許して世話をしてくれる。まだ名前は聞いていないが、そのうち分かるだろう。
朝から温かいパンと、野菜を煮込んだスープが出された。良い匂いだ。
というか、美味しすぎる。
「あの、お食事は、誰が作ってくれました? とっても美味しいです」
侍女が頷く。
「帝都一番の料理人が、カイル殿下について来たのです。本来は、菓子職人なのですよ」
「帝都、いちばん」
「アリアーツェ様のために、今度菓子も作ると申しておりました。楽しみに、お待ちくださいませ」
侍女は嬉しそうに教えてくれたが、じわりと嫌な汗が出てきて、コクンとうなずくので精一杯だ。
菓子職人。不穏な単語だ。前世剣士にとっては……。
『御守り?』
読めるはずがない。日本語で書かれているのだから。
『まさか──』
『あんたもか?』
後続の馬車が増えて十台になり、それを護る新設の騎士団と共に、街道を出発したのは朝日が登ったあと。
小さな馬車はアリアーツェ専用らしく、ただ今日は何故か同乗者がいた。
「コチラはナッツを混ぜて焼いたクッキーです。それからこっちが果物を混ぜたマフィン。冷たいゼリーもありますよ」
ニコニコと作り笑顔を浮かべ、バスケットの中身を説明する……料理人。
ご飯は美味しい。それが伝わったらしく、当の本人が出発前に乗り込んで来たのだ。
帝都一番の菓子職人という事で、カイル皇子の職人扱いらしい。
直前まで一緒にいた侍女は、何も言わずに使用人用の馬車に行ってしまって、アリアーツェは初対面の料理人と二人きりにされてしまった。
「私の料理を気にいっていただけたとか。大変光栄に思いますよ、レディ」
裏も表もありそうな、大変胡散臭い笑顔を向けられて、どうしろというのか。
というか、やはりこの人物──。
「まだチョコは作れなくて、あっ、でもプリンなら作れますよ? プリン食べます?」
「?」
アリアーツェは何の事か分からず、きょとりと相手を見返した。
しばし沈黙が降りた。
バスケットの中身を見せてはくれても、渡してはくれない。
どれも、見た事の無いお菓子だ。良い匂いもして、鼻がぴくっとする。
だがアリアーツェは良い子なので、自分用にと出されない限り、飛びついたりしない。
そこはちゃんと、母親にしつけられている。
馬車が停まった。ドアが外から開き、侍女が声をかけてくる。
「料理人殿、お時間です」
「わかりました。では失礼レディ」
どうやら、あらかじめ時間を区切られていたようだ。
名前すら名乗らず、怪しい料理人はさっさと馬車から降りて行った。
ふぅと、ため息が出てしまう。
馬車の外で話し声がしていたが、再び侍女が顔を見せた。掲げた手にはさっきのバスケットが。
「アリアーツェ様、お菓子はいただけるそうです」
「……わたしは、いいです。みなさんで、どうぞ」
「良いのですか?」
嬉しそうに侍女が聞く。アリアーツェはこくこくうなずく。
得体の知れない人物からの、見た事のない食べ物はちょっと怖かった。
侍女はお礼を言い、馬車は再び走り出す。
今度こそ、ホッとした。
「……風さん」
小さな風が、するりと飛んでいき、さっきの料理人を追いかける。どうやら他の、使用人の馬車に同乗しているようだ。
アリアーツェの美貌をやたらと褒め、菓子は気にいってもらえなかったようだと大袈裟に嘆き、他の使用人に慰められている。
黒髪に黒い瞳の平凡な容姿の、二十歳過ぎの青年。
彼が、カイル殿下と知人。その事実だけで、充分。
(やっぱりか……)
苦い感情が気分を暗くする。
ご飯は、美味しいけれど。作る人物は信用できない。
「……ん。気を、つける」
(わかったよー)
(よう注意じんぶつね!)
(みはる、見張る)
まわりじゅう、敵だらけとは。
精霊達とお喋りしながら、流れる景色を暗鬱に見詰めるのだった。




