夕餉
かがり火が、野営地を照らす。
お昼ご飯を食べたら眠くなって、起きたら既に夕刻だった。
泣いた顔を丁寧に拭かれ、冷たい水の染みた布を当てられ、テントから出る。
馬車の数が増え、人数も増えていた。
アリアーツェの姿を見つけた騎士や、兵士達がみな一様に固まった。
幼く儚い容姿を、白い衣装で整えただけで、すっかり別人になっていたからだ。
白金の長い髪が、サラサラと小さな背中に流れる。
ミルク色の白い肌に、宝石のごときアメジストの双眸が神秘の輝きを放つ。
目の前を通り過ぎるだけで清浄な風が吹き、眩い光に護られた姿は、まるで物語に出てくる精霊の化身だ。
「アリアーツェ様を、お連れ致しました」
「ご苦労……」
皇子のテントを護っていた騎士が、呆然と目を見張る。
侍女の先導でテント内に踏み込むと、仕切り布の前にいたジークまでもが、少女の美しさに目を奪われた。
「……殿下が、お待ちだ」
すぐに持ち直し、目を逸らす。
「失礼致します」
侍女は何故か得意げに感じながら、サッとアリアーツェを奥に通した。
テント内は利用事に区切られ、案内されたのは食事処だ。
低めの椅子とテーブルが厚手の敷物の上に置かれ、大皿が幾つかと、小皿と、飲み物の入った瓶が用意されていた。
「来たか」
他の者は下がらせたのか、給仕する少年が一人だけ、待機している。
アリアーツェの姿を見て一瞬静かになったが、侍女に椅子に座らされ顔を向けた時には、作り笑顔になっていた。
「これは、見た目だけなら極上ではないか。なあ? サリュ」
侍従の少年が困ったように苦笑する。
小皿のそばにフォークやナイフ、空のカップが用意された。
侍女もアリアーツェの斜め後ろに待機し、どうやら給仕をしてくれるようだ。
カイルと二人きりでないようでホッとしたのもつかの間、料理を眺めているといきなり腕をつかまれ引っ張られる。
「!」
顎を指で持ち上げられて、間近に目を覗き込まれ、身震いが走った。
悠久の空の色。
探るように深く深く、瞳の奥を覗いてくる、無遠慮な空の色。決して手の届かないあの空の色。
「不思議な瞳だ。アメジストのなかに金色の光が──これが、精霊眼か」
「っ?」
顎を掴んだまま親指の腹で、小さな唇をなぞってくる。逃げようとするが叶わない。
嫌がっているのを面白そうに、両眼を細める。
「どれ、食べさせてやろう」
(!?)
ひょいと膝の上に抱き上げられ、腰に腕が回る。慌てて侍女に助けを求めたが、サッと視線を逸らされた。
侍従の少年がため息をつきながら、指示された料理を切り分ける。
狩りの獲物か、ぷりっとした鶏肉に火を通したものを、小さめにほぐしたそれを、口元に差し出される。
鼻先に、なんとも堪らない良い香りがかする。
「……っ、ひとりで、食べれま…!」
抗議のため開けた口のなかに、鶏肉が詰め込まれ、つい噛み締めた。
香草と焼いたのか、味が染み込み絶妙に上手い。塩も上等なのだろう。頬が落ちるほどに美味だ。
モグモグと口が勝手に動く。
食べる事に集中して、つい身体から力が抜けたのを、ふっと鼻で笑われ、次の料理が口元に運ばれてくる。
たらりと冷や汗が出てくる。
まさかずっと。
「……殿下?」
「食べぬと、食事は抜きだ」
「!」
なんという──卑怯な手を使うのか。
料理の美味しさに目眩を覚えながら、嫌いな相手に拘束されたまま、生きた心地がしない夕餉は、拷問に等しかった。
充分に食べさせてから、子供は寝る時間と、侍女に任せて下がらせる。
涙を浮かべながら、頬を真っ赤に染めながら、我慢して餌付けされていたアリアーツェの様子を酒の肴に、カイルは機嫌良くジークを呼んだ。
複雑な苦い顔を隠そうともせずに、ジークが傍に片膝をつく。
侍従にジークの分の酒盃も用意させ、仕事中だと言い張るのを無理やり横に座らせた。
「……泣いて帰したので、皆いぶかしんでおります」
「そうか。あれは痩せすぎだな。軽すぎた」
ジークのコメカミがピクリとした。
「……殿下、まだ五歳です」
「ああ、五歳であの美貌では、将来は末恐ろしいな」
酒が回ってきたのか、カイルはくつろいで、満足そうに笑う。
主人の機嫌を配慮し、ジークは黙って酒に付き合う。
「見ていたかサリュ? 精霊は大人しかったぞ」
悪戯が成功したかのように、カイルは杯を持ち上げる。
侍従の少年──サリュはやれやれと肩をすくめ、減った酒を継ぎ足した。
「肝が冷えるので、お戯れは程々になさいませ。おそらく、危害を加えない限り危険はないかと……」
「手ずから餌を食べさせてやっただけだからな」
「可哀想に……殿下に遊ばれては、身が持ちますまい」
「ははは、よく言う」
「……殿下、あまり飲みすぎは」
ジークが心配そうに主人を見詰める。機嫌が良いのを表に出し過ぎだ。
空色の瞳に浮いてきた別の熱に、いち早く気付いたのだが。
一気に酒盃をあおり、盃をテーブルに叩きつけた時には、すっかり笑みは消えていた。
「はは──『聖女』か……曖昧な命令のせいで……雨が降ろうと降るまいと……」
北の領地は、かなり深刻な状況だとの報告だ。
おそらく、ただ雨を降らせただけで帝都に戻っても、無能扱いされる。
皇帝が納得する程の、成果を出さなければならない。
資金も部下も豊富に与えられ、それでも何も出来なければ、それこそ。
「殿下」
侍従はそっと盃を下げ、礼をしてテントから出て行った。
ジークが椅子から降りて、うやうやしく跪く。
「我が君──カイル殿下。何があろうと、貴方様は成し遂げられる。幼い時より聡明にして、貴き方で、絶対者なのですから。敵は全て私が打ち倒します──この剣にかけて」
否定するように頭を左右に振るカイルを、ジークは辛抱強く見詰める。
「あの時よりはまだ、マシでしょう。脅威的な敵は、もうこの世にはいない──勝ったのは殿下なのですから」
「……」
ようやく、落ち着きを取り戻した瞳から、翳りが薄れる。ジークの碧眼を見返し、彼の腰の剣を懐かしそうに眺めた。
激戦をくぐり抜けたジークの愛剣。その刃がどれだけの血を吸ったのか、勝利を掴み取ってきたのか、思い出す。
大陸最強の騎士が、目の前に存在して己に忠誠を誓っている──その安心感を、うっかり忘れていたようだ。
「……ああ。すまない。──飲みすぎたか」
「もう、お休みになられては? 昔のように、ずっとお傍におります──私が」
「わかった、寝るとしよう。出発は明日だからな」
カイルは弱々しく笑い返すと、酒気を払うように頭を振り、寝室に向かう。
食事処の灯りを落とし、寝室へ向かった主を騎士が追う。
上着を脱ぎ、楽な衣服に着替えるのを甲斐甲斐しく手伝い、苦笑されながら……眠りにつく主人をずっと、見守り続けた。




