伝承
教会。
歴史は古く、元々は精霊信仰から発したもので、日々の恵みを精霊に感謝し、慎ましく暮らすための教えを広めている。
だが、大昔──大陸がもっと広大で豊かな大地だった頃、精霊の元となる自然神がいたと、言い伝えに残っている。
その神からの言葉を受け取る者が、教会を立ち上げたという説もある。
『聖なる樹木』は、その神なる存在が植えたとも。
その樹木が実をつける時、聖なる乙女が現れて、大地を浄化するのだと。
「こちらが、聖句の一文となります」
教会の司祭が手で示した石板には、確かに文字が刻まれていた。
灰色の、鈍く輝く頑丈な石で、大きさは大人が両手をひろげた程か。崩れた文字は古代語で、難解。
その石板は、聖なる樹木の真下──地下の洞窟の中央にあった。
教会は、今までずっと石板の存在を隠し通してきた。
帝国の、しかも王都の中心地に、教会は昔からずっとある。
教会があったから、ここに国が造られたのだと、歴史は明確にそれを示す。
「では──本当に、彼女が『聖女』だと」
騎士を従えた皇子が、ゆるく睥睨しながら、問いかける。
司祭は跪いたまま、おごそかに深く頷いた。
「……幾つか質問がある」
「では、別室にて、お伺い致します」
第二皇子は、司祭の案内に続いた。
気温の低い洞窟から、天然の階段を上がり、教会の祠に出る。
普段は封印されている神聖な場所だ。わざわざそこへ案内したのは、なにか意図があるのかないのか。
祠からすぐ近くの、窓の大きな個室に案内された。爽やかな風が入り込み、柑橘系の香りが漂う。
教会内、そして教会の敷地はいま、その爽やかな香りに包まれている。聖なる樹木の香りだ……あの日からずっと。
「聞きたい事は、まず、聖女とは何者か、ということ」
「言い伝えの通り、精霊に祝福されし乙女であるかと」
「では、大地の浄化、というのは?」
「そればかりは……分かりませぬ」
司祭は歳のいった老人であり、清貧で穏やかな人物だ。
「古代語は、あの石板以外見つかっていないのです。各地に伝承が残っていないか、調査は続けているのですが……大陸各地に散らばっておりまして」
精霊の伝承にくらべ、聖女の伝承は数える程しかない。
それもそのはずだ。古代大陸言語は、軽く600年以上も前だ。調べるといっても、簡単ではない。
だが今日は、伝承を聞きにきた訳ではなかった。
「では、司祭殿。現世に現れた『聖女』は、いかに扱うべきか……意見はあるか?」
司祭は、第二皇子の酷薄な瞳に呼吸を止めた。
「……っできれば……教会にお越しいただきたいと……」
優しげに微笑んでいても、それは冷たい為政者の笑みで、空色の眼差しは誤魔化しを一切許さない。
「……聖女さまは……精霊を操れるとも、言われ……っ、そのお力は教会で、ただしく使われ……るべき」
息も絶え絶えに言い切った司祭は、胸を押さえ苦しげに倒れた。
ドサリと音が響き、扉の外に待機していた教会の者たちが走りよる。
「司祭さまっ」
「具合が悪いようだ。今日はこれで失礼する」
騎士に先導させ、カイルは教会を後にした。
皇族専用馬車に乗り、皇城に帰る。
教会の周りには今日も、熱心な信者が詰めかけ、奇跡を現した聖なる樹木に祈っていた。
皇城に入れば、城内を行き交う貴族や使用人達が道を開け、うやうやしく頭を垂れる。
「カイル様だわ」
「素敵……」
「ジーク様もご一緒よ」
ため息と熱い視線が、第二皇子と、その側近に送られる。
貴族や兵士達からも、敬い尊ぶ眼差しがくる。
大陸統一に並ならぬ活躍をした皇子と騎士だ。おまけに主従とも大変見目麗しい。
どこにいても衆目を集め、人々の支持を得る。
「カイル殿下が後継で良いのでは──」
「しっ」
どこからともなく、そんな話が湧いて出て来てしまう程に。
ジロリとジークが鋭い視線を送り、口が過ぎた貴族は慌てて立ち去る。
「ジーク」
やんわりと己の騎士を呼び、カイルは苦笑する。
政庁を行う主塔から通路を逸れて、皇族の住居へと進む。
青石で敷き詰められた、美しい塔である。
真白な大理石の壁と、瑠璃色の天井と床。金色の装飾は蔓草や葡萄。そして柱に巻き付くのは白い蛇。
白蛇は知恵の象徴として、帝国紋章にも記される神聖な生き物だ。
カイルの居室は、皇城の奥、東の塔。
「カイル殿下、お帰りなさいませ」
楚々とした美しさのメイド達が、カイルを出迎えた。上着を預かり、部屋に灯りを灯す。
「今日はもう、下がれ」
「かしこまりました」
侍従の少年のみ残し、メイドは下がらせた。
「──殿下」
お茶がすぐに運ばれて、ジークはカイルの傍に片膝をつき、主人を見上げた。
「なんだい? ジーク」
襟元を緩め、背もたれに寄りかかり、カイルは第二皇子の仮面を少しだけ、外す。
外に護衛の騎士はいるが、私室に入れるのは側近のみ。
「……聖女と婚約など、反対です」
「ふむ。父上の決定は絶対だ。確かに歳の差が……ありすぎて驚いたが」
アリアーツェは現在五歳。
カイルは十九歳だ。
つまり、アリアーツェが成人する十四歳の時──カイルは二十八歳。
「婚約期間が、九年か? 笑えるな」
「笑い事ではありません」
手を振って本当に笑い出すカイルに、なんとか聞いてもらおうと、ジークは言葉を探す。
「聖女は──あの少女は信用できかねます」
「ごく普通の少女だろう? かなり、美しかったな」
「教会が仕組んだ可能性もあるのでは?」
「精霊が、実際に飛んでいるぞ。教会の連中に、精霊は動かせまい」
「……ですがっ、殿下を追い出す策としか……!」
「ああ、そうだろうな。父上は、私を皇城から追い払いたいのさ」
「!」
薄く笑いながら告げるカイルに、ジークはもう、何も言えなかった。
「……なぜ、皇子であるのに、統一戦争に駆り出されたか、今なら理解できる」
「殿下」
カイルが戦場に送られたのは、成人したばかりの十四歳の時。ジークも騎士に成り立てで、十六だった。
帝国は圧倒的な人数と、武力で、統一は目前。地方都市の小さな国など、敵ではないと言われて、初陣に実際に出向いてみれば。
「先に侵略していた能無しのせいで、泥沼だった。民間人まで敵に回って──あんな地獄は二度と、御免だ」
誰が出向いても、どうにもできない状況に陥り、殲滅するしかなかった。
「今でも、北の地は──いや、もう済んだ事だ……」
思い出しかけた懐かしい姿を目を閉じてやり過ごし、カイルは皮肉気に笑う。
「たったひとり。そのひとりに一年も抵抗されて、勝ったはいいものの。今度は自分が厄介者とは」
「何かの、間違いです……」
「きっと、地獄の底で笑っているぞ。ざまあみろと、な」
「殿下!」
豪華な部屋から見上げた空が、思ったより狭く見える。
項垂れる騎士の肩を叩き、カイルは追憶の淵に沈んでいった。




