第6話 聞いてやるわ!
その日の朝、アウラ・ディ・ヴァレリアは鏡の前に立って、練習をしていた。
「ふふ……ふふふ……」
笑い方の練習だ。悪役令嬢らしい、冷たい笑み。前世で読んだ小説の悪役令嬢はみんなこういう笑い方をしていた。口角だけ上げて、目を細めて、見下すように。
「ふふ……ふふふ……」
鏡の中の自分は、どう見ても楽しそうなだけだった。
「……駄目だわ」
アウラはため息をついた。今日こそセリア・ディ・マルコへの嫌がらせを成功させる予定だった。午後に王宮の庭園でセリアの茶会がある。そこに乗り込んで、ルキウスの前でセリアの粗を暴く。完璧な計画だ。
ただ問題が一つある。
アウラはこれまで17回、セリアへの嫌がらせを試みて、17回失敗していた。
最初の失敗は3ヶ月前だった。
社交界の夜会でセリアの悪評を流す計画を立てた。「セリア・ディ・マルコは貴族の品格に欠ける」という噂を広める予定だった。
翌朝、城下に流れていた噂は「セリア・ディ・マルコは努力家で謙虚、伯爵家の誉れ」というものだった。
なぜそうなったのか、今でも分からない。
2回目はセリアの茶会を妨害しようとした。当日、会場に早めに乗り込んで、セリアが準備した菓子に難癖をつける計画だった。ところが会場に着いたらセリアが一人で必死に準備していた。思わず「手伝いましょうか」と言ってしまった。
茶会は大成功だった。
3回目はルキウスの前でセリアを貶める作戦だった。「セリア様って、ドジなところがありますよね」と言うつもりだったのに、口から出たのは「セリア様って、一生懸命なところが素敵ですよね」だった。
ルキウスが「そうだね」と言いながらセリアを見た目が、忘れられない。
それ以来、失敗の数だけ増えていった。嫌がらせをしようとするたびに、体が言うことを聞かない。頭では分かっている。でも口が、手が、足が、全部違う方向に動く。
17回。
さすがに原因を探らなければならない。
アウラは鏡から離れた。今日の茶会の前に、一つ寄るところがある。
王女ルナリア・ディ・アステリアの執務室は、思ったより静かだった。
噂では「聖女王女」「民の母」「王国の光」と呼ばれる人物だ。会う前はもっと神々しい雰囲気を想像していた。実際に現れたのは、黒髪に紫の瞳を持つ、確かに美しいけれど、どこか疲れた目をした王女だった。
疲れた目。
なぜ疲れているのか少し気になったが、今はそれどころではない。
「ヴァレリア公爵令嬢、アウラ・ディ・ヴァレリアと申します」
「用件を聞かせて」
「はい。折り入ってご相談がございまして。私、王太子殿下の婚約者として王宮での立ち振る舞いに励んでおります。ただ最近、どうも周囲との関係がうまくいかなくて」
「具体的には?」
「誰かと、うまく距離を置きたいのに、なぜか近づいてしまうといいますか。頭では離れようとしているのに、体が勝手に動いて、気づいたら助けていたり、励ましていたり……」
王女が少し目を細めた。
「……それは、あなたが近づきたいからでは?」
「違います!」
「では、なぜそうなると思う?」
「それを聞きに来たんです!」
思わず声が大きくなった。王女の眉が少し上がった。シルフィと名乗った無表情のメイドが、扉の横で一ミリも動かなかった。
アウラは深呼吸した。
「……すみません。ただ本当に困っていて。17回試みて17回失敗していて」
「17回」
「はい」
「何を17回?」
「……距離を置こうとすることを」
王女が何かを考える顔をした。
長かった。
かなり長かった。
アウラが「殿下?」と声をかけそうになった頃、王女が口を開いた。
「そういうことは、あるわね」
「……それだけですか?」
「自分が思い描く通りにならないとしたら、あなた自身の中に、思い描いている通りにしたくない部分があるのかもしれない」
「……つまり、私が本当は距離を置きたくないと?」
「そうは言っていないわ」
「では何と言っているんですか」
「自分が何をしたいのかを、もう少し正直に考えてみることね」
「……それだけですか?」
「それだけよ」
アウラはしばらく王女を見た。王女がアウラを見た。
「……17回失敗した人間へのアドバイスが、それだけですか?」
「そうよ」
「もう少し具体的に教えていただけませんか?」
「難しいわね」
「なぜですか?」
「複雑な問題だから」
「複雑ですか?」
「ええ」
アウラは一瞬、王女がものすごく何かを隠しているような気がした。ただ表情は完璧に涼しかったので、気のせいだと思うことにした。
「……ありがとうございました」
釈然としなかったが、一礼して部屋を出た。
扉が閉まった後、ルナリアは椅子に深く座り直した。
シルフィが新しい茶を用意しながら、何も言わなかった。
「……危なかったわ」
「はい」
「あと少しで教えてしまうところだったわ」
「はい」
「17回って言われた時、少し同情したのよ。私も似たようなものだから」
シルフィが茶を出した。何も言わなかった。
ルナリアは窓の外のアウラの背中を、まだ見ていた。金髪が午後の光に揺れている。
アウラ・ディ・ヴァレリア。私が書いた悪役令嬢。あの子の失敗の原因は分かっている。根が善良すぎる。悪役を演じようとしても、前世から持ち込んだ性格が全部邪魔をしている。
教えてやれば解決する。
でも教えたら断罪イベントが進む。断罪イベントが進めば物語が本来の流れに戻る。本来の流れに戻れば、ルナリアは清廉潔白な王女として王位継承争いに巻き込まれ、内乱で……
「シルフィ」
「はい」
「あの子のことは、放っておいて」
「かしこまりました」
シルフィが一礼した。
ルナリアはもう一口、茶を飲んだ。
苦かった。
「……17回か」
独り言だった。
私は今、何回失敗しているのだろう。数えたくなかった。




