第42話 出発してやるわ!
出発当日の朝、シルフィが茶を持ってきた。
約束通りだった。
受け取って、飲んだ。いつもと同じ味だった。同じ温度だった。同じ茶杯だった。全部いつも通りだった。なのに、少し違った。
「……最後ね」
「左様でございます」
「この部屋で飲むのは、最後よ」
「はい」
飲み終えた。茶杯を置いた。
「行きましょうか」
城門に出ると、4人が並んでいた。
カリウス、クラウディオ、ドミナ、そしてフェリオだった。
「フェリオ、来ていたのね」
「昨日着きました。見送りには間に合うと思いまして」
「3日かかるのに、いつ出発したの?」
「4日前です」
「……廃嫡が決まる前から動いていたのよね」
「タイミングを合わせました」
やっぱりそういう人間だった。
カリウスが一歩前に出た。
「殿下のご無事を」
「ありがとう。国境を守って」
「承知しております」
クラウディオが続いた。
「追放先での費用の件、手配済みでございます。必要になりましたらご遠慮なく」
「……受け取っておくわ。ありがとう」
「いいえ。こちらこそ」
ドミナが最後に一礼した。
「殿下、長い間、お疲れ様でした」
「……あなたに言われると、少し複雑ね」
「そうでしょうね」とドミナが言い、今日も目が少し笑っていた。「それでも、申し上げたかったので」
「受け取っておくわ」
馬車の前に立った。
振り返った。城が見えた。高い壁、石造りの塔、朝の光が当たっている。何年も過ごした場所だった。どの窓から何が見えるか、全部知っていた。
「……さようなら」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
城に言ったのかもしれなかった。
馬車に乗った。
シルフィが向かいに座った。
馬車が動き出した。城門を抜けた。道が続いた。城が遠ざかった。
しばらく、2人とも何も言わなかった。
「シルフィ」
シルフィがこちらを見た。
「あなた、結局何者なの」
シルフィが少し間を置いた。
「メイドでございます」
「それだけ?」
「殿下のメイドでございます」
「それは知っているわよ」
「では、何をお知りになりたいのでしょうか」
「どこから来たのか。なぜ私のそばにいるのか。本当のことを」
シルフィが少し間を置いた。今日一番長い間だった。
「……どこから来たかは、お話しできます。ただし、長い話になります」
「時間はあるわよ。山越えまで3日あるから」
「左様でございますね」
「なぜ私のそばにいるのかは?」
「……それは」
シルフィが少し間を置いた。
「幼い頃、殿下に声をかけていただいたからだと、ずっと思っていました」
「それが誤解だったと分かったのに、まだいるのね」
「はい」
「なぜ?」
「……誤解だったとしても、声をかけていただいたことは事実でございます。その時に、ここにいようと決めました。理由が変わっても、決めたことは変わりません」
「理由が変わっても、決めたことは変わらない」
「はい」
窓の外に城下の景色が流れていた。見慣れた通りが、後ろに流れていった。
「……ありがとう」
「何のことでしょうか」
「ずっとそばにいてくれたことよ」
「殿下の追放計画を邪魔し続けましたが」
「そうね。邪魔されたけれど、それでもいたでしょう。毎朝茶を持ってきて、号外を刷って、先回りして」
「それが私の仕事でございましたので」
「……疲れなかったの?」
シルフィが少し間を置いた。
「疲れたことはございません」
「嘘ね」
「……疲れたとしても、やめようとは思いませんでした」
「それは本当?」
「はい」
2人とも少し黙った。馬車が揺れた。
「シルフィ」
馬車が少し揺れた。シルフィが窓の外を見たまま、少し首を傾けた。
「号外を刷り続けることはできないと言っていたわね」
「左様でございます」
「でも記録はつけ続けるの?」
シルフィが少し考えた。
「……殿下の隠居生活の記録を、つけ続けることはできます」
「隠居生活の号外?」
「手帳への記録として」
「誰が読むの?」
「私が読みます」
「それは号外じゃなくて日記ね」
「そうかもしれません」
「あなたが日記をつけるのね」
「記録として、つけ続けます」
「……私のことを書くの?」
「書きます」
「何を書くの?」
シルフィが少し間を置いた。
「……殿下が今日も生きていたということを」
馬車が揺れた。
返す言葉が出なかった。出そうとしたが、出なかった。目が少し熱くなった。熱くなったが、出なかった。
「……うるさいわね」
「失礼いたしました」
「失礼じゃないわよ」
「では何でしょうか」
「……何でもないわ」
窓の外を見た。城下が終わり、野原が始まっていた。空が広かった。思っていたより広かった。
「シルフィ」
シルフィが静かにこちらを向いた。
「どこから来たのか、話してくれる?」
「……はい。お話しします」
「3日あるから、ゆっくりでいいわよ」
「かしこまりました」
シルフィが少し間を置いてから、口を開いた。
馬車が揺れながら進んだ。空が続いた。




