第4話 喧嘩を売ってやるわ!
もう3ヶ月になる。
3ヶ月間、私は悪事を働き続けた。侮辱した。解雇しようとした。左遷した。結果はどうだ。支持率91%、後継者候補筆頭、民衆から「聖女王女」と呼ばれる始末。
どこで間違えたのか。
いや、分かっている。間違えていない。私の悪行は完璧だった。問題はシルフィだ。あのメイドが全部ひっくり返す。私が右に動けば左に変換され、上に動けば下に変換される。どう動いても「殿下の深謀遠慮」になる。
おかしい。絶対におかしい。
私は執務机の引き出しを開けた。一番奥に隠してある手帳を取り出す。前世の記憶を頼りに書き留めた、この物語のプロット。42話分のあらすじ、登場人物、伏線、回収予定のネタ。作者として知っている全ての情報がここにある。
4話目のページを開いた。
書いてある。当然だ、42話完結の物語なのだから。
ただし書いてある内容が、現実と一行も合っていない。
4話のプロットには「王女が晩餐会で大使を侮辱し外交問題に発展、廃嫡の危機」と書いてある。現実では食糧支援が届いて支持率が上がった。5話には「騎士団長の左遷で民衆の批判が集まる」と書いてある。現実ではカリウスが英雄になった。シルフィの名前はどこにも出てこない。登場人物一覧に存在しない。
作者なのに、何も分からない。
プロットがあるのに、役に立たない。
手帳を閉じた。
「……もういい。やけくそでいく」
隣国リベリアへの公式訪問が決まったのは、その翌日だった。
食糧支援の件でマルチェロ卿から招待状が届いたらしい。断る理由がなかった。というより、シルフィが「断る場合の影響を試算しました」と分厚い資料を持ってきたので、断れなかった。
馬車の中でずっと考えた。
リベリア王国には第二王子がいる。フェリオ。明るい茶髪、快活な笑顔、隣国ではお調子者扱いされている男。手帳のプロットでは接触する予定がなかった人物だが、シルフィから事前情報として名前を聞いていた。
国際問題を起こすなら外国の王族相手が一番効く。
王女が他国の王子に暴言を吐けば、外交問題どころか国際問題だ。廃嫡どころか国外追放が現実味を帯びる。これは使える。
ただし今回は失敗しない。シルフィが変換できないくらい、とんでもないことを言ってやる。品も格もかなぐり捨てて、誰がどう聞いても「この王女はおかしい」と思われるくらい、派手にやる。
やけくそだ。もうやけくそでいい。
リベリア王宮での歓迎式典は、想像より豪華だった。
広間に並んだ貴族たち、花で飾られた回廊、正面に立つリベリア国王とその家族。第一王子は父王に似た落ち着いた顔立ちで、その隣に茶髪の男が立っていた。
フェリオだ。
遠目でも分かる。笑っている。式典中なのに、心底楽しそうな顔で立っている。隣の第一王子が時々窘めるように視線を向けているが、本人は気にしていない。
私は深呼吸した。
これでいく。
式典が終わり、各国の代表が挨拶を交わす時間になった。フェリオが近づいてきた。予想通り、真っ先に話しかけてきた。
「アステリア王国の王女殿下ですね。フェリオといいます、よろしく」
砕けた口調だった。王族の挨拶とは思えない。
私はここぞとばかりに一歩前に出た。背筋を伸ばして、フェリオを真正面から見た。練習した「傲慢な目線」全開で。
「あなたの国は、属国になる準備をしなさい」
広間が静まり返った。
3ヶ月前の晩餐会を思い出すような静寂だ。ただし今回は国際舞台、相手は他国の王子、発言の破壊力は段違いのはず。
「は?」
フェリオが素で聞き返した。
「いや、ちょっと待って。今なんて言いました?」
「属国になる準備をしなさいと言ったの」
「……本気で?」
「本気よ」
フェリオが固まった。3秒くらい固まってから、急に笑い出した。声を上げて、堪えようともせず、腹を抱えるように笑った。
周囲の貴族たちがざわめいた。リベリア国王の顔色が変わった。第一王子がこめかみを押さえた。
「すごい!」フェリオがまだ笑いながら言った。「初対面でそれ言える人、初めて見た」
「笑っている場合ではないわ。私は本気よ」
「いや本気なのは分かるんですけど」フェリオが笑いを収めようとして、収まらずにまた笑った。「なんか、すごく、正直な人だな、と思って」
「正直?侮辱しているのよ」
「そうなんですけど」
フェリオがようやく笑いを収めた。目が笑ったままだったが、声は落ち着いた。
「うちの国の外交、確かにぐだぐだですからね。属国って言葉は言いすぎだけど、言いたいことは分かります」
「……」
「こんな正面から言ってくる人、うちの国にはいないんですよ。みんな遠回しで、建前で、本音を言わない」
私は何か言おうとして、やめた。
これは想定と違う。
「また話しましょう、アステリアの王女殿下。面白い人だ」
フェリオが軽く頭を下げて、離れた。
帰りの馬車の中で、私は肘掛けに頭を預けて目を閉じた。
「シルフィ」
「はい」
「号外は?」
「帰国前に現地で配りました。『アステリア王女、隣国の外交改革を直言。両国の新時代が幕を開ける』という見出しで」
「……現地で?」
「リベリア語版も用意しております」
目を開けた。シルフィが向かいの席に座って、次の書類を確認していた。無表情、完璧な姿勢、いつも通り。
「リベリア語が話せるの?」
「読み書きは問題ありません」
「いつ覚えたの?」
「殿下が隣国訪問をされる可能性を考えて、昨年から」
窓の外をリベリアの街並みが流れていった。石畳の道、並んだ商店、夕暮れの空。
「フェリオ殿下から、帰国後に文を送りたいとの申し出がありました」
「断って」
「承りました」
間があった。
「……断らなかったの?」
「はい」
シルフィが書類から目を上げた。
「殿下のご学友として、文通のお相手をされることをお勧めしました。フェリオ殿下は快諾されました」
馬車が石畳の上を揺れた。
私は何も言わなかった。ただ窓の外を見た。遠ざかるリベリアの街を、暮れていく空を。
明日には手紙が来るのだろう。茶髪で、笑っていて、正直だと言ったあの男から。
「……やけくそでいいって言ったけど」
独り言のつもりだった。
「やけくそでも無駄なのね、結局」
シルフィは答えなかった。
ただ膝の上の書類を一枚、静かに裏返した。




