第3話 左遷してやるわ!
王国騎士団長カリウスという男を、私は書いた覚えがない。
設定資料には載っていない。登場人物一覧にも名前がない。ただこの世界には、私が名前をつけなかった人間が確かに生きていて、息をして、今朝も訓練場で部下を指揮しているらしい。モブとして書いていたはずの誰かが、いつの間にか騎士団長になっている。
シルフィもそうだ。
まあいい。今日はそれどころではない。
昨日、父王から呼び出しがあった。内容は「次の王位継承評議会でルナリアを正式な後継者候補として推薦する」というものだ。支持率の高さが評議会の空気を動かしたらしい。このままでは半年後に後継者指名、3年後に王太女、そして……
考えるだけで寒気がする。
手を打つなら今だ。
カリウスは訓練場にいた。
30代、黒髪、顎に古傷。部下に何かを指示していたが、私が現れると全員が動きを止めた。カリウスが一歩前に出て膝をついた。
「殿下」
短い声だった。余分なものが何もない。
私は彼を見下ろした。悪役らしく、傲慢に、冷たく。鏡の前で練習した「見下す目線」を全力で使った。
「カリウス騎士団長、あなたを北方国境の警備隊に異動させます。赴任は来週月曜、以上よ」
言い切った。
北方国境は王都から馬で10日かかる僻地だ。魔物の目撃情報が多く、インフラも整っていない。優秀な騎士団長をそんな場所に飛ばせば、王国の防衛力が低下したと批判が集まるはずだ。「暴君王女が英雄を左遷」という見出しが出回れば、支持率は一気に落ちる。
完璧な一手だ。
カリウスは顔を上げた。表情が読めなかった。怒っているのか、困惑しているのか、それとも何も感じていないのか。
「……承知しました」
それだけ言って、また頭を下げた。
翌週月曜、カリウスは赴任した。
見送りはしなかった。する必要もないと思っていた。ところがシルフィが「城門での出発をご覧になりますか?」と聞いてきたので、なんとなく断れなかった。
城門の前に騎士団員が整列していた。カリウスが馬に乗って、短い言葉で部下に何かを告げた。声は届かなかった。部下たちが一斉に敬礼する。
騎士団に入って20年、と後で人づてに聞いた。平民の出で、剣一本で成り上がって、今の位置にいる。名前も経歴も、私が書いた覚えのない人間だ。ただ部下たちの敬礼の角度だけが、この男が積み上げてきたものを物語っていた。
「殿下」
シルフィが横に立った。
「号外の準備が整っております」
「……また?」
「『王女殿下の深謀遠慮、英雄カリウスを守るための人事』という見出しで。中央貴族の嫉妬と派閥争いからカリウス団長を遠ざけるための、殿下の英断として」
私は城門の向こうに消えていく馬影を見ながら、何も言わなかった。
「実際、中央には団長を疎ましく思っている貴族が複数おります。今回の異動で彼らの動きが封じられました」
「私はそんなことを考えていないわ」
「存じております」
「……じゃあなぜ?」
「殿下がお考えになっていなくても、結果はそうなります」
返事ができなかった。
3週間後、北方国境から報告が届いた。
カリウスが赴任直後に国境付近の森で大規模な魔物の巣を発見、騎士団員20名を率いて殲滅したという内容だった。被害なし、近隣の村への侵食も防いだ、国境の安全を確保した。添付された地図には巣の位置と規模が記されていて、それを見る限りあと半年放置していれば大規模な被害が出ていたと専門家が試算したらしい。
報告書の最後に、カリウスの直筆と思われる一行があった。
「殿下の御慧眼に感謝申し上げます」
私はその一行を3回読んだ。
「シルフィ」
「はい」
「これはカリウスが書いたの?」
「はい」
「彼は本気でそう思っているの?」
シルフィは即答しなかった。執務机の前に立って、次の書類を手に持ったまま、少し間を置いた。
「団長は嘘をつく方ではありません」
「……」
「殿下が異動を命じた理由を、彼は自分なりに考えたのだと思います」
「私には彼を守る意図なんてなかったわ」
「それは」
シルフィが書類を机に置いた。
「団長には関係のないことかと」
執務室に静寂が落ちた。遠くで訓練場の金属音がした。今頃、カリウスの代理を務めている副団長が部下を叱咤しているのだろう。
私は報告書を引き出しにしまった。
「支持率は」
「本日時点で91%です。評議会の複数名から、王太女指名を早めるべきとの声が上がっております」
91%。
過去最高だ。
「……来週、カリウスを呼び戻すわ。北方国境は別の人間に任せて」
「それはお勧めできません」
珍しく、シルフィが即座に反対した。
「団長が国境を離れると、また魔物の動きが活発化する恐れがあります。現地の安全が確保されるまで、もう2ヶ月はかかるかと」
「……つまり」
「はい。殿下が団長を左遷されたおかげで、国境の民が守られています」
私は天井を見上げた。
報告書を引き出しにしまった手が、そのまま引き出しの中に残っていた。
北方国境の村では今頃、普通の人たちが普通の夜を過ごしているのだろう。魔物の巣が半年後に膨れ上がることも知らずに。それを防いだのが私の「悪行」だということも知らずに。
引き出しを閉めた。
「次の手を考えないといけないわね」
シルフィは何も言わなかった。
ただ新しい書類を一枚、机の上に置いた。
「北方国境より、感謝の特産品が届いております。受け取りのご署名をお願いできますか?」
私はペンを取った。




