第2話 解雇してやるわ!
今朝の支持率は87%だった。
先週より4ポイント上がっている。城下の掲示板に貼り出された世論調査の結果を、シルフィが朝食のトーストと一緒に私の前に置いた。添えられた一言は「おめでとうございます、殿下」。
おめでとう、ではない。
私はトーストを齧りながら天井を見上げた。このままでは来月中に支持率90%を超える。廃嫡どころか、国民から「次期女王」と呼ばれる日が来てしまう。
手を打たなければならない。
視線を下ろすと、シルフィが新しい紅茶を注いでいた。無表情、完璧な所作、一分の隙もない動き。こういう有能な人間が傍にいると、どんな失策も失策にならない。
そうだ。
問題はシルフィだ。
こいつさえいなければ、私の悪行は悪行として世間に伝わる。こいつさえいなければ、晩餐会の侮辱発言はただの外交失礼で終わっていた。元凶はこのメイドだ。ならば解決策は一つしかない。
「シルフィ」
「はい」
「あなたを解雇します」
紅茶を注ぐ手が、止まらなかった。
シルフィは静かにティーポットを置いた。
「承知いたしました」
あまりにあっさりした返答に、私は一瞬、拍子抜けした。もう少し動揺するかと思っていた。懇願するか、理由を問い質すか、少なくとも眉の一本でも動くかと。
「では解雇通知の書類を作成します」
「……ええ、そうして」
「少々お待ちください」
シルフィが部屋を出た。
私は残った紅茶を飲んだ。温かかった。これで終わりだ。シルフィがいなくなれば、私の悪行を聖女の奇跡に変換する人間がいなくなる。次の一手を打てば、今度こそ追放への道が開ける。田舎の小屋、畑、隠居生活。
十分後、シルフィが戻ってきた。
手に書類の束を持っていた。
「こちらが解雇通知書でございます」
テーブルの上に置かれた書類を、私は手に取った。
宛名を見た。
『侍女頭 オルタ・ベルナ 殿』
「……これは?」
「殿下の執務を過去3ヶ月にわたって妨害していた侍女頭への解雇通知です。証拠書類を添付しております」
シルフィが書類の二枚目を指した。そこには細かい文字で、侍女頭が私の名前を使って行っていた不正の記録が並んでいた。横領、情報の横流し、貴族派閥への便宜供与。日付と金額と相手の名前つきで。
「いつの間に」
「以前から調査しておりました」
「……私は命令していないわ」
「殿下がいつかお気づきになるだろうと思い、準備していました」
返す言葉を探したが、見つからなかった。
「この書類に署名をいただければ、本日中に処理いたします。同時に、関与していた侍女6名についても辞令を用意しております」
「6名」
「はい。殿下の周囲から不要な人員を整理する良い機会かと」
良い機会、という言葉の重さが、ゆっくりと胸に落ちてきた。
私はペンを持った。書類の署名欄を見た。持ったペンを、置いた。
「シルフィ」
「はい」
「私はあなたを解雇したかったの」
「存じております」
「なぜ自分の解雇書類を持ってこないの?」
シルフィは一秒、間を置いた。
「私を解雇したいとおっしゃるのであれば、その前に殿下の周囲を安全にする必要があります。私がいなくなった後、殿下をお守りできる環境を整えてからでなければ」
「……」
「署名が終わり次第、引き続き自分の解雇書類も作成いたします」
窓の外から鳥の声が聞こえた。
私はペンを取り直して、書類に署名した。
その日の夕方、侍女頭と侍女6名が城を去った。
翌日の朝、シルフィは通常通り私の部屋に現れた。起床の声かけ、朝食の準備、その日のスケジュールの読み上げ。何事もなかったように、昨日と同じ顔で。
「自分の解雇書類はどうしたの?」
朝食の途中で聞いた。
「作成中です」
「いつできるの?」
「殿下の周囲が安全になり次第」
「今は安全じゃないの?」
シルフィは少し考えるような間を置いてから答えた。
「まだ2名、確認が必要な人員がおります」
「……何人確認し終わったら安全なの?」
「殿下がご安心いただける水準になりましたら」
私はスープを飲んだ。
返事をしなかった。
城下では昨日から「王女殿下の英断、腐敗した侍女頭を粛清」という噂が広まっているとシルフィが言った。支持率はさらに2ポイント上がる見込みだという。
スープが急に味を失った気がした。
「……シルフィ」
「はい」
「あなたって、いつからそんなに私のことが好きなの?」
シルフィは何も言わなかった。
空のカップに紅茶を注いで、テーブルの前に立ったまま、窓の外を一瞬だけ見た。
それだけだった。
シルフィが初めてルナリア・ディ・アステリアを見たのは、10年前のことだ。
父が職を失い、家が没落しかけていた冬。貴族の使いが家に押しかけて、母と幼いシルフィを外に追い出そうとしていた。寒かった。母が泣いていた。シルフィには何もできなかった。
そこへ幼い少女が通りかかった。
黒髪、紫の瞳。きらびやかな外套を着た、どう見ても高貴な身分の子供だった。少女は立ち止まり、状況を見て、貴族の使いに向かって静かに言った。
「それは行き過ぎではありませんか」
命令ではなかった。咎めるでもなく、ただ事実として口にしただけのような声だった。
貴族の使いが少女の身分に気づいて慌てて引き下がった。少女はそのまま立ち去った。振り返らなかった。シルフィのことなど、おそらく覚えていない。
それでもシルフィは、あの声を忘れなかった。
窓の外では城下が静かに暮れていた。
シルフィは紅茶のカップをそっと置いた。




