第1話 侮辱してやるわ!
私はなろう作家だった。
ジャンル特化型、累計読者数12万人、書籍化打診2回。「そこそこ売れた」と言えば聞こえはいいが、要するに本業にはできなかった。昼間は会社員、夜はひたすら悪役令嬢を書く生活。代表作は「悪役令嬢は断罪される」、全42話完結。主人公が悪女を演じて断罪・国外追放される話で、読者からは「スカッとした」「最高のバッドエンド(誉め言葉)」と好評だった。
自分でも会心の出来だと思っていた。
その世界に、転生した。
気づいたのは目覚めて3秒後だ。天蓋付きのベッド、見覚えのある城下町の景色、鏡に映った黒髪と紫の瞳。ルナリア・ディ・アステリア、アステリア王国第一王女。私が42話かけて書いた、そのヒロイン本人。
走馬灯というのは死ぬときに見るものだと思っていたが、どうやら転生するときにも見るらしい。走馬灯の中で、私は自分が書いたラストシーンを思い出した。王族処刑、ギロチン、エンド。
読者から「王女が可哀想すぎる」と感想をもらった、あのシーンだ。
最初は混乱した。次に絶望した。ベッドから出られない日が2日続いた。そして3日目の朝、私は腹をくくった。
作者には特権がある。回避ルートを知っているという特権が。
このヒロインが生き残る唯一の道は、「救いようのない悪女」として廃嫡され、国外に追放されること。私が42話かけて丁寧に設計した、あの追放エンドだ。処刑エンドを回避して田舎で隠居する、あのルートを自分で歩めばいい。
幸い私には12万人の読者に鍛えられた悪役描写の引き出しがある。鏡の前で高笑いの練習もした。見下すポーズも完璧だ。やるからには最高の悪役を演じてみせる。
私、ルナリア・ディ・アステリアは……
「殿下、本日の晩餐会のお時間でございます」
静かな声が扉の向こうから聞こえた。
晩餐会は豪華だった。
国賓級の来客があるときだけ使う大広間、シャンデリアの光に照らされた白いテーブルクロス、並んだ給仕たちの整列。上座に座る父王の隣、私の席には今夜のターゲットが鎮座していた。
隣国リベリア王国の大使、マルチェロ卿。太った体に金の刺繍が入った礼服、白い口ひげ、人の好さそうな笑顔。外交の場では「温厚な人物」として名高い。
完璧なターゲットだ。
公衆の面前でこの人物を侮辱すれば、外交問題に発展する。アステリア王国にとって隣国リベリアは最重要の友好国だ。その大使を王女が公式の場で罵倒すれば、廃嫡の口実として十分すぎる。父王は温厚だが外交問題には厳しい。今夜こそ、追放への第一歩。
「殿下」
隣に立つシルフィが、ほんの少しだけ身をかがめた。
「何かご用意しましょうか?」
「いいえ」
私は背筋を伸ばした。悪役は堂々としていなければならない。
料理が運ばれてきた。前菜から始まり、スープ、魚料理、肉料理と続く。マルチェロ卿は終始にこやかに父王と話している。隣国の農業政策がどうだの、今年の麦の収穫量がどうだの。和やかな食卓だ。
今夜で終わりにしてやる。
肉料理が出たタイミングで、私はグラスを置いた。テーブルの全員の視線が集まる。父王が「どうした、ルナリア」という顔でこちらを見た。
「マルチェロ卿」
声に力を込めた。悪役の台詞だ。練習通りにやればいい。
「あなたの国の料理は、野蛮ですわね」
広間が静まり返った。
マルチェロ卿のグラスを持つ手が止まる。父王の眉がわずかに動く。給仕たちが石になる。完璧な静寂だ。追放フラグ、確定。私は心の中でガッツポーズをした。
「リベリアの料理は素朴すぎて洗練に欠けます。外交の場に持ち込むには恥ずかしい水準ですわ。アステリア王国の食卓とは、比べるべくもありませんが」
言い切った。
これで終わりだ。父王が激怒して、今夜中に廃嫡の手続きが始まる。来週には馬車に乗って国境を越えている。そうして私は田舎の小屋で前世の知識を活かした農業と執筆活動に励む穏やかな余生を——
「殿下」
シルフィの声が、真横から聞こえた。
「号外の準備が整っております」
翌朝、城下町に号外が出回った。
見出しは『王女殿下、隣国の食糧危機を看破!外交の場で直言、両国の未来を憂う』。
内容を要約するとこうだ。ルナリア王女殿下は、マルチェロ卿との会食の席において、隣国リベリアの農業政策の歪みと食糧備蓄の減少という深刻な問題を鋭く見抜き、あえて厳しい言葉で警告を発した。外交的配慮から沈黙を保つことが「美徳」とされる場において、真の友好国だからこそ耳の痛い真実を口にする。それが殿下の、この国に対する深い愛情の表れであると。
昼には城下の食料品店の前に人だかりができていた。
夕方には「王女殿下の慧眼に感謝する市民の会」が発足していた。
翌々日、リベリア王国から親書が届いた。内容は食糧支援の申し出と、農業改革への協力要請。マルチェロ卿直筆の手紙には「殿下のご指摘で我が国の農相がようやく重い腰を上げました、真の友人とはこういうものですね」と書いてあった。
私はその親書を持ったまま、しばらく窓の外を眺めた。
「……シルフィ」
「はい、殿下」
「あなた、昨夜のうちに号外を刷ったの?」
「晩餐会が始まる前から原稿を準備しておりました」
振り返った。シルフィは無表情のまま、両手を前で重ねて立っている。
「始まる前から?」
「殿下がマルチェロ卿に何かおっしゃるだろうと思いまして」
「……なぜ?」
「殿下はいつも、最善の手を打たれます」
返す言葉が見つからなかった。
窓の外では城下の通りを市民が歩いている。何人かが手に号外を持っていた。支持率は今朝の時点ですでに過去最高を更新したとシルフィが報告してきた。追放どころか、このままでは来月の民衆集会で「最も信頼できる王族」に選ばれそうな勢いだ。
親書をテーブルに置いた。
椅子に座った。
頭を抱えた。
「……また追放が遠のいたわ」
シルフィは何も答えなかった。ただ静かに新しい茶を注いで、テーブルの端に置いた。湯気が細く立ち上がる。
その横顔に、感情はなかった。
あるのかもしれないけれど、私には読めない。
この子を私が書いた覚えは、ない。




