第35話 何もしないわ!
断罪イベントが動き出した。
ルキウスがアウラを注視し始めた。シルフィが「告げ口の出発点をルキウス自身の気づきに見せる」と言っていた。どこまでうまくいったかは分からないが、ルキウスの目がアウラに向いていることは確かだった。
次に何をすればいいか、初めて明確に分かった。
何もしない。
ルキウスが自分で動く。アウラが天然で失敗し続ける。その繰り返しを、今度は私が止めずに見ていればいい。計画を立てるのではなく、計画が動くのを見届ける。
それだけのはずだった。
なのに朝から、何か落ち着かなかった。
アウラのことを考えていた。断罪されればアウラは追放される。追放先でフェリオに会える。それはアウラが望んでいることだ。アウラ自身がずっと求めてきたことだ。36回失敗しながら、それでも諦めなかった結果だ。
問題ない。
問題ないはずだった。
午前中、アウラが来た。
「殿下、少しよろしいですか」
「どうぞ」
アウラが向かいに座った。いつもと少し顔が違った。しょんぼりでも、きりっとでもない。何か考え込んでいる顔だった。
「最近、ルキウス殿下が私のことをよく見ている気がするんです」
心臓が少し跳ねた。表情には出さなかった。
「そう?」
「はい。廊下ですれ違うたびに、何か言いたそうな顔をされていて。以前とは違う感じがして」
「気のせいじゃないの?」
「そうかもしれません。でも」とアウラが少し間を置いた。「もしかして、断罪イベントに近づいているのかと思って」
「……どうしてそう思うの?」
「なんとなく、です。殿下と一緒に計画を立てたりしていたから、そういう流れになってきているのかなと」
「そうかもしれないわね」
アウラが少し俯いた。
「……嬉しいはずなんです」
「嬉しいはずなのに?」
「少し、怖くて」
「何が怖いの?」
「断罪されれば、ここを離れることになりますよね」とアウラが言った。声が少し低かった。「殿下とも、シルフィさんとも、お会いできなくなる」
「隣国に行けばフェリオに会えるでしょう」
「それは分かっています。でも」
「でも?」
アウラが顔を上げた。目が少し潤んでいた。
「……断罪が終わった後のことを、最近よく考えるんです。運命の相手に会えると思って36回頑張ってきた。でも実際に断罪が近づいてきたら、別のことも考えるようになって」
「別のこと、というのは」
「ここが好きだということです。殿下のところに来るのが好きで、毎回失敗を聞いてもらうのが好きで、シルフィさんが淡々と茶を出してくれるのが好きで」
「……そんなに好きなら、断罪されなくていいじゃないの」
「だめです」とアウラが即答した。「断罪されないといけないんです。でも、好きなことと、断罪されないといけないことは、別のことなので」
「矛盾しているわよ」
「矛盾しています」とアウラが言い、少し笑った。「殿下も矛盾してますよね。追放されたいのに、ここに居続けている」
「居続けているんじゃなくて、追放されないでいるのよ」
「一緒じゃないですか」
「一緒じゃないわよ」
「……そうですか」
2人とも少し黙った。シルフィが茶を2人分置いた。
アウラが茶を一口飲んだ。
「……殿下、断罪イベントが動き出しているなら、私はそれに乗ればいいですか? 何か余計なことをして台無しにしたくないので」
「乗ればいいわ。ただし——」
「ただし?」
「体が先に動いても、今回だけは止めなさい」
「努力します」
「努力じゃ足りないわよ」
「……やります」
「よろしい」
アウラが立ち上がった。扉に向かって、止まった。
「殿下」
「何?」
「断罪された後も、手紙を書いてもいいですか」
少し間があった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
扉が閉まった。
夕方、シルフィが入ってきた。
「本日のアウラ様とのやりとりは把握しております」
「そうね」
「それとは別に、ご報告が一点ございます」
「何?」
「準備は整っております」
「……何の準備?」
「殿下の追放の準備でございます」
部屋が静かになった。
「……いつから」
「断罪が動き出した時点で、並行して進めておりました」
「私が頼んでいないわよ」
「はい」
「なぜ動いたの?」
シルフィが少し間を置いた。
「殿下がずっとそれを望んでこられたからでございます」
「……勝手なことをするのね」
「はい」
「怒っていいかしら」
「殿下のご判断でございます」
怒る気にもなれなかった。怒れない理由は自分でも分かっていた。頼んでいなくても、やってほしかったことだ。ずっとそれを望んできた。シルフィがそれを知っていて、動いた。
「……準備というのは、具体的に何をしたの?」
「追放先の候補地の調査。移動に必要な手配。殿下がお一人で生活できる環境の確認。以上でございます」
「お一人で、というのは?」
「殿下がお望みであれば、同行する者を選定することも可能でございます」
「……あなたは来るの?」
シルフィが一拍置いた。
「殿下のご判断次第でございます」
「来てほしいとは言っていないわよ」
「はい」
「でも追放先の準備をしているということは、来るつもりでいるのよね」
「……殿下がお望みであれば」
「望む、望まないの話をしているんじゃないわよ」
「では何の話でしょうか」
返す言葉が出なかった。
窓の外に夜が来ていた。
断罪イベントが動いている。追放の準備が整っている。アウラは手紙を書くと言った。
全部、うまくいき始めている。
「……何か言うことはある?」
「特には」
「本当に?」
「……殿下が追放された後も、号外を刷り続けることはできません」
「当たり前よ」
「それが少し、残念でございます」
シルフィが、残念と言った。
今まで聞いたことのない言葉だった。
「……そう」
それだけ言った。シルフィも、それ以上は何も言わなかった。




