第29話 概念になってやるわ!(どういうこと?)
100%になった翌朝、目が覚めた瞬間から考えていた。
ここからだ。
99%の時は「あと1%」という感覚があった。100%になれば、あとは下がるだけだと思っていた。上限に達したなら、次は落ちる。どんな数字でも、天井に触れたら跳ね返る。なろう作家として、そういう構造を何度も書いてきた。主人公の評判が頂点に達した瞬間こそ、転落の始まりだ。
つまり今がその瞬間だ。
ここからが本番よ。
シルフィが朝の茶を持ってきた。
「昨夜はよくお休みになれましたか?」
「よく眠れたわ」
嘘だった。ほとんど考え続けていた。
「本日のご予定ですが」
「後で聞くわ。その前に確認したいことがある」
「はい」
「支持率が100%になったわ」
「左様です」
「100%というのは、これ以上上がらないということよね?」
「数字の上では」
「数字の上では、ということは——」
「殿下」
シルフィが静かに口を開いた。いつもと同じ声だった。
「支持率は、現在%では測れない水準になりました」
茶を持ったまま、止まった。
「……%では測れない?」
「はい」
「何で測るの?」
「現時点では、適切な単位が見つかっておりません。民衆の間で使われている言葉が、数字から別の何かに変わっております。『殿下』という言葉そのものが、ある種の概念として流通し始めているようで」
「概念」
「語感としては、そのような状況かと」
「私が概念になったの?」
「語感としては」
茶を机に置いた。音が少し大きかった。
「概念を崩す方法はあるの?」
「概念は、それを信じる人間がいる限り消えません」
「崩す方法を聞いているのよ」
「概念と全く逆の出来事が起きた場合に限り、揺らぐことがあります」
「それはたとえば?」
「民衆が殿下に抱いているイメージを根本から裏切るような出来事でございます。現在のイメージは、民を想う、誠実で謙虚な王女でございます。その正反対となると——」
「続けて」
「あからさまな利己的行動、または民衆への直接的な侮辱が考えられます。ただし、殿下がこれまで試みてきた悪行の多くは、私の変換によって逆効果になっております」
「つまりあなたがいる限り、概念は崩せないということ?」
シルフィが少し間を置いた。
「私が把握できない形で動かれた場合、変換が遅れる可能性はございます」
「以前の西棟のように?」
「あの件と同様の条件が揃えば、一時的にはそのような状況が生じます」
「条件というのは?」
「私の情報源が届かない場所で、私が予測できない行動を取ることでございます」
「正直に教えるのね」
「隠す理由がございません。ただし、条件が揃ったとしても、変換が遅れるだけで止まるとは限りません」
理解した。完全に出し抜くことはできない。一時的な先行しかない。でも一時的でも先行できれば、概念に傷をつけられるかもしれない。
「分かったわ。今日動く」
「どこへ?」
「あなたが知らない場所よ」
「かしこまりました」
「かしこまりました、で終わるのね」
「止める理由がございません」
「追いかけてくるの?」
「把握できた時点で、対応いたします」
「それが正直なところね」
「はい」
午後、シルフィの情報源が薄い場所を考えた。
城内は全域をカバーされている。城下は昨日で証明された。評議会の中は手が届かないが、私が動ける場所ではない。
残るのは、城と城下の境界あたりだ。
昨日通った東側の通用門の近くに、城壁の外に張り出した形で職人街がある。王城の補修を担当する石工や大工が作業場を構えている区域だ。城内でも城下でもない、曖昧な場所だ。
そこに行くことにした。目的は「職人たちに横柄な態度を取る」ことだ。王女が職人に失礼な言動をする。それが広まれば概念に傷がつく。
職人街に入った。
石工が数名、城壁の補修作業をしていた。
「ちょっとそこ、通るわよ」
横柄な声で言ったつもりだった。
石工たちが振り返った。
「あ、どうぞどうぞ」
愛想よく道を開けた。
「昨日もお嬢さん来てましたよね。城下の子どもたちと話してたって聞きました」
「……違う人間よ」
「ですよねえ。王女様ほどの方がここには来ませんよね。でも雰囲気が似てて。目の色とか」
「よくある色よ」
「そうですかね。ともかく、作業中でご不便おかけして申し訳ないです。もう少しで終わりますので」
石工が丁寧に頭を下げた。
私は通り抜けた。
職人街を出た。
横柄にしたつもりだったが、「ちょっとそこ、通るわよ」という発言は普通に通行人として受け取られた。昨日の子どもたちの件と結びつけられた。感謝された。
城壁の陰で少し立ち止まった。誰もいなかった。
何もできなかった。「概念」を崩そうとして、「概念」を強化した。横柄な態度を取ろうとして、丁寧に道を譲られた。石工に頭を下げられた。どうすれば崩れるのか、崩し方が分からない。
歩き出した。足が少し重かった。
シルフィが門の内側にいた。
「職人街にいらしたのですね?」
「把握が早いわね」
「石工の方の一人が、私の情報源でございます」
「あの人たちの中に情報源がいたのね」
「城壁の補修を担当しているため、城内の情報が自然に入ってくる立場でございます」
「あなたの情報源が届かない場所はどこ?」
シルフィが少し間を置いた。
「お答えすることは難しい問いでございます」
「難しいのは分かったわ。答えられないの、それとも答えたくないの?」
「……両方でございます」
「正直ね」
部屋に戻った。結果として今日も何もできなかった。
アウラが来た。
「32回目と33回目になりました」
開口一番だった。
「まとめて報告するのね」
「5日分なので」
「経緯は?」
「32回目は、ルキウス殿下がセリアさんに花を贈るのを手伝ってしまいました。33回目は、セリアさんの誕生日を教えてしまいました」
「どちらも積極的に関与しているわね」
「体が先に動くんです」とアウラが言い、向かいに座った。「殿下の方はいかがですか?」
「支持率が単位を失って、概念になったわ。崩そうとしたけれど職人に感謝されて終わったわ」
アウラが少し止まった。
「……職人に感謝、ですか?」
「横柄にしようとして通行人扱いされたの」
「それは……」アウラが少し考えた。「私の体が先に動くのと、似ていますね」
「似ていないわよ」
「似ています。やろうとしたことと逆のことが起きるという意味では?」
返す言葉がしばらく出なかった。
「お互い、どうすればいいんでしょうね?」
「分からないわよ。33回失敗して、私も何十回と失敗して、それでもまだやってる。どうすればいいかなんて、分かったらとっくにやってるわよ」
アウラが少し驚いた顔をした。
「……珍しいですね。そういう言い方」
「何が?」
「本音みたいな感じがして」
「本音よ。いつも本音だわ」
「そうですか」とアウラが言い、紅茶を一口飲んだ。シルフィが静かに継ぎ足した。「でも今日の方が、少し違う気がしました」
「概念になったせいかしら。疲れたのかもしれないわ」
「疲れていいと思います」
「追放されるまで、疲れてる暇はないのよ」
「……また来てもいいですか?」
「どうぞ」
アウラが扉を閉めた。
シルフィと2人が残った。
「シルフィ」
シルフィが振り向いた。
「今日の職人街での失敗は、変換したの?」
「変換の必要がある事象は発生しておりません」
「つまり私が自分で失敗したということ?」
「職人の方々が自然に対応された結果でございます」
「あなたが誰かに何か言ったの?」
「石工の情報源の方とは、今朝お話しする機会がございました」
「今朝。私が職人街に行く前ね」
「左様です」
「何を話したの?」
「城壁の補修状況についての確認でございます」
「それだけ?」
「それだけでございます」
「……信じにくいわ」
「それは光栄でございます」
また「光栄」という言葉が出た。以前に続いて二度目だった。
夕方の予定を聞きながら、概念と全く逆の出来事、という言葉がまだ頭の中に残っていた。
もう待っていられない。
理由を言葉にしなかった。ただそう思った。




