第27話 揺さぶってやるわ!
次の手は早めに動かした。
頭の中に「急がないといけない」という感覚が残っていた。アウラと顔を見合わせた後の静寂が、まだどこかに残っていた。あの時、2人が向いていた方向は同じだった。焦りの理由は全く違うのに。
考えても仕方がないので、作戦に戻った。
今回の悪行は単純にした。複雑にするとシルフィに先回りされる。単純すぎるとすぐ変換される。その中間を狙う必要がある。何度やっても難しい。
選んだのは「評議会の議事録を無断で書き換える」だった。
農業政策の議事録に、決まっていない内容を一行だけ足す。「王女殿下の提案により、来年度の農業予算を大幅に削減する方針が確認された」。
農業予算を削減する王女。民衆の反感を買う。廃嫡の口実になりうる。
筆を持った。深夜に一行だけ足した。
完璧だ。
翌朝、議事録係の部屋に向かおうとした。
廊下の角でシルフィがいた。
「おはようございます、殿下」
「……おはよう」
「議事録係の部屋は、本日は閉まっております」
「なぜ?」
「昨夜から急病で休んでおります」
私は廊下で止まった。
「代わりは?」
「議事録係の代理は議長の承認が必要でございます。本日の承認は午後になる見込みです」
「午後に出せばいいのね」
「午後には通常の提出期限を過ぎております」
「……明日は?」
「明日は評議会の休会日でございます」
「明後日は?」
「殿下の農業政策の正式審議がございます。その前に前回の議事録が確定している必要があります。確定前に内容が変わった場合、審議全体の信頼性に関わるため、評議長より確認の手順が追加されました」
「昨夜のうちに手を打ったのね」
「執務室の灯りが深夜まで点いておりましたので、念のため」
「念のため、というのは確認が取れていなかったということ?」
「昨夜の時点では、殿下が何をされているかを把握できておりませんでした。灯りを確認して、関係しそうな経路を先に塞ぐことにいたしました」
「つまり確信がなかったのね」
「はい。今朝、殿下がいらした方向で確認できました」
私は議事録を懐に戻した。確信がなく、経路を塞いだ。昨夜の時点では把握できていなかった。以前、西棟で一日後手に回った件と同じだ。深夜の動きはまだ死角になる。
昼過ぎ、気を取り直して別の手を考えた。
「評議会の貴族に匿名の誹謗文書を送る」という案だ。内容はルナリア王女の悪口ではなく、貴族間の中傷にする。発信源が王女と特定されれば、評議会への介入として問責される。
文書を書いた。差し出し人を書かずに封をした。
シルフィを呼んだ。
「これを評議員のリュカ様に届けて」
シルフィが封書を受け取った。
見た。
封書を持ったまま、一拍置いた。いつもより長かった。
「……殿下は本当に——」
止まった。
言いかけて、止まった。
「……かしこまりました」
シルフィが一礼して、退室した。
部屋に静寂が戻った。
私はその場に立ったまま、動かなかった。
「……今、止まったわよね」
誰もいなかった。独り言だった。
「殿下は本当に——」という言葉が途中で止まった。その先には何があったのか。
ずっと揺らがなかった確信が、封書一通で揺れた。
そういうことだ。
夕刻、シルフィが戻ってきた。
「届けてまいりました」
「どうなったの?」
「リュカ様が拝読され、評議会の倫理委員会に提出されました。差し出し人不明の中傷文書として、調査が入ります」
「私が疑われるの?」
「殿下のお名前は出ておりません。ただ、文書の内容を分析した評議員より、『これは誰かを貶めるための文書ではなく、評議会内の不正を暴くための告発文書ではないか』という意見が出ております」
「中傷文書よ」
「内容に含まれていた2名の貴族について、実際に調査が始まっております」
「……実際に不正があったの?」
「確認中でございます」
私は額に手を当てた。
でたらめを書いたはずが、でたらめではなかった。なろう作家として何本も書いてきたせいで、現実の腐敗の構造を無意識に掴んでいたのかもしれない。書いた本人が一番困っていた。
「変換の文句は?」
「『殿下の知られざる告発』という形で、数名の評議員の間に広まっております」
「広めたのね」
「広まりました」
「あなたが広めたのよね?」
「封書をお届けした以外のことは、特にしておりません。ただ、倫理委員会への提出を止める理由がなかったため、そのままにいたしました」
「止めることもできたということ?」
「可能性としてはございました。ただし止めた場合、委員会への隠蔽として別の問題になる可能性がありました」
返す言葉がなかった。
「シルフィ」
「はい」
「昼間、何を言いかけたの?」
間があった。今日一番長い間だった。
「……お答えするのが難しい問いでございます」
「難しい、というのは?」
「言いかけた言葉の先が、私自身にとっても、まだ整理できていない部分があるためです」
整理できていない。シルフィが使う言葉ではなかった。
「『殿下は本当に——』の先に、何があったの?」
「……封書を受け取った時に、殿下のことをどう理解しているかを、改めて考えておりました。それが言葉になる前に止まりました」
「どう理解しているか、というのは?」
「今は、お答えできません。整理できていないためでございます」
「いつか答えられるの?」
「整理できた時には、お伝えする方がよいかと思っております」
「それはいつ?」
「分かりません。ただ、遠くはないかもしれません」
私はシルフィを見た。シルフィが視線を外さなかった。
「……下がっていいわ」
「かしこまりました」
シルフィが退室した。
部屋にひとりが残った。
「殿下は本当に——」という先を、今夜考えた。答えは出なかった。出なくても、考えた。
シルフィが揺らいだ。
今まで一度も揺らがなかった確信が、今日初めて揺れた。揺れるほど、何かが近づいているということだ。
急がないといけない。
今日初めて、その言葉が行動の形を取り始めた気がした。気がした、というまだ曖昧な感覚だったが、昨日までとは違った。




