第19話 悪役指導してやるわ!
見ていられなかった。
アウラが廊下でセリアに声をかけようとする場面を、たまたま通りかかった。「邪魔をする」という顔をしていた。顔には書いてあった。なのに実際に口から出てきたのは「今日のお召し物、素敵ですね」だった。セリアが嬉しそうに笑い、アウラが固まった。その後ろ姿を見送りながら、私は決意した。
特訓が必要だ。
自室に戻ったアウラを追いかけた。
「あなた、今のは何だったの?」
「分かりません」とアウラが言った。「褒めるつもりはなかったのですが」
「つもりがなくても口が動くのよね?」
「はい」
「だから駄目なの。悪役というのは、口より先に覚悟が動かないといけないのよ」
「覚悟、ですか?」
「そう。私が教えてあげる」
アウラが少し考えた。
「……殿下も、うまくいっていないのでは?」
「細かいことは気にしないで」
「26回失敗している私に言えますか?」
「それ以上失敗している私が言っているのよ。格が違うわ」
「それは胸を張るところですか?」
「黙って聞きなさい」
特訓の場所は、アウラの私室に置かれた大きな姿見の前にした。
鏡の前に2人で並んだ。並んでみると、金髪と黒髪が並んでいるだけで、どちらも威圧感がまったくなかった。
「まず基本から。悪役令嬢の第一条件は何だと思う?」
「嫌がらせが上手いこと、でしょうか?」
「違うわ。雰囲気よ。どれだけひどいことをしても、それが様になる雰囲気。まずそこから作らないといけないわ」
「雰囲気はどうやって作るのですか?」
「目よ。目が全てを決める。見下す目、哀れむ目、冷たい目。どれでもいい。とにかく目から入るの」
鏡に向かって目を細めた。
黒髪、紫の瞳。確かに雰囲気はある。クールでミステリアスな、という形容が似合う顔だ。自分で言うのも何だが、悪役向きの外見ではある。
「こう、冷たく見下す感じで……」
アウラが隣で真似した。青緑の瞳が細くなった。
柔らかかった。
どう細めても、目元に愛嬌が残った。
「……アウラ、目を細めるのをやめて。怒っているように見えない」
「努力はしているのですが」
「もっと冷たく」
「これ以上冷たくすると涙目になります」
「涙目は悪役じゃないわよ」
「存じております」
気を取り直した。
「次。高笑いをやってみて」
「高笑いですか?」
「そう。ホホホでも、オホホでも、うわははでも何でもいい。とにかく笑う」
アウラが一呼吸置いた。
「……ふふふ」
「それは普通に笑っているわ」
「ふふふふ」
「音量が増えただけね」
「ふふふふふ」
「アウラ」
「はい」
「それは笑いではなく、文字を読み上げているだけよ」
アウラが口をつぐんだ。
「では殿下はできるのですか?」
「もちろんよ」
鏡に向かった。前世から練習してきた。鏡の前で何度も繰り返してきた。胸に力を入れて、顎を少し上げて。
「……ふふふ」
沈黙が流れた。
「……殿下」
「何も言わないで」
「でも」
「何も言わないでと言ったわ」
アウラが黙った。私も黙った。鏡の中の2人が、どちらも微妙な顔をして立っていた。
「もう1度やるわ」
「はい」
今度こそ。胸に力を入れて、顎を上げて、腹から声を。
「……ふふふ」
「……」
「……」
「……殿下、それは笑い方ではなく笑顔ですね」
「う、うるさいわね」
「でも似ています。私と」
「似ていないわよ!」
「音量だけが違います」
鏡から少し離れた。鏡の中の自分を見た。黒髪、紫の瞳、どう見ても威厳がある。なのにさっき出てきた音は「ふふふ」だった。
「……根本的な問題があるわね」
「私もそう思います」
「あなたの場合は善良な性格が邪魔をしているのよね」
「殿下の場合は?」
少し間があった。
「……真面目すぎるのよ、たぶん」
「追放されたくて、真面目に悪事に取り組んでいるということですか?」
「そう。やるからには完璧にやりたいのよ。だから力が入りすぎて、笑いが出てこない。笑いというのはもっと……抜けているものなのよ」
「なるほど」とアウラが言い、鏡に向かった。「では力を抜いて」
「……ふふふ」
「……変わらないわね」
「はい」
2人でしばらく鏡を見た。
何も変わらなかった。金髪と黒髪が並んで、どちらも「ふふふ」しか出てこない。
「……これは才能の問題かしら」
「生まれつきのものかもしれません」
アウラが鏡から目を逸らして、床を見た。少しの間、そのまま床を見ていた。
「悪役の才能がないのに悪役を目指しているということ?」
「殿下も私も、ということになりますね」
アウラがもう一度鏡を見た。鏡の中の自分を、まじまじと見た。柔らかい顔が、にっこりしている。どう見ても悪役ではない。アウラがそれを知っている。知った上でまだそこに立っている。
何も言えなかった。
「でも殿下、一つ聞いてもいいですか」
「何?」
「悪役って、なりたくてなるものですか?」
「……どういう意味?」
「私は断罪されたくてやっているので、目的があります。でも殿下は追放されたくてやっていますよね。追放されたい理由が、私にはまだよく分からなくて」
少し間があった。
「死にたくないからよ」
アウラが止まった。
「……内乱が来たら、王族は全員死ぬ。私が書いたプロットにそう書いた。追放されなければ、私もその中に入る。だから追放されなければいけないの。それだけよ」
「……それだけ、ですか?」
「それだけよ。シンプルでしょう」
「シンプルですけど」とアウラが言い、少し間を置いた。「それを25回失敗しているんですね、殿下も」
「そうね」
2人とも鏡を見た。鏡の中に、悪役になれない2人が並んでいた。
「……ふふふ以外に何かないでしょうか」とアウラが言った。
「あるわよ」
「何ですか?」
「高笑いじゃなくて、冷笑というのがあるわ。声を出さずに笑う。口の端だけで」
「やってみます」
アウラが鏡に向かった。口の端を少し上げた。
愛らしかった。
「……アウラ」
「はい」
「それはにっこりしているだけよ」
「そうですか」
「冷笑は目で笑うの。口は動かさなくていい」
「目だけで?」
「そう。目の端に、少しだけ余裕を持たせる感じで」
アウラが挑戦した。
穏やかだった。
「……優しそうね」
「そうですか」
「悪役には見えないわ」
「殿下はどうですか?」
私が挑戦した。
鏡を見た。
確かに口は動いていない。目の端に余裕もある。
悪役、というより——
「……貴族の肖像画みたいね」
「威厳がありますよね」
「威厳は要らないのよ、今は」
「難しいですね」
「難しいわ」
2人でしばらく黙った。
姿見の中に、どう見ても悪役に見えない2人が並んでいた。一方は威厳があって、一方は愛らしい。どちらも、それはそれで様になっている。ただ、悪役ではない。
翌日、シルフィが号外を持ってきた。
朝の茶と一緒に、盆の横に置いた。
「昨日の件です」
受け取って、読んだ。
『王女殿下、公爵令嬢に直接ご指導。令嬢の所作・品格の向上に王女の薫陶。両者の友情と王女の教育的姿勢に、城内外より感嘆の声』
号外をゆっくりと置いた。
「……高笑いの練習が、所作の指導になったの?」
「左様でございます」
「誰が見ていたの?」
「侍女が3名、文官が1名、廊下を通りかかった貴族令息が2名でございます」
「みんな鏡の前で練習しているのを見ていたのね?」
「はい」
「『ふふふ』も聞こえていたのね?」
「聞こえていたかと」
「それが品格の指導に見えたの?」
「殿下のお姿は、何をなされていても様になりますので」
号外を盆に戻した。アウラの顔が思い浮かんだ。今頃自室で同じ号外を受け取って、同じ顔をしているに違いない。
「支持率は?」
「更新されました」
「何%?」
「申し上げることを、殿下がお望みでしょうか?」
少し考えた。
「……いらないわ」
シルフィが一礼して、下がった。
「ふふふ」
誰もいなくなった部屋で、もう1度だけ練習してみた。
やっぱり「ふふふ」だった。




