第17話 スキャンダルを起こしてやるわ!
ドミナが動いている。
朝、シルフィから報告を受けた。「殿下が昨夜、城下の酒場で男性と密会していた」という噂を、ドミナが証言付きで3名の貴族夫人に流していた。
「私は昨夜、執務室にいたわ」
「存じております」
「つまり完全な嘘ね」
「左様です」
聞いた瞬間に、使えると思った。
支持率99%。追放計画は一歩も進んでいない。内乱がいつ来るか、分からない。来る前に廃嫡されなければ死ぬ。そのためには何でも使う。ドミナの嘘でも、自分の評判でも。
ドミナの嘘を利用するだけでは面白くない。それより大きな騒動を、自分で起こす。
作戦は2段構えにした。
第1段:密会の噂に自分から乗る。「昨夜眠れなかった」という含みのある発言を廊下でする。噂に燃料を投下する。
第2段:そこから更に踏み込む。評議会の文官を通じて「王女が夜会で酔って失態を犯した」という別の噂を、匿名で流す。2つの噂が重なれば、相乗効果で評判が傷つく。
シルフィには第1段だけ告げた。第2段は告げなかった。第2段こそが本命だった。シルフィに知らせれば潰される。
「シルフィ、密会の噂は否定しないで」
「承知しました」
「そのまま広めて」
「左様に」
「私が少し動くから」
「かしこまりました」
シルフィが頷いた。何も確認しなかった。不気味だったが、第2段の存在を知られていない以上、今回は先手を取れる。
午後、評議会の廊下で足を止めた。
文官2名、貴族令息1名に向けて、少し声を落とした。
「……少し疲れているの。昨夜、なかなか眠れなくて」
それだけ言って、歩き去った。
第1段は完了した。
そのまま城の西棟に向かった。そこに顔見知りの文官が1名いる。この文官は噂を広めるのが速いと知っていた。誰に教えたわけでもなく、観察してきた結果だ。
「少しお耳に入れたいことがあります」と、声を潜めて言った。「先日の夜会で、ある方が酔われて粗相をされたと聞きました。詳しくは申し上げられませんが」
文官が身を乗り出した。
「それはどなたが——」
「ご想像にお任せします」
それだけ言って、その場を離れた。
「ある方」が誰を指すかは、文官の想像に任せた。状況から王女と結びつけられる可能性は十分ある。
夕方、シルフィが書付を1枚持ってきた。
「本日の動きの概要でございます」
受け取って、読んだ。
ドミナが流した密会の噂は午前中に評議会筋で押さえた。目撃証言を行った3名はドミナとの関係が特定された。午後の廊下での発言は「殿下が民のことを思い夜も眠れない」という形で伝わっている。密会の噂は「名誉を傷つける工作」として記録された。
そこまで読んで、気づいた。
第2段の話が書付に書かれていない。
「シルフィ」
「はい」
「西棟の文官に話したことは把握しているの?」
シルフィが一拍置いた。
「把握しております」
「どうなった?」
「文官は先ほど、評議会の別の文官2名に話を広めました」
「それで?」
「『酔って粗相をした方』が誰かについて、現時点では諸説が出ております。殿下のお名前を挙げた者はおりません」
「……名前が出なかったの?」
「『某貴族夫人ではないか』という説が最も有力です」
「なぜ私じゃなくて貴族夫人になるの?」
「最近の夜会で目立った失態があった方が、偶然おられました」
返す言葉が出なかった。狙いが外れた。別の人間に当たった。
「……評判には影響しないのね」
「殿下への影響は現時点では確認されておりません。ただ」
シルフィが少し間を置いた。
「ただ?」
「件の貴族夫人が、殿下への不満を持ち始めておられます。噂の発信源が殿下だという確証はないのですが、時期が近いため疑っておられるようで」
「……それは悪い話ではないわ」
「左様でございます。ただし、貴族夫人はドミナ様と旧知の間柄でございます」
私は書付を折りたたんだ。
狙いが完全には外れなかった。しかし想定とは違う形で転がった。シルフィの完封ではない。ただし自分の意図通りでもない。
「結果として何が残るの?」
「貴族夫人の不満が残ります。それとドミナ様との関係が、今後の動き次第では複雑になる可能性がございます」
「支持率は?」
「97%でございます」
「……下がったの?」
「貴族夫人の不満が、城内の一部に広まりました。殿下への批判的な見方が出ております」
97%。98から1%下がった。
初めてだった。下がったのは。93%から上がり続けてきた数字が、今日初めて逆に動いた。
「……それは」
言いかけて止まった。喜んでいいのかどうか、一瞬分からなかった。喜んでいい。これが目的だったはずだ。
「ドミナは今どうしているの?」
「先ほど、件の貴族夫人と面会されておりました」
「私のせいで2人が近づいたということ?」
「結果としては、そのような状況でございます」
私は額に手を当てた。
「あなたは今日、第2段の動きを事前に潰さなかったわね」
「殿下がお一人で動かれることまでは、先回りできない場合もございます」
「つまり出し抜けたということ?」
「今日の西棟での動きは、私の想定にございませんでした」
初めての言葉だった。「想定にございませんでした」。
「それは認めるのね」
「事実でございますので」
シルフィが書付の控えを懐にしまった。
「ただし」と続けた。「結果として想定の範囲内に収まっております」
「収まっていないわよ。貴族夫人がドミナと近づいたでしょう」
「それも含めて、今後への布石として把握しております」
「布石として把握、ね」
「左様でございます」
返す言葉がなかった。
出し抜いたが、一手先でまた回収されていた。それでも今日は、シルフィの手が届かなかった瞬間が確かにあった。
その事実だけが残った。
その夜、ドミナは自室で静かに座っていた。
件の貴族夫人との面会が、思いがけず有益だった。夫人はルナリアへの不満を持っている。根拠は薄いが、感情は本物だ。使えるかもしれない。
あの筆頭メイドは今日、少し遅れた。
西棟の件が予定外だったのだろう。ほんの少しの遅れだったが、それで十分だった。
あの王女は単独で動ける。
それが分かっただけで、今日は収穫だった。
微笑みは崩れなかった。奥歯だけが、かすかに鳴った。
翌朝、シルフィが茶を置いた。
「支持率の件ですが」
「聞きたくないわ」
「99%でございます」
「……昨日97%だったわよね」
「はい。昨夜のうちに、件の貴族夫人への対応がございました。夫人のご不満が別の方向に転じました」
「あなたが動いたのね」
「はい」
「……昨日下がった意味がなくなったわね」
「一時的な変動でございました」
「聞きたくなかったわ」
「かしこまりました」
シルフィが下がった。
書類の文字が少しぼやけた気がした。もう一度見た。やはりぼやけていた。
眠れていなかった。昨夜は本当に。
廊下での発言が、図らずも本当のことになっていた。




