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夢想の人  作者: バラキ
3/10

第三話


「お隣失礼します。」


不意を突かれ、微かに心臓が揺れる。隣を見ると彼女が一切の音も立てずに座っていた。


「キズナです。本名です。」


そういって僕の目も見ずに水割りを作り始めた。彼女の異様に白く細い指がマドラーで氷をかき回す。たったそれだけの光景が異質なものに見えた。おおよそこういった店には不似合いな化粧気のない、それでいて異様に白い肌。肩まで伸びた真っすぐで黒い髪、その髪と呼応するように大きな黒目がどこか焦点の定まらず、空を捉えている。露出の少ないややくすんだ紫色のドレスはサイズが微妙に合っておらず、他の誰かからの借り物のように見えた。


しかしその佇まいに儚さなどは一切感じさせない。むしろ野生動物のような強さと品さえ感じさせた。お名前お聞きしていいですか、と彼女はやや低く、絡めつくような冷たい声で聴いてくる。ヒデヨシです、と僕は思わず本名で応えてしまった。キズナが本名です、と言われたから律儀に返したわけではない。そもそもそれが本当かどうかも分からない。只、一瞬、ほんの一瞬ではあるが僕は彼女に気圧されしたのだ。


僕はヒデヨシという天下人のような名前が好きではなかった。今は亡き両親がどういう想いでこの名をつけたのかは分からないが、僕は天下人どころか、子供のころから学校の班長すら務まらないような器の男なのだから。


いいお名前ですね、と彼女は一言だけ呟き、おしゃべりに夢中なハルキの飲み物を継ぎ足したり、僕のグラスについた水滴を拭いたりと淡々と仕事をしている。しかしその手つきはぎこちなさがある。


「キズナさんは夜のお店は初めて?」

「はい、コミュ障でそれを治したいのもあって」


コミュ障、彼女はそう言ったがそれには少し違和感をもった。他人の顔色を伺い過ぎる、他人に嫌われるのが恐い、無意識に他人を傷つける、他人に興味がない、他人に共感できない、他人との間の壁が高過ぎる、他人と関わりを持ちたくない・・・そういった人をコミュ障と言うのではないだろうか。かつての僕のように。


例えば野生のトラは人間とコミュニケーションを取るのは難しいだろう。取る必要がないからだ。しかしそれをコミュ障とは言わないだろう。彼女にはそれに近いものを感じた。


最近勤めたの?もう慣れた?夜職は楽しい?休みの日は何してるの?


ああ、僕は本当に愚かだ。何か少しでも異性として意識してしまった時、こうした質問攻めをしてしまう。沈黙を恐れ、何か気を引くことを言おうと意識してしまう。それは全くの逆効果なのに。しかし彼女はこういった質問にも丁寧に答えてくれた。時にはヒデヨシさんはどうですか、と質問もしてくれた。僕と彼女の間にはキャバクラという場には似つかわしくない、一種の異様な空間が漂っていた。楽しむわけでもなく、口説く分けでもない。自分と同種の人間なのかどうか、お互いがお互いを確認し合う、そんな作業にも思えた。この作業はとても楽しく、永遠に続けばいいな、とさえ思った。しかしここはあくまでお店だ。そうはいかない。


「お時間です、延長なさいますか?」


不意にボーイが声をかけてきた。特に嬢を指名もしていない場合、その子と話せる時間は限られている。それに明日も朝から仕事だ。


ボーイの声で急に現実に引き戻された気がした。僕らはお会計をお願いし、帰ることにした。お会計を待つ間、キズナとは連絡先を交換した。連絡先を交換することに深い意味はない。客と嬢との社交辞令のようなものだ。嬢にとっては次に来店するときに指名が欲しい、当然のごとくその意味合いが強い。僕とハルキはお会計を済ませ、店の出入口に向かって歩いていく。少し飲みすぎただろうか、二人とも足がおぼつかない。キズナと、ハルキについていた子が店の出入口まで見送ってくれた。帰り際にキズナは無表情で手を振っていた。そして小さな声で


また会えるかもしれませんね、



そう言った気がした。僕は何も聞こえない振りをして、一度も振り返らずに歩いた。横ではハルキが何度も振り返り、大げさに手を振っていた。

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