第二話
一年前、僕と彼女は初めて出会った。記録的な夏の暑い日だった。
夜になっても気温の下がらない猛暑の中、僕は学生時代の友人と二人で居酒屋に行き、その後一緒にキャバクラに行った。僕はここ最近、仕事の接待などでキャバクラに行く機会が多くなっていたが、友人と行くのは初めてだった。「そういうとこってあまり行ったことがないんだよなあ」ハルキは浅黒い肌に白い歯をみせてそう言った。学生時代からスポーツマンだったハルキと帰宅部だった僕は、見た目は対照的だが、何故か馬が合った。
あれから月日が流れ、二人ともアラフォーのいいおっさんだ。たまにはそういう店に行くのもいいだろう、ということになり、案内所で手ごろな価格のキャバクラを紹介してもらい、そこに向かって歩いていく。
街は夜が深くなるにつれ、一層賑やかさを増していく。店に着くまでに何度も客引きに話しかけられ、その度に歩調を速くする。大声で話しながら歩くサラリーマンの集団と肩がぶつかりそうになったり、あるいは見るからに同伴中のキャバ嬢とすれ違ったり、どこかで喧嘩のような怒鳴り声が聞こえてきたりもする。
皆、今日という日を、この日の夜を楽しもうとしている。疲弊した日々、過去の深淵、未来への重圧から目を背け、今を楽しむ為にこの街に来ているのだ。そんな事を考えながら店に着き、ボーイに案内所からの紹介だと告げ、店内に入った。
薄暗い店内は中世を思わせる豪華なシャングリラと大きな水槽が迎えてくれた。水槽は新しいものだろうか。苔もない綺麗な状態だが、中に魚のいる気配はない。単なるオブジェとして飾っているのだろうか。ボーイに奥の席まで案内され、4人掛けのソファが2つある、大きな席に案内された。沈んだワインレッド色をしたアンティーク調のソファは趣と落ち着きがある。聞き取れないほどの小さな音量の洋楽が流れ、甘いメイプルティーのような香りが空間を漂っている。背の低いやや古びたテーブルにはハウスボトルと思われる安物のウイスキーと焼酎が置いてある。
店内を見渡すと他には初老の男性が一人、横の席に座るキャバ嬢となにやら真剣な表情で話していた。女の子が来るまで少々お待ちください、とボーイが無機質な声で呟き、去っていく。
僕は店の中央にある小さなトラの置物が気になり、無言でそれを見つめていた。くすんだ灰色のトラは力のない目でこちらを見つめている。どこかの安い民芸品だろうか。
気が付くとハルキの横にはいつの間にか金髪でショートカットの女の子がついており、楽しそうに会話をしていた。おそらく夜職が長い子だろう。慣れた手つきでお酒をつくり、ハルキの話にも楽しそうに、そしてやや大げさなリアクションをしている。
ここはあくまでお金を払って、若い女の子に接客をしてもらう場だ。それ以上のことは何もない。だから会話も深い話をする必要はない。うわべだけの楽しい会話をして、お酒を飲んで、このひと時を楽しむ。それだけだ。だから僕はこういう場で本名も名乗ったことはない。年齢も職業も収入もすべて適当だ。以前などは仕事を聞かれ、戦車のキャタピラだけを専門で作っている、などという嘘を真顔で話したこともある。本当にそんな仕事があるかどうかも分からないが、我ながら良い嘘だった。
ここでは真実を話す必要などない。でもそれは彼女たちも同じことだ。むしろそういった虚構の空間だからこそ、現実を忘れ、楽しむことができるのだ。接待で来るときも常々そう思っていた。だからどんなに綺麗な子が席に付いたとしても、どんなに楽しく会話ができたとしても、心が動くこともない。すべては虚構と虚無の上に成り立っており、僕はそれを十分に理解しているつもりだった。楽しそうなハルキの横顔をぼーっと見つめているだけで満足だった。
「はじめまして」




