9回裏 お願いだから青海を勝たせてくれ!!
《青海視点》
失点、即、死。
2年と4ヵ月の間不敗だったチームが、この回1点でも獲られれば敗れる。
ただならぬ空気をまとった神宮球場のグラウンド、
眼鏡をかけた青海のもう一人のエースは、ベンチの奥で監督と話をしていた。
「監督、俺のことがそんなに気に食わないですか?」
「そんなことはない、早くマウンドにいってくれ置鮎」
「泡坂のようにピッチングにムラっ気がない、球速で球場を沸かせない。ストライクで真っ向勝負しない。バッティングでマスコミを騒がせない。あいつのように新しい球種を覚えない。俺はいつも同じピッチングで相手を抑える。あいつのピッチングには常に新鮮味がある」
置鮎は自分のユニフォームに貼りつけられた背番号を意識する。『10』。彼は青海高校で一度たりともエースナンバー『1』を身にまとうことがなかった。
「中等部から昇格してきたあいつのほうが、よそからスカウトしてきた俺より大事ですか? あいつより努力してきた俺はかわいくないですか?」
「そんなことはない置鮎!」
「レギュラーでもないのにあのとき不祥事を起こした俺が嫌いですか?」
「違う置鮎、俺はそう思っていない」
「ならどうして久世を2番手に選んだんですか?」
「久世が俺たちに流れを呼びこむと考えたんだ! 結果としてそれは誤りだったかもしれん。しかし――」
「俺なら止められました。絶対に」
「頼む置鮎……今は試合中だ」
「試合中だからです。終わってからでは遅い。結果論に逃げてほしくない。監督は俺を信じてくれますか」
「ああ信じる!」
「でしたら……この回だけじゃない。決着がつかないなら延長12回も、タイブレークの15回も、再試合があるなら9イニングすべて俺に投げさせてください。0を並べ本当のエースが誰なのか、知らしめてみせますから」
「俺は置鮎、おまえにすべてを賭ける。お願いだから青海を勝たせてくれ!!」
堂埜監督の言葉を最後まできかず、置鮎は野球帽を深くかぶりなおし、駆け足でマウンドへむかう。
陽光煌めくグラウンドにその全貌を現した。
「なにかあったんか?」
「いや、思ったことを伝えてきただけだ。なんでもない。いつもどおりのピッチングで抑えよう。相手打者のデータは頭に叩きこんであるが――」
「ここまで対戦してきた俺のほうが身に染みとるで。ボール1球を大事にしよう。比叡は要警戒や」
「わかってる」
やさぐれた顔をした華頂が打席にはいってきた。
投げる。
置鮎は手首から先の筋肉を徹底的に鍛えている。
握力だけではない。ピンチ力、ボールを保持し弾くのに必要な指先の筋力を。ボールに与えられた回転数は他の投手の追随を許さない。初速こそ140㎞/h前後だが、その伸び、キレはバッターの眼には加速していると思うほどだ。
野手のスローイングと見紛うほどの力みがないフォーム。ボールの出所がつかめない煙幕投法。
そして『絶対に打たれない』という強い精神力。投手としての気概。
コントロールに必要なのは置鮎曰く経験値、ある程度の球数を投げこまなければボールの制御は身につかない。体への負荷が少ないフォームで投げる置鮎だからこそ経験値を効率よく稼げる。
初球、見上げるようなその長身から繰り出されたボールを、
華頂は目視することすらできない。
(ストレート?)
打者はただキャッチャーの捕球する乾いた音と、置鮎がフォロースルーを終え片足で立っている姿しか眼にすることができない。
気がついたら急所を撃ち抜かれている。いわば最速の銃使い。
(ミットの位置でやっとわかる。アウトロー)
(最高に打ち気になっていた華頂ですらこうや。初球は)
目視すら能わない。
今はゲーム開始直後の1回ではない。9回のこの土壇場でこの投手を攻略しなければならないのだ。
第2球インハイにストレート、
やっとバットを振ることができた華頂。タイミングも位置もデタラメだ。
呼吸するように必殺する。
「想像以上に見にくいな」とベンチの勢源が苦言する。「気づいたらもうマウンドとホームの間をボールが通過してる感じか……」
追いこまれた華頂は苦しい顔。コントロールが良すぎる。
「これじゃ当ててもらえないじゃないですか」
置鮎が投球モーションにはいった。三塁側の青海応援席を中心に、ある無言の期待の声が広まっていく。
「くる!」「ツーストライクになったらあの変化球が!」
その変化球とは、
置鮎が強豪校の打者たちから空振りを奪いゴロを打たせフライを打たせカウントを稼ぎ打ちとり続けてきたフォークボール、
インコース、腰の高さにくるボールが、打者に近づくにつれ徐々に沈み、そして落ちきる!
空振り三振、歯牙にもかけなかった置鮎は今村の返球を受け、まだ白く穢れのないボールをこね回し、手に馴染ませようとしていた。
3球ともゾーンの四隅に決まった(アウトロー、インハイ、インロー)。キャッチャーミットはピクリとも動かない。
(右対右で平気でインコースにフォークを投げやがった。右投手が投げるフォークは右にスライドしながら落ちていく変化球、通常右対右ではぶつかるから内側には投げにくい。だが置鮎はそのスライドする成分を殺して純粋にまっすぐ落ちるフォークを投げることができる。フォークの投げ分け。逆に左にスライドするフォークも投げるからな)
屋敷は敵に感心していた。
地上最強の魔球を駆使する置鮎にとって、高校野球は通過点にすぎない。
「おまえは俺の獲物だ」
1塁コーチャーにはいった屋敷が言った。
「おまえがか?」
横を向いた置鮎は笑みをこらえられなかった。エースは今から対戦する相手に眼もくれずに屋敷を挑発する。
「バット投げつけてやろうか!?」
バットを振りかざしながら打席に中原がはいる。




