8回裏 間違いなく人生最高のプレーでした
『白球の罠』(承前)
泡坂は俺と対戦しているときに限り癖がでる。俺個人への意識が強すぎるのだろう。他の打者と対戦しているときはその癖が消えているのに。
球種ごとの違いは俺にしか判別できない。ストレートのテイクバックにスピードがつきすぎるとか、
フォークを投げるときは握りを確かめるためにグラヴの位置が数センチ高くなってしまうとか、そういった些細な手がかりから球種がわかる。
くるボールさえわかれば狙い撃ちにできる。
確実に打てると断言はできないにせよ、泡坂の各球種のコンビネーションを無効化し、スピード差も変化量も無視し一つのボールとむきあうことができれば、
この決戦においてさえ10割を継続できる。
相手のミスに乗じるなど勝負においては当たり前の行為だ。相手にない武器を手にし実戦に投入し好成績をものにする。ゲームを進化させてきたのは知と無知の非対称性である。
『正々堂々』とかどこの国の言葉だよ。
気づかないおまえら青海関係者全員が悪い。
俺は卑怯にも相手の投げる球種を察知したうえでバットを振る。
泡坂の左足の動きにシンクロし(合わせ鏡のよう)自分の左足を蹴る。
投球直前、泡坂の左腕がやや高い。シュートだ。泡坂が気付いているのならその動作自体をフェイントに使うことも考えられたがそれはない。
「球けがれなく――」
手元にむかって喰いこんでくる121㎞/hのシュートを、
強制流し打ち、ライト前に速い打球を落とした。
桜が還ってくる。勝ち越しタイムリー確定。俺は1歩、2歩と1塁ベースに向かって駆けだしたところで転ぶ。
(あの自打球か!)
神経伝達物質が切れ左足の痛みが襲いかかってくる。
それでも立ち上がり、これまで公式戦で30回踏みしめてきた白い強化ゴム製のベースに触れようと、全身で駆動することを再開する。
風祭が叫んでいる。
ライトが1塁に送球する光景が俺の眼に映った。
「道険し?」
そのとき右翼手を守っていた青海大学付属高校野球部三ツ谷たかふみ選手(3年)はのちにこう語っている。
「間違いなく人生最高のプレーでした」
「中学でも全国でプレーして、もちろん甲子園、それに大学でも野球は続けますよ。でもきっとあのときの守り以上の瞬間は訪れないんじゃないかな。自分が野球をやっていた意味が理解できた瞬間でした。屋敷を自分の送球で仕留めたんですからね……」
「少し浅めに守っていましたが、ダイレクトでキャッチできないことはわかってました。屋敷の打球ですからね。あえてスタートを一歩遅らせ、最高速でキャッチして、動作を止めずにそのまま送球につなげました」
「最初から狙ってたんですよ、ライトゴロを」
「屋敷がつまずいてるのは見えなかったな。風祭が俺にむかって投げろと叫んでいた。俺が投げるのとほとんど同時だった。きわどいプレーになるかなと思ったのは投げたあとで……風祭がキャッチしたあと、審判が手を挙げているのが見えてやっと実感しました。アウトになったんだと。観客もなにがあったのか最初はわからなかったみたいで、少しずつとまどう声が大きくなって、それからどっと気が触れたみたいに盛り上がって……不思議な気持ちのままベンチに引き上げました。あのときはもう、点差もアウトカウントも誰が投げてるかもよくわからないままプレーしていました。それくらい異常なイニングでしたから……」
「ビデオで見返すとあのプレーは俺と風祭の合作だったと思います。俺の思い切りのいいスローイングと風祭のキャッチング。風祭は他のポジションもやるから本職のファーストとはいえないんですけれど、あのときはライトからきた送球を足曲げて最短距離で捕ってました。難しいところにいったのに簡単に捌いて、ミットを浮かせる『残心』、すぐに審判にアピール……。パーフェクトなキャッチング、演技力こみの守備だった。今見たらあざといプレーですけれど」
「映像では屋敷の足と完全に同時に見えますけれど、ともかく審判の方が『アウト』と言ったらそれが判定ですよ。覆りはしない。風祭のキャラクターがアウトにさせた、みたいなところもあるんじゃないですか? 人間性でうちのキャプテンが勝ってたんですよ」
「屋敷のことはみんな嫌ってなかったんじゃないですか? 頼りになる後輩だった。あのまま青海の野球部に残っていたらどんなチームになっていたか……。あいつこそ本物の天才だった。走塁さえしっかりしていればとんでもない選手になるってみんな言ってたんです」
「皮肉にもその走塁で失敗し勝ち越しの7点目を奪えなかった」
「屋敷との対戦に限って泡坂に癖が出てしまっていた……そのことに試合中気づくことができなかった俺たちにも責任があります。うちの投手は失点の責任を背負いたがるんですよね。そんなの嘘だと思います。ピッチャーの失点は俺たち全員の失点ですよ。ディフェンスの対応次第でどんな打球もアウトにできるはずじゃないですか。もっと俺たち守備陣を頼ってほしかった。そんなこと言っても仕方ないですけれど」
「そうですね。俺たちの世代のチームにかけられた圧力は並じゃなかった。大会で残した成績もそうだし、泡坂みたいな高校生なのにとんでもない知名度の選手が所属しているわけですし、おかしなことにもなりますよ。今まで学校の施設に侵入して捕まった奴が3人もいますしね(笑)、いや笑い事じゃないか。遠征先のホテルの周辺にファンがいっぱいいて夜中まで騒がしい。青海フィーヴァーの真っただ中にいた二年間でした」
「『俺たちは野球がしたいだけなんだ。競技だけに集中させてくれ!』って言いたくなりますよ。でも俺たちは無敗の青海に所属したことで恩恵を受ける側の人間ですからね。利益だけかっさらいたいなんて傲慢ですよ。不利益なことからも逃れられない。プロ入りしない奴らも進学や就職で有利になりますし、青海にいたって事実だけで持ち上げられますしね。みんな有名税は受け入れるつもりです」
「この1年間大会ではほとんど毎試合大差をつけて勝ってましたけれど、『勝って当たり前』って空気はナーバスになりますよ。大会の前後はテレビをつければ俺たちの特集ばかりされて、雑誌も新聞もネットもSNSも青海一色。他のチームなんて申し訳程度にしか紹介されない。俺たちだけが注目の的。甲子園4連覇っていうのはそういうことですよ。他にもプロ注目の高校生がいるのに、うちの5人に比べたら色があせて見える」
「青海はときどき練習中に試合中の音声をスピーカーで流すんですよ。うちが大会で珍しく苦戦した試合の音声です。わかります? その試合は会場全体が相手側を応援するような異様な空気で……。絶対王者青海が負けそうになったらまた観客が相手側を応援するに決まっている。こっちがリードされているとき、青海の攻撃中だっていうのに相手に声援が飛ぶんです。わかりやすいですよね。青海は悪役なんですよ。俺たちがどんだけマジメな高校球児を演じても無駄なんです。一番強い奴は『一番強い』ってだけで嫉妬の対象になるんです。どれだけお行儀よくしててもね。開会式や抽選会で知ってる奴らと会っても口利いてもらえないんですよ」
「決勝のことですね。あのゲームは途中から……なんていうんですか? ゲームのほうが俺たち選手たちよりも強くなったんですよ。両チームに個性あるすごい選手が集まっていたのに、ゲームのもたらすプレッシャー、予想外な展開みたいなものがわあっと襲いかかってきて、状況を制御することができなくなってしまった。勝利への渇望だとか、選手としての成長だとか、プレーを楽しむだとか、そんなものが消し飛んでしまい、対戦相手の前に野球という競技そのものと対決することになった、みたいな?」
「たくさん練習するから戦術的なプレー、技術的なプレーを本番で再現できる。それがスポーツじゃないですか。でも途中から両チームともそんな当たり前のことができなくなったんですよ。原始的な戦いになってしまった。屋敷の凡退はその象徴でしょう」
青海00000006 |6
松濤00000006 |6
屋敷慎一第5打席結果:ライトゴロ
連続打席ヒット記録は30でストップ。
松濤高校は8回裏に勝ち越しとなる7点目は奪えなかった。
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