8回裏 今度は絶対に
《青海視点》
『白球の罠』
*
俺「地味に地道に」
夙夜「公式戦に限っては泡坂さんと置鮎さん、両名が登板しているすべての映像を入手しこうして通して観ましたが」
俺「弱点らしい弱点は発見に至らず……」
夙夜「青海と接戦を演じている間はこの二人さえ攻略すればいい。球種ごとの投球割合や投げるコースのデータは得られましたがその程度の調査、過去の対戦相手もしていますね」
俺「同じデータから違うやり方を見出すのが頭脳の違いだけど……もっとこう即物的にさ、抜本的にさ、『球種ごとの投げるときの癖』がわかったら勝確だったのに」
夙夜「あの人たちも人間です、投球時に癖がでて打たれることもありましたが……」
俺「今村がすぐさま見抜いて修正させてたし、点差に余裕があるときはわざと打たせて自分から気づくまで待つこともあった。それであんな好成績残してんだから頭が痛くなるね」
夙夜「今村さんの観察眼には要注意ね。味方の癖を見抜けるということは、桜君と片城君の癖を見抜いて狙い撃ちにする可能性もある……。結局何十時間もビデオを見続けたことは無意味だったかも……しれない」
俺「俺はそう思わないよ。なんとなぁくだけど、睡魔と戦いながら観たこたぁ無駄じゃなかった気がするのよね」
*
堂埜の選択はまさかの『泡坂再臨』。
レフトからピッチャーのマウンドに復帰した泡坂が投球練習に入る。二人の様子を平等に見守る俺。
いつまでも置鮎の監督への嫌悪感をレクターよろしく摂取している場合ではない。5度目の対決に集中しなければ。
……試合再開。
エースがマウンドに上がるということは、俺を敬遠する選択肢はないということ。
苦笑しながら俺は打席に入る。
「最高のコーヒーでも立て続けに5杯は飲めないな」
俺コーヒー飲まんけど。
「こいつ……っっ」
2年生打者をいさめようとした今村だったが、俺の横顔を見た瞬間、彼の表情は凍りつく。
(俺はこいつに負けたことがある!!!)
今村の脳内にある記憶が雪崩れこんでくる。
*
4年前のあの日。
今村萌は完全敗北を喫した。
青海大学付属中等部、軟球でプレーする部活動の野球に、
硬球でプレーするシニアのチームが硬球で練習試合を行いそして負けたのだ。
当時まだ12歳の屋敷慎一に。数週間後に野球を辞める打者の『魔性』に敗れ去った。
4回表、今村は先頭打者を不運な当たりで出塁させてしまう。
送りバントを狙う2番打者国枝は、今村が2球目に投げた曲がるボールをバットに当て損ね指にぶつけてしまう。負傷した打者はそのまま退場し病院に送られることになる。
ベンチから代打が送られた。B-Sのバッター不利な状況を引き継ぐことになるその打者こそが『屋敷慎一』。身長150㎝程度の小柄な少年がゲームに登場する。
すでに3番泡坂、4番風祭との対戦に意識がむいていた今村はその打者を見て驚く。
その少年の〈意〉を読みとることができない。
「……せやけど」
気にすることはない。すでに2ストライクに追いこんでいるのだ。有効領域で勝負する必要はない。このバッターはほぼ確実に打ちとれる。
『正着』の配球であるアウトコースに逃がしたカーヴを、
振りにいった屋敷、大きく左足を踏みこみ、
遅いスイング、フォローが途中から左手一本になるほどの『当てただけのバッティング』、
(よぉ当てたけど100%ファウルや)
余裕をもって振り返った今村は眼を細める。レフト前にボールが落ちていた! 浅く守っていた外野手がファウルゾーンを転がるボールを追いかけている。
状況は無死1、3塁に悪化した。
「逃げていくボールにバットで回転をあたえ落ちる位置を調整した?」
今村を含めシニアチーム全員が驚愕した屋敷慎一のこの技巧は、青海野球部にとって日常にすぎない。プレーが止まると屋敷に対し味方ベンチから野次が飛ぶ。
「うっせえおまえらあいつからまともなヒット打ってなかっただろ!! いい加減俺を認めろよ!!」
ライトが打球を誤りライト線のファウルゾーンに転がっていった。1塁に止まらず2塁まで進むことができたはずの屋敷の怠惰な走塁が責められ、今村のボールを打ったことなど少しも褒められていない。
誰も相手エースのことなど見ていなかった。
3回まで無失点に抑えてきた今村の好投もここで終わる。青海の止まらない連打。
センター越え権利付与ツーベース、ライト線スリーベース、センター前ヒット、ライト線ツーベース、センター前ヒット、レフト前ヒット、レフト前ヒット、ライト線ツーベース。
10連続被安打。
今村はワンアウトも奪えないまま降板した。
終わってみれば4回途中9失点の大炎上、
ベンチに下がりチームの敗戦を見守るしかなかった。
この日今村は投手としての自分の才能を見限り捕手に転向、1年後の青海への推薦入学を志望するようになり、
屋敷は野球に見切りをつけ違う競技に転部することになる。
「俺の顔になにかついてる? イケメンついてた?」
「どうしてあの日のことを忘れてたんや? ……俺はおまえに打たれた。打順が1巡しておまえに2度目の打席が回ったそのとき、ベンチに降板を志願したんや。《《おまえが怖かったから》》」
「ごめん、覚えてない」
(忌まわしいのは、泡坂が屋敷に打たれることやない。忌まわしいのは俺自身が屋敷に打たれた記憶を四年間封印し、今日奴に勝つための最善手をとるための準備を怠ったことや)
|心的外傷後ストレス障害《PTSD》という表現は言いすぎか。
敵と味方の〈意〉を見る今村の能力は、自分自身にむかって使うことはできなかった。
今村は無意識のうちに俺から逃げていた。
俺というバッターをキャッチャーとして観察しきれていない。だから過去4打席俺から被安打を許してしまっているのだ。
泡坂は今も俺から逃げていない。
「今度は絶対に」
チームのために今こそ屋敷慎一を抑える。
シングルヒット一本で勝ち越しのランナーが還ってしまういまこそ。
スタンドで見守る部員、生徒、選手の家族、大勢のファンが手を組み祈る。宗教的な光景ですらある。
『絶対』は我らだと。
おおきく振りかぶるエース。
『10割』が泡坂の投球に襲いかかる。
投げられた、遅いカーヴを、俺は待って待って打とうとするもスイングをキャンセル。
「遅っ」
俺は右手でバットの真ん中をつかみ見送った。
外に決まってストライク。
「やるじゃない」
ランナー有りの状況であえてワインドアップすることで、スピードボールがくると思わせた。
今までで一番遅いボールだった。目先を変えてきたな。
「ひょっとしてサインだしてるのベンチ? 堂埜は現役時代キャッチャーだったよね」
今村は俺ともう会話をしない。わずかに震えながらベンチを見ている。
どうやら図星のようだ。
次弾。低めにきたカットボールを痛打。
真下に打ち下げられた打球がピッチャーの前に転がる。
これを拾った泡坂は――
ゴロを打ったのではない。自打球だ。
――今村に投げ返す。
左足の甲にぶつかったが痛みはない。思ったよりボールが浮かなかった。今のは失投っぽい。
「楽に打てるボールだった、もったいないねぇ。それはそれとして2スト。けっこうピンチか?」
後輩たちがここまで懸命につないでくれたのだ。俺が打てなかったら困ったことになる。
ベンチの堂埜は前のめりになって頭をふりしぼっている。まるで自分がプレーしているみたいに汗だくで。
「若者が成長している機会を奪っていると気づかない老害だな。選手を自分の駒としか見てない。有能だと思った俺の判断は誤りだった。どこにでもいる無能だなあいつ」
堂埜はサインを出し終わった。
それを見た今村が、泡坂にサインを送る。うなずく泡坂。コースはともかく、投げる球種さえわかればなんとかなる。決め打ちで外野まで飛ばせば俺たちの勝ち。
投球モーションにはいる泡坂。
ここまで無反応だった今村が電撃を喰らったかのように頭を揺さぶる。
(!! こいつ、投げるボールがわかっているのか!?)




