8回裏 一振りで屠るしかありません
『自分を消した男』
片城がバットを構える。
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「一振りで屠るしかありません。長い都大会の決勝戦の終盤ですよ。一般人の僕にそんな体力ありません。ベストスイングは1回が限度、ベストスイングじゃないと久世君のボールはヒットにできない」
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俺と片城の二人は大会中点滴を打つほど消耗していた。夏場の大会はそれほどまでに過酷だ。片城はこの状況を想定し、普段の練習でも打撃練習にかける時間をあえて減らし、一振り一振りを磨きこんできた男だ。窮地にだけ強くあればそれでいいという思想。1試合に1度だけある好機を活かせるならそれでいい。
その構えが象形するのは『確実性』、『絶対にボールに当てようとする意志』を具現化したかのように、短くもったバットはスイングの途中で固まってしまったかのように、自分の顔のすぐそばに携えられている。
「まるでドス構えたヤクザ」
あれじゃ大ダメージは期待できない。ゴロが内野のいいところに転がればヒットになる。実際大会中のヒットもそういう形だった。
迅速な動きを見せる青海の内野陣四人は2歩、立ち位置を前に詰める。
これで野手間の幅は狭まり、片城にとってのヒットゾーンは狭まる。
8番打者は単一能、速いゴロを打つしかもとより勝ち目はないのだ。
片城は――
「僕にとって桜君は良血馬なんですよ。彼の身体能力の高さに賭けた。彼ならきっと中学時代無名でも、高校にいけば活躍してくれる。僕はおこぼれにあずかろうとするハイエナです。だから彼の練習につきあうことにした。中学時代部活にもシニアなどのリーグに所属しないことは逆に良かった。変な指導者にあって潰されるリスクを考えたらそれがベストの選択ですらあった。初めて彼のボールを受けたときからこうなることを望んでいたような……ねぇ君島さん。桜君はあなたの真似事をしてみんなの前では黙るようになったんですよ。不要なトラブルにまきこまれたくないとか意味のわからないことを言って……。ええそうなんです。彼は僕らと一緒のときみたいに笑わなくなった。君島さんのまえでは変わってない風を装っていますけれど。相手が相手ですからね。あの泡坂さんですよ。もう二年くらい思い詰めてるんです。あれはもう世界一になれるかどうかって選手だと思います。史上最高の高校生でしょう。青海高校は彼抜きにしても冗談みたいなラインナップですし……もし仮に都大会を突破して彼らとぶつかったら僕は……勝ち目がないと思ってしまうんです。同学年ならともかく……相手は3年で、余裕をもって勝ち上がってきますからね。どう考えたら勝機が見いだせるか。僕は桜君やチームメイトの足を引っ張りたくない。桜君の夢を邪魔したくない。じゃあなんでついていったのかって話になりますけれど、それは彼が僕の手を引っ張ったからですよ。……ええ、そう君島さんがおっしゃるのはわかります。もっとポジティヴに考えようとは思っていますよ。でも、僕の実力っていうのはその、良くて平均ですよ。高校一年生の男子の平均です。運動部に一度も所属してなかった人間が、これより上がないって相手になにができるのか……そのことはずっと考えています。授業中だって、寝る前だっていつだって……。僕だけの長所は……そんなものがあるとしたら、やっぱり考える力なのかもしれない。チームで一番能力が低い僕だからこそできることがあるはずなんです」
2球目、ストレートに絞りすべてを賭ける。
久世の長所は走り込みで鍛えられた下半身。軸足となる右足がマウンドに聳え立つ。安定した体重移動、鞭のようにしなる剛腕が最弱相手に全力投球、
迎える片城は全身全霊のスイング、
(たとえストレートを読んでいてもおまえには打てへん! 片城っ!!)
この打席まで捨てていたストレートは、
片城が長所にしようと専攻していた球種、
体ごとぶつかっていくようなスイング、激突したボールが転がり、ファーストのミットとセカンドのグラブの間をすり抜け、外野へ転々としていった。
一塁ベースを踏んだ片城は、3万人が四方八方から発す歓喜と悲嘆に圧し潰されそうになっていた。
「小さな構えから確実に当てにいき、かつインパクトの際すべての力を集約したバッティング、いいものを見せてもらった」
3塁コーチャーの俺は手を叩き褒めたたえる。
「1点差っ!!」「1点差ァ――ッ!!!」
1塁コーチャーの中原はハイタッチしようとしてきた片城の手を避ける。
「手! 手だよ!! バット持ってきたまま走ってくんな!」
大仕事をやってのけた少年の右手には、バットが握られたままだった。
「気づきませんでした」
そう言って片城はバットを手放そうとするのだが、それは貼りついたかのように離れない。
片城は歯で指をむりやり開き、どうにかしてバットをもぎとった。中原に手渡す。
「初めて人を撃ったガンマンみたいなもんですよ。成し遂げたことが大きすぎる。神宮で青海が相手、これだけ人が集まっているところでタイムリーですからね。今さらプレッシャー感じちゃいました」
「おせえよ。それくらい覚悟して試合に臨めっての……」
ホームに還った勢源はすでにベンチに引き上げていた。片城を指さす。
松濤のキャッチャーは小さく手を挙げて応えるのみ。
「できれば目立たない方向でいきたかったんですけれどね」
「アダムとキャラ被るだろ」
バッターボックスに9番打者を迎える。
「夏休みの宿題は最終日まで残すタイプなんだが……」別に意外性はないぞ桜。「どうやら9回裏は『×』がつきそうだな」
「……ここからは一人も打たせへん」
(『流れ』なんて曖昧なものは認めん。球場の松濤を後押しする声援も関係ない。俺たちは俺たちだ。普段の野球ができていればこないなことにはならんはずや。同じ1年でも久世とおまえたち二人じゃ立っているステージが違う!)
今村は1年生ピッチャー久世に声をかけ、野手たちにアウトカウントの確認、および守備位置の微調整、ベンチからのサインの確認も怠らず、打者・桜の過去のデータをチェックし、走者片城の足の速さも念頭に、そして両者の〈意〉を見切ったうえで、慎重に慎重を重ねたうえでサインを送る。
だけどもう、それだけじゃ足りないんだ。
スライダーでストライクを奪った久世、大きく曲がったボールをキャッチした今村に、
『油断という怪物』
が潜んでいたと指摘するのは第三者からすれば容易い、しかし片城のタイミングが間隙をあまりにも見事に突いた。風祭の指示の直前に、今村は2塁に矢のような送球、セカンドのタッチ、その前に片城がベースを踏む、際どいが塁審は腕を横に広げる。
「ディ、ディレイド――」
遅滞型盗塁。
キャッチャーが捕球してからスタートを切った! 片城の奇襲に対応できない。
もはやこの試合に青海の常識は通用しない。松濤が望んだわけではないが、この異常な状況を青海に制することはできない。
このグラウンドでもっとも足が遅い、そして疲れ切っていた男が走った。2度王者を刺した男がずれたヘルメットを被りなおす。「これで言い訳ができなくなりましたね桜君。もう体力残ってないんで歩いて帰れるのお願いします」
「やるじゃねぇか片城! だが悪ー、今の盗塁はムダだ。俺がホームランで逆転させっからよ……!」
桜はバットの先でホームベースを叩き、そして大きく構えた。




