8回裏 私たちは安牌だと……
《松濤視点》
『纏』
「ホームラン!」
打球は――右方向に流れ――ライトポールの右1メートルという位置に突き刺さった。
「じゃなかった!」
3塁コーチャーをしていた俺は飛び上がって喜んでしまったが未遂。
逸乃の同点ホームランは幻と消えた。
嵐のような歓声は一瞬で吹き荒れ、一瞬にして凪いだ。
救援しその初球を女性選手に捉えられた久世の心境はいかに。
比叡は言う。
「私たちの世代で間違いなく最強ピッチャーよ。シニアの全国大会で対戦して3三振だったもの。もっとも試合は私たちの勝ちだったけれど」
勢源が補足する。
「ランナー3塁に置いて暴投サヨナラ負けだったな。いくら才能があるっつってもこの窮地に1年に任せるとはな。置鮎になにかあったのか?」
華頂は逸乃の表情を観察している。
*
「私は逸乃の兄だ。5つ年下の妹が野球部でなにをしているのかが気になって毎日監視してたんだ。なにか文句でもあるのかね?」
「ありませんけれど?」
「私たち一家はみな芸術に関わる仕事をしている。芸術家なのだよ。美を理解しない庶民と混じって野蛮なスポーツになど現を抜かして……父は藝大の教授、母はマンガ家、そして私は見てのとおりモデルをやっている!」
「見てもわかりませんでしたけれど?」
「そんな一家に育った感性に優れた妹がどうして野球を……野郎どもに交じって汗水流して……将来のことをもっと考えてもらいたいものだ」
「そうですね、そう僕も思いますが?」
「君もそう思うの? というかなんで疑問文みたいな話し方をするのだね……逸乃はだね、小学生のころなんとかという野球選手に夢中になったんだ。今は現役の選手ではないというが、それは有名な選手でね、スタープレイヤーとでも言うべきか……君も知っているかもしれない《《あの選手だ》》」
「きいてもいないのに語りだすんですね?」
「妹は彼の真似ばかりするようになって、しまいには野球を始めるようになったのだよ。ポジションは外野ではなくショートだが。あんな小さくて可愛らしい生き物が夢中になって……。私は野球が憎い」
「はい?」
「確かに妹があこがれているという選手のプレーは優美だった。だがしょせん男の世界だ。彼女の人生になんのプラスがあると思うね?」
「人生は損得勘定なんですか?」
「だがここしばらく観察している限り、このチームは……悪くないんじゃないのかね。打倒セイカイとやらを掲げ本気になっているとか。いいことじゃないか! 応援するよ」
「無理です?」
「どうして君があきらめるんだね!? そんなことでは逸乃にも悪影響が……」
「僕はあの人が嫌いですから? それに逸乃さんに素敵な家族がいると知ってショックを受けました。あの人は僕と同じ側だと思っていたのに……結局言葉だけなんだ。家族の反対を押し切って上京したとかなんとか」
「実家からここまではかなり遠いからね。僕も同じマンションに住んでいるから親元を離れて暮らすことができているんだ。それより君の話していることをきくと、逸乃とはかなり親しいようだが……」
「あの人のことですか? 僕に勝手につきまとってくるんですよ。止めてもらえませんか?」
「な、なにを言うのだね君は……」
「僕は被害者なんです。あの人ほら、すごく考え方がすごくポジティヴでしょう? 自分に不可能はないみたいな口ぶりで。本当はなにもできない癖に――」
*
2分間。
逸乃は久世が投げるボールを4球続けてファウルした。
久世の球種はストレート、スライダー、チェンジアップ、カーヴ。
ストレートはあまりコントロールが良くない。スライダーは2種類、速く小さく曲がるものと、ブレーキが利く大きく曲がるもの。チェンジアップとカーヴはコントロールが利く。
球速は1年生ながら140㎞/h半ばに達している。その速さがイメージとしてあるが、本質は変化球ピッチャーだと勢源は分析していた。同学年にはまともに打てるバッターはいないだろうと。
そのスライダーをカットし続けている逸乃。
本人にも投げわけ不能のスライダー、どちらがきても対処してきた。
相手は同学年の女、どのピッチャーも相手を格下とみなすだろう。
今村がサインを送る。少し間を空けて投手が首を縦に振る。
6球目の球種は……、
「気づけよ逸乃……」
久世が送られたサインに対してうなずくのが遅かったということは、
高めのボール、逸乃はスイングしにいかない。見送ってボール。
これでワンボール。
「久世は意地になってスライダーで仕留めたかったんだろう。高めの釣り球に反応なし」
今村は1球でも早く打ち取りたかったはずだ。後続のバッターが久世のボールの動きを観察している。
不気味……。
遊び球はなしだ。怖い打者ではあるが、
7球目、アウトコースにドロンと落ちるカーヴ、逸乃はひっかけるが無理やり引っ張った!
セカンドゴロ、慎重にさばく野手、全力疾走するも間に合わない。その間にランナー勢源が3塁へ進んだ。
「内容は悪くない。最低限、どころかマウンドに上がったばかりのピッチャーの決め球を4回も見せたんだ。満足してもいい」
彼女は思いつめた顔をして次の打者片城の元へ駆け寄る。
「見ましたか?」
「素のキャラが出てますよ逸乃さん。ストレートのあとにスライダー4球、そのあとはストレート、最後はカーヴですね」
「無駄にしないでね、私の打席」
「……思いつめてますね」
「あれだけ努力した結果がこのザマだ。(下位打線の)私たちは安牌だと思われている。腹が立つ」
「僕と桜君でその評価をひっくり返します。ついでに試合も。あとは任せてください。プレッシャーはこの鍛え上げられた分厚い胸板で受け止めてみせますから」
「全然筋肉ついてないけど……」
「正直早く横になりたいです(疲労)」




