8回裏 この惑星の支配者は俺だ
《松濤視点》
『OUT OF THIS WORLD』
「もしかしたらバッターがスイングしたらぶつかってもデッドボールにならないのん?」
「稀なケースですけれど……みなさん、この場合はどう裁定されるんですか?」
夙夜の問いにベンチにいる四人の選手は沈黙する。
「俺たちは雰囲気で野球をやってる!!」
「きいてくるよ」
そう言って次の打者の勢源がバットをもって主審のいるホームへむかっていく。
「勢源! ショータイムだぜ」
「ったく、どうしておまえは他人事なんだよ!」
抗議自体は長く続かなかった。
そもそもアダムのスイングが途中で止まっていたという判定らしい。
死球は認められる。
塁は満ちた。
大人しく引き下がった堂埜監督の背中にむかって、選手兼監督の勢源がネコを被った口調で話しかける。
「お互い『損切り』には苦労しますね」
「……ッッ」
ベンチに戻った堂埜監督の顔は不満げだ。
勢源は今村の耳にだけとどく声量でつぶやく。
「格下から学ばない王者は絶対的に滅ぶ」
「おまえじゃ打てへんよ」
「青海の監督はデッドボールの判定を取り消しにいったというより、抗議していることで試合に介入し『監督も一緒に戦ってる』感を選手たちにもたせたかったんじゃないの?」
これは俺。
「アダムさんが還れば四点目になるんですよ? 本当に取り消してもらいたかったはずでは?」
致死性のデッドボールをもらいたがっていた華頂がそう答える。
「ここが分水嶺。2点目が入れば泡坂の交代が現実味を帯びてくるわな」
(もし打てたとしても)外野への犠牲フライでは松濤としては物足りない。2死二、三塁で4点差。逸乃には申し訳ないが7番以降は期待値が下がる。
勢源のこの大会の成績は打率.269、長打ゼロ、盗塁ゼロ。
泡坂の投打の成績と比べられたものではないことは自明だろう。
(勝負したかったアダムが避けられ俺が選ばれた。8回表と同じシチュエーションか)
「ここでやらかしたら本当にヒーローだな」
*
「激務だってことはわかるよ。監督しながら選手して、もちろん学校生活に追われ、大会に参加する面倒な交渉、選手の移動の手配、施設および備品管理にマネジメントにメンタルケア。がんばって人増やしてるしチームの戦略も立ててる。依然部員九人で一人でもリタイアしたら即アウトだから健康管理……うーん、いつ寝てるの?」
「それなりに」
「ふーん……でね、思ったんだけどさ、元世界一って割におまえのバッティングって醜くないか?」
「……二年間もサボりゃ誰だって衰えるよ」
「下手な奴を上手くするのは時間がかかるが、元々上手かった奴を元に戻すのにはそんなに時間がかからない。松濤で一番伸びしろがあるのはおまえだよ勢源。誰を集中的に鍛えるかといえばおまえだ」
「『ランチェスターの法則』を応用すれば強い武器は強い兵士に持たせるべきだろう。だから打撃が一番優れているおまえを守備負担が少ないファーストに置いている。最弱の俺になんか関わるな」
「打《《線》》なんだから九人トータルで考えないと話にならない。『ヒット一本出ないと試負けるシチュエーションでおまえに打席が回ってくる』。そんなことも計算できてないのぅ?」
「……ああそうだな。わかった。俺も俺を下に見過ぎていたよ。特訓に協力してくれるんだろ? でも他の部員には気づかれたくない。俺が無理して練習していると気づいたら他の連中まで参加しちまう。オーヴァーワークのリスクが高まる」
「なら朝だな。疲労を考慮して一ヶ月くらい毎朝。週六。どう?」
「かまわないが……どういう風の吹き回しだ?」
「俺一人が成功してもしょうがないからな。それに後悔したくない」
「……で、何時から?」
「今の時期日の出って何時くらい?」
「し、始発じゃなくて……?」
車内で爆睡している夙夜を放っておいて、俺と勢源と(親切にも練習を手伝ってくれる)明智家の執事の天王寺さんは午前4時30分に御来光を松濤高校のグラウンドで迎えた。
天才を育てる。
「上に立つ人間は大変だなぁ」
*
決勝戦の五日前、ベスト8で愛新高校相手に勝利を収め、グラウンドから荷物をまとめ去ろうとしていたタイミングだった。
相手校の選手がこちらのベンチに近づいてくる。用があるのはうちの監督だ。
「勢源……だよな? リトルリーグの代表でチームメイトだった。俺の名前なんて覚えてねぇか……」
勢源はかつてのチームメイトに粗雑に返事をする。
「ああ悪いな。モブのことなんて覚えてないよ」
「そう、おまえがしそうな反応で良かった。変わってない。本当に……交通事故に遭って終わったかと思ったのに復活しやがった。《《青海を倒しにきたんだろう》》? 俺たちの学年の奴はみんな言ってる。勢源なら青海なんて一人で倒せる。泡坂も置鮎も目じゃねぇって……。みんな応援しているよ」
「6番レフトで今日シングル一本の俺にそう言うのか?」
「おまえは強かった……。ど真ん中に3球続けて三振奪って、外野ノーミスなのにランニングホームラン打って。いくら口が悪くても最高の選手だ――みんなおまえに憧れてたんだよ」
「他の誰かのことじゃねぇの?」
「世界大会の決勝でそうだったんだぞ」
一同絶句。
「それとも……ダメなのか?」
俺は勢源の背中を叩く。
「叩くんじゃねぇびっくりするだろうが! ……ああおまえの言うとおりだ。ちょっと最強に戻ることにしたよ。……これで満足か?」
*
一死満塁。
(配球が読めてないな)
今村は気づいている。
ベンチにいたときは指導者として客観的な視点で今村のリードを予測することができたが、
その優れた頭脳も自身が打席に入り主観的にプレーする以上、的中率は低下してしまう。
勢源は豪速球をファウルにするので精一杯だ。
カウントはB-S。次が6球目。
今村は用心深い。
(8回1失点。まだ完璧に近い内容や。まだ迷子じゃない、余裕で来た道に引き返せる。ここは三振が欲しい。大量リードのあとに最少失点でピンチを切り抜ければ流れは青海。9回裏は無風、誰が投げても抑えられる。この程度の抵抗は全国で何度も経験しとる)
(ゲームは俺たちが完全に掌握した。打席におんのは屋敷やない)
ベンチに脚を組み座した俺は、ふんぞり返って笑っていた。
「まだボールは走ってる! 慎重に行け!!」
そう口にしたのは風祭。
今村はそのとき打者がバットを指二本分短くもっていることに気づいた。
(これでフルスイングしてもボールに伝わるパワーは減少する。しかもアウトコースには届きにくなるわな……しかしこの持ち方自体が『しかけ』でない保証はない。コースは狙わず全力で投げてもらうで!)
投球直前に勢源は狙い球を絞る。
(決め球はストレート。ストレートは肩の筋肉の消耗が激しい。多投している今ゾーンを外したくないはず)
コースを限定するとしたら《《低め》》だろう。
*
「低めを打つことにバッターのセンスが現れる。低めは打球角度がつきにくいからまず安全なのよ。ここを打つことを極めろ。高めなんて素人でも打てる。泡坂も置鮎もここぞってときは低めに集める」
*
投げる泡坂は思う。
(理想はストレートを低めに。勢源は手が出ず見送る)
泡坂の柔い関節が全身の駆動の最大効率を実現する。長い左足が大きく踏みこみ、右腕が閃く。
泡坂の理想がきた。高速の投球は高く上ずらず有効領域の下辺を突っ切っていく。
「勝っ」
勢源はスイングを開始する。
勝つのはこれからだ。
低めにきたボールを打撃。
*
「打ち返すというよりはバットに乗せるイメージで。回転と速さを意識して狙ったところに落とす――」
*
『強制右打ち』
技術の勝利だ。
スライスする打球が右方向、内野手の頭を越す。フェアゾーンに落ちたボールが転がってライトから逃れるようにファウルラインをまたいでいく。
悲鳴にも似た神宮の歓喜の声。
ボールはまだファウルゾーン、三人のランナーたちが――ベースを駆け巡り――次々とホームを目指す。二人目の比叡がホームを踏み、そして3塁コーチャーの片城が止めているにも関わらず「止まってくださいアダム君!!」アダムが突っ込んできた!
フェンス付近の位置でようやくボールをつかんだ右翼手三ツ谷がホームに送球、クロスプレーになるも、「ふんぎゃろ!」今村がグラブからボールをこぼす!
2塁を見たが勢源は刺せない。
走者一掃! 3点適時二塁打!!
青海まで一気に2点差に迫る。
打者が塁上で拳を突きあげ(ここで絶頂に辿り着く球場の盛り上がり)。
そして勢源は一人つぶやく。
「他の八十億人がなにを為しているかは知らないが今日今この瞬間だけは宣言できる。……この惑星の支配者は俺だ」
青海00000006 |6
松濤00000004 |4
それからはただの選手に戻り、ベンチと内野の応援席に指をさし「これが俺だ!!」と叫ぶ。「アダム! これが正しい打ち方だ。見て覚えろ!!」
「!! おまえら早く俺に打席回せ!」とアダム。
何人出塁すればいいんだそれは。
「うーん感慨無量大数」10の68乗。
そう言った俺は夙夜にこう問いかける。
「OUT OF THIS WORLD。意味は?」
「この世のものとは思えない、でしょう」
泡坂は下を向いてマウンドを降りた。
「勢源に打たれたボールに悔いはない。相手を褒めたいよ。でも俺の次にあいつはない。なんで置鮎じゃないの?」
「……監督の考えや」
長く苦しい戦いだった。あの超投手が8回途中4失点、ランナーを残してマウンドを去るとは。
泡坂は左翼手に入り、レフトは控えのピッチャーと交代される。場内放送のアナウンスで告げられた選手名に困惑する観客および松濤ナイン。
「勝っているチームの内部に問題がないだなんて幻想だよ」と俺。
マウンドに上がるのは一年生の久世だった。
青海のダブルエースの片翼をなす置鮎ではなく。
置鮎はブルペンで投げ続けている。顔色の変化はここからは目視できない。準決勝で49球投げただけのあいつは余裕で登板可能なはずなのに。ケガならブルペンで投げこむはずがない。
状況は一死二塁。
投げるのは本格派右腕、今大会二試合に登板し防御率2.25の久世。一年生ピッチャーが約四分後に投球練習を終わらせ、球審の「プレイボール」のコールがかかった。
久世は素早い腕の振りから第1球を投げる。
バッターボックスの逸乃は、その動作にあわせ力強くステップを踏んだ。ストレートを見切りまっすぐにバットを振り切ると、ボールはライトスタンドまで一直線に飛んでいった。




