8回裏 それは見切った
『なにもない』(承前)
*
「どうして僕を殺してくれなかったんですか?」
華頂は心底悲しそうな顔をして泡坂を見ている。
(カカシかこいつは? なんでバットをピクリとも動かさん?)
今村はサイン決めたようだ。
(欲をかくで泡坂。こいつは打たせてとる。シュートでえぐって左方向にゴロや。サードかショートにさばかせて併殺や)
うなずく泡坂。
第四球、
「気づかなかったのか今村?」
ここまでの3球、華頂が眼を閉じていたことに。
死球覚悟でスピードボールに眼を慣らさなかった。
これなら遅いボールに身体が泳がない。
華頂は近づいてくる変化球に対応した! 勢いのある打球は三遊間の右寄り、ショート百城のグラブを掠め転がり外野へ抜けた!! 一塁ベースに立つ華頂は泡坂に邪念を放つ。
「これは罰だです? 僕を殺してくれなかったあなたへの?」
華頂の意味不明な発言を風祭は理解しない。
「眼を閉じていた……やと? あの豪速球が顔近くにきて避けなかったのはそのため……」
俺はつぶやく。
「高めの速い球を見なかったことで低めの遅い球に対応。華頂の命懸けのプレーだと普通は思うわな。でも実態は――」
自殺志願者が公式戦、数万人の観衆の前で死のうとして失敗。今のつないだヒットは副産物にすぎない。
この異常事態に気づいているのはほんの数名だろう。俺は数ヶ月前華頂と逸乃の立ち話を偶然きいていたからわかっているだけだ。
グラウンドレヴェルで青い顔をしているのは逸乃と今村だけ。
「華頂!! 試合だからな。これ以上の奇行は避けろよ!」
ここでヘルメットを脱いで試合会場から姿を消しかねない精神状態だろう。なにしろ死ねきれなかったのだ。俺も止めるべきだったか……いやどんな言葉をかければいいかわからん。
華頂は納得がいかないのか歯噛みし、薄らと涙を流し、そして言った。
「今今今今今の打席やり直しできませんか?」
華頂の狂気を含んだ懇願は無視される。
あいつに注意しておくのは試合が終わってからでもいいだろう。あるいは逸乃が気づいているか。見るとすでに逸乃が噛みついていた。
「どうして!! よりにもよって今ここでそうしようとしたの……?!」
「大人しく野球ごっこしてましょうよ逸乃さん。あなたと話すことなんてなにもないですから」
この会話の意味をなにもわかっていないその他大勢。
俺は二塁手に話しかける。
「試合中隕石が降ってきたんだけど誰も気づいてない系?」
「なに言ってるんだおまえ。試合中話しかけるんじゃねえよ」
「はいすいません……」
人の死に敏感になってはいけない。俺は華頂の行動に呑みこまれない。
泡坂相手にこの試合初の連打。
状況は無死一、二塁。次の打者は中原だ。
『無用の長物』
ベンチで華頂のプレーを見守る中原に勢源が話しかけていた。
「前の打席同様俺が相手の球種を読みベンチからサインで伝える」
それをきいた中原は答える。
「泡坂のボールは狙い球を絞りを強振してやっと外野まで飛ばせる」
「基本路線はそれで」
「……6回裏も甘い球打って内野安打がやっとだった。あのショートはヤバい。ほとんど外野かって遠い位置で捕球してアウトにされかけたからな。バズーカみたいな肩だった」
青海の不動のショートは三年の百城だ。全国最高の遊撃手と呼ばれる男。
「思ったよか足速ぇよな中原」
「ナメんなよ! 小六のときにはもう親父より速かった。《親父の証言だから確かだ》」
少し考える勢源。
「……まぁそれはそれとして! 青海はピッチャーだけじゃなくて守備も全一だよ(このチームからは弱点を見つけられない)。ショートだけじゃなくて全ポジション穴がない」
「ホームランぶっ放せば守備なんで関係ないだろ」
冗談めかした口調で中原は言った。相手はホームランを一度も打たれたことがない甲子園優勝投手だ。
「いいぜフェンス越え狙って。六点差だからってつないで一点ずつ返さないといけないルールなんてねぇよ。走者ならまた溜めてきゃいいからな」
「なんか恐いぞ勢源。なんか裏があるのか?」
「ねぇよんなもん。《《お前に勝算があるからだ》》」
「……ほんとに打つからな!」
「クリーンヒットだった」
「たまたまバットにぶつかっただけやで。問題は中軸だ。1点も獲られたくねぇ」
今村は笑顔の仮面をまだ外していない。
(屋敷はともかく華頂に打たれることは予想しとらんかった)
ストレートで追い込んだあとに際どいコースの変化球を痛打された。眼を閉じるだなんて奇策を次の打者が続けるはずがない。
7回までの絶好調なピッチングに変化があったようには思えない。泡坂がらしさを発揮すれば次の打者は確実に仕留められる。一人一人確実に始末する。進塁打を許しても問題ない。4番比叡は犠牲フライありの攻め方をして2アウト、5番アダムは扇風機。1失点で切り抜け最終回は6番――下位打線から始められる。
(という仮定は甘いか?)
それはともかく、今日の泡坂には考えすぎるところがある。
泡坂対中原。カウントはB-S《1》。
走塁の判断材料としてバッテリーの考えを探る必要がある。
ここまで2球、《《中原にサインを送る勢源の思考は、あきらかに泡坂・今村バッテリーのそれを上回っていた》》。
球数がかさんでもいいから三振狙い→
ツーストライクになったら中原が苦手とするアウトコース→
ツーストライクをとるまでは内角外角の際どいコースを突くピッチング→
同じく右打者の華頂に打たれたシュートは使いにくい(以下略)。
「ここにきて今村の思考に追いついた。勢源けっこう切れ者だったのね」
インコースにそれがくる。泡坂最強の変化球カットボールが。
勢源が予想した球種だ。
わずかに甘い!
ニヤつく中原。奴がもっとも得意とするコースだ。上体を倒し気味にして無理矢理振り抜くスペースをつくる。
「カットは見切った」
乾坤一擲の一振り。
引っ張った!!
恐ろしく速い打球、三塁線、これはフェアに――
スタートを切る直前、俺の眼にすさまじき野獣が跳躍している姿が映った。
三塁ベース直近、サード芹沢が真横に跳び――
差し伸ばしたグラブにボールが飛びこんでいった。
(三塁ベースが近いということは)
素早く立ち上がったサードがベースを踏み俺は強制アウト、
「憤死っっ!!」
「一塁や!!」
今村の指示をきいた芹沢は間髪入れず一塁へ送球した。中原は、狂ったように火が点いたように走り、怒りの表情のまま激走、走り抜けて横目に球審をすごい眼でにらみつける。
「態度悪いとジャッジに悪影響あるだろうに――」と俺。
「セーフ!!」と一塁球審。
「――俺が最低限以下……」と中原。
放送禁止用語を喚きつつヘルメットをグラウンドに叩きつける。
これだけは避けたかった。エースからいいあたりがでたそのとき全国一の守備陣が容赦なく流れを変えるその事態を。
野球という競技において好守はランダムなイヴェントだ。
だが中原は併殺だけは回避した。
性悪で己の力を誇示することには熱心な中原だが、
この場面でビッグプレーを魅せたのはサード芹沢だった。両腕を開き大きく吠え、守るナインを、内野席の仲間たちを、球場全体を鼓舞する。
流れを我がものに。
青海は二年生ですら観衆を味方にする手段をもっている。
松濤ファンを増やした今日までの努力は無駄だったのか?
それにしても何十試合に一度のファインプレーがリードしている側に飛び出してくるとは……いやそれくらい想定していたんだけど現実に発生するとションボリするのよね。全一の投手陣を抱えたチームに最高に堅い守備陣をあたえるな。
このままベンチには帰れない。いくつか仕事をしておこう。
俺はベンチに戻る途中、泡坂に話す。
「実質3連打じゃん。急にどうした? お祓いでもしたら?」
「三人目は打ちとったでしょ。今は内容なんて関係ない」
泡坂は動じない。
まぁ確かに失点さえしなかったらヒットダース単位で喰らおうが完全試合だろうが等価だ。勝負のリアリティってやつか。
「いやお前じゃないよ。どう考えても今村がおかしいだろw」
煽った今村の顔はあえて見ない。
そして1塁ベースへ。ランナーの中原の肩をつかむ。
「気にすんなよ中原。あんな守備まぐれだ」
「気になんてするかよ屋敷。触んな!」
一塁で二重殺られなかったことは褒めてあげよう。
「おまえは流れをつくった。おまえはチームに必要なプレイヤーだった」
拳を差しだす俺。
仕方なさそうに拳をあわせる中原。
「華頂がホームに還ったらちゃんと喜べよ」
「あ”? なんで俺がんなこと――」
「《《チームだからだよ》》。それに比叡は絶対打つ」




