6回表 もう眼は醒めました
『承前』
(2失点……か?)
今村は立ち上がって苦々しい顔――食いしばった歯を見せる。
スタートを切っている1塁ランナーの屋敷もホームに還りかねない。
(伸びすぎた?)
華頂は表情を曇らせる。
ボールが地面に落ちれば先制、ゲームは松濤の優勢に傾く。
(飛びこめ!!)
流星と化した右翼手貴船が、地面と平行に飛びながらグラブをさしだし、その先端にボールが挟まる。滞空する貴船は気づく。(グラウンドに落下したら衝撃でボールがこぼれ落ちる)、貴船は空中でグラブを開いてボールをつかみ直し、0.01秒後に人工芝にその全身が落下した。
そのままうつぶせに倒れる。その姿勢のままボールの入ったグラブをアピールし審判が「アウト!!」
この日一番の盛り上がり、熱狂の渦に球場が巻きこまれる!
青海00000 |0
松濤00000 |0
青海のベンチメンバーが沸き立つ。先制点不成立。倒れたままのライトをにらみつけ桜がベンチに引き返す。
殊勲者になりえなかった華頂は無反応である。
「?」
……場内の空気が、そして試合の流れそのものが松濤から青海に傾いた。二度とないかもしれない得点チャンスが無下になったのだ。
(屋敷を止められずともやはり勝者は青海)
青海を推す観衆の思惑に水を差すように、1塁ランナーの屋敷が指摘する。
「左膝から落ちたな」
貴船が立ち上がれない。そばに立つ中堅手佐山が肩を貸し、立ち上がらせ、三塁ベンチまで引っ張っていく。球場は彼らを謳歌する。
痛みに顔をしかめながらも笑う貴船。
自分の身を引き換えに華頂の先制タイムリーを止め、一人一殺を体現した。
並んで歩く佐山から怯懦の意が消え去ったことを今村は確認した。
(佐山になにがあった?)
大観衆の拍手を浴びる二人。
「俺は死んだよ佐山。眼を醒ましてくれるか?」
「ええ、もう眼は醒めました」
佐山の眼に火がついた。
「僕は青海の『顔』だ。なら、することは決まってる」
(泡坂、風祭、置鮎……。あの三人は自分が強くなるしか興味がない求道者だ。悪く言えばチームを背負ってない。……この『死線』でチームを勝たせるのは僕の役目)
ベンチ前で控えの選手たちが佐山の腕から貴船を離し、救護室へ連れていく。
チームメイトの姿を見ながら佐山は独り言を口にする。
(青海が強すぎて忘れていたな。このチームに救われてきたのはこの僕で、このチームを引っ張ってきたのも僕だったのに)
主役は佐山だ。他の19人の誰でもない。
(学習面でチームの足を引っ張り大会の出場を見送られそうになったのも僕。危うく完全試合を達成させられそうになったあのゲームで初ヒットを打ったのも僕)
目立ってしまうのは仕方ない。そういう星の生まれだ。
佐山は振り返り、松濤のベンチのナインの様子を見る。
こんな若い選手相手に大苦戦しているという現実。たった九人のチームに5イニング得点がない。
「みんな疲れてる? 下向いてるよ!! ここからが大事なんだ。……安心しなよ萌、みんなもそう。青海がピンチになったときは、いつも僕を見てって言ってるでしょ?」
そう言って自分のユニフォームを指す佐山。
(僕が決めるんだ)
5回裏が終了。グラウンド整備が始まった。両チームの選手たちがベンチ裏で補食をとり戦うためのエネルギーを満たす。
『佐山』
2年前。
青海野球部が『夏の選手権』の東東京予選を突破し、全国大会を目前に控えた時期のことだった。
堂埜が1年生キャッチャー今村に話しかける。
「佐川はガリガリだろ? 157㎝50㎏。見た目で判断するとどうして野球部に推薦で入ったのかわからないくらいにさ……でもバッティングはこっちが教えることもないくらい『完成』していたよ」
「でも大事なのはフィジカルだよ。身体が弱かったら他の才能なんて無意味だ。安定して活躍してもらうには体力が必要なんだ。スポーツだし当たり前のことだけれど」
「だから徹底的に休ませることにした。週の半分は放課後寮に閉じこめて練習させなかったでしょ。いっぱい食べさせていっぱい眠らせて、ようやく身長に対して体重が一般の平均に達したんだ」
「でね、問題は佐川があまりにも練習に参加できなくて、そんな俺に贔屓されているように見える1年生をレギュラーで使うことは上級生たちからの反発が予想されるわけよ。佐川天才だし、イケメンだしね(笑)」
「小柄でパワーもない、ただ才能があるだけの1年生にレギュラー奪われたらそりゃ反感も買おうというものだよ。うちは実力主義だけど、それでも特別あつかいされてる1年生だからね」
「佐山は部員全員――三八人に了解をとった。一人一人と面会して説き伏せた」
「練習にろくに参加できていない僕がレギュラーになるのは申し訳ない。でも必ず、僕の活躍で青海を甲子園に連れていく」
「結果は知ってのとおりだよ。あいつは1年で一人だけ初戦でスタメンの座をつかんだ。泡坂もおまえも風祭も大会中に主力扱いされるようになったのに」
「佐山は俺の予想をはるかに上回った。特にバッティング――打ちとられた当たりはほぼなかっただろう? いや、そんなことより見ている人が気にしているのはあいつの性格だ」
「ヒットを打つたびにガッツポーズしてさ、観客席に指をむけて煽る。タイムリー打てばベース上で吠えるし、ベンチでは一番騒がしいし、それでいて礼儀正しい正義の味方面してるんだよね。クソ真面目で清廉潔白で。あいつは嘘を吐かない。仲間外れをつくらない。そりゃ人気も出るよ。まぁ性格別にしてもあのルックスだし甲子園じゃおっかけがダース単位で現れるかもね」
「練習に参加せず本来疎外感を感じているはずの1年生がこんなキャラクター渋滞させているなんて普通ありえないだろ? 『ビビりながら寡黙にプレーして才能の片鱗を見せる』のが本来の1年生らしい控えめな態度なのにどうして佐山はこうなのって思ったろ?」
「おまえだけに教えるよ今村」
「佐山が青海のためにプレーできるのは、俺があいつを救ったからだ」




