5回裏 龍がいる
(戦略の見直しを余儀なくされたな)
マウンド上の泡坂もわかっている。
勝ち方を選べる状況ではない。
最高のボールを2球続けてカットされた。
厳しいボールを連投すればいずれカットに失敗するかもしれない。
だがこれ以上、今の泡坂の集中状態による最上のピッチングを継続できるのかといえば、それは運頼みでしかない。
失投イコールスタンドイン?
常に次の球で仕留めたいバッテリー。
(今リスクをとらんといつとる。この場面の最適手は『ホームランを打てると思わせる(偽装した)ボールを投げフルスイングを誘い打ちとる』や)
カウントは依然B-S。
夙夜は真顔になり無言のまま状況を見守る。
比叡は冷たい視線を屋敷に送っていた。
「今の泡坂に『カットして甘い球が来るのを待つ』なんて不可能よ」
中原は顔を左右非対称に歪ませ笑う。
「2球斬っただけ奇跡だろ……」
1塁ベース上の桜のリードは小さいままだ。打者・屋敷への絶対的信頼。
勢源は監督としての役割を放棄しただ見ていた。屋敷がこの打席一度足りとも勢源のサインを見てこなかったために。
(打たなかったら殺す♡)
キャッチャーの選択は外角へのカーヴ。
泡坂はそのサインを疑わない。そして相棒の意図をすぐさま読みとった。
(速いボールを5球続けている。俺の一番遅いボールに反応はできない)
投じられた136㎞の右打者外へ曲がるカーヴ、変化量もあるが重要なのはタイミングを外したことだ。これまでの超速のボール群に比べたら止まっているに等しい遅球。だが屋敷は自然に対応する。まるでそのボールを待っていたかのように。
ミスターフルスイング。
「うぉおお!」吶喊しバットを振り切る屋敷。
(泳がず打った!? だがこの外寄りのコース、打球はセンターより右方向に飛ぶ!)
引っ張れないならボールが伸びない。真のパワーヒッターではない屋敷にHRはない。全員が俊足の外野陣でアウトにできる。
「あれ? 引っ張っている?」
澄んだ音を残し打球は左翼ポールゾーン際へ飛んだ。マスクを外し立ち上がる今村、振り返り見上げる泡坂、屋敷は確信歩き。ランナー桜は奔走。レフトの国枝がフェンスそばで立ち止まり口をあんぐりさせているのが遠くからでもよく見えた。
高い弾道のフライボール、滞空が長い。祈るようにボールを見つめる青海選手たち。エースがこの大事な場面で被弾か!? 落ちてくるボールは風になぶられ、打球の回転と空気抵抗による失速で左に流れ――屋敷が叫ぶ。「しくった! 引っ張りすぎう゛ーッ!」
ファウルだ。
3塁線審が両腕をYの字になるよう突き上げる。
「なにがあった?」
「泡坂が使うところの『打球操作』だよ。あれくらい引っ張れる。お前の常識で俺を測るな、よくそんな程度のセンスであいつの相方やってんな?」
(いくら煽ろうと俺は冷静に対処する…つもりやが……あのコースを無理矢理引っ張って一番飛距離が出るポール際にもってきやがった。泡坂が殺されかけたんやぞ!! ……九死に一生。だがあいつは)
チームメイトは折れていない。前のめりになるほど前向きな彼にとって直前の失敗など遠い過去の出来事だから。
(本当にホームランを打たれかけた……)
あと少し球速が出ていたら屋敷は今ごろベースを一周していただろう。
今村は分析する。先制されかけたのは自分のリードミスだ。
(俺は弱い。どんなボールを投げさせても屋敷をしとめられる確信がない……)
散々迷ったあげく、今村がとった策はこれだった。投手にあるサインを送る。
刹那の間。
そのサインの意味を理解した泡坂が野球帽のつばに触れ、胸に手をあてる。
屋敷はその動作からバッテリーの意図を推測した。
(これまで一度も見せなかった挙動。泡坂がサインを?)
その動作自体がフェイントである可能性もあったが、
(過去の試合映像を見てそのパターンはなかった。泡坂が球種を決めるなら速いボールだ。あいつは自分の速球に絶対の自信をもっている)
泡坂の投球直前、
「龍がいる」
屋敷はそう独り言を口にする。
物心ついたころからそうだった。自分の身体の中には龍がいて、自分がなにか強く願ったとき、いつだってその願いを叶えてくれる、そんな架空の存在を高校生になった今も彼は信じていた。
数年ぶりに彼は祈る。
「ホームランくらい打たせてくれるよな?」
泡坂はグラブのなかでボールの握りを確認した。
(カットボールという選択肢はなかった。最前空振りを奪った――でも理由はわからないがこの球種は直観的に打たれるという予感がある)
泡坂は予言する。これで打球操作は封じた、屋敷はホームランを打てない。




